「ひとりじめてふ名の西瓜分かち合ふ」の批評
回答者 なお
こんにちは。
小西晴菜様、いつも勉強させていただいております。
御句、ずっと気になっていました。
ただどうも、私の中で「てふ」に馴染めず、悩んでおりました。もちろん、百人一首の壬生忠見の「恋すてふ」は存じており好きな一首ですが、現代の俳句でも有りなんだ…という点に一人で戸惑っておりました。
そしたら、家内がたまたま小さな、占い師の水晶玉くらいの西瓜を買ってきました!うわ、これがあの「ひとりじめ」か?と思ったら違いました(違うんかい!)。
でも、こんな小さな西瓜でも、食べるとしたら一人では無理だよな、誰かと分けないと…。とか思って、また御句を見直させていただきました。
そして気がつきました!私だったら、西瓜は「分け合う」としてしまったでしょう。でも分け合うと分かち合うでは明確な違いがありますね?分け合うは分割、分かち合うは共有!ここは共有ですよねー。
素晴らしいです。もう「てふ」問題はどこかへ行ってしまいました。
また勉強させていただきました。有難うございました!
点数: 1
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「ひとりじめ」という品種の西瓜は、確かに一人でも食べ切れそうな小玉。でも、いざ食べる段になると、等分に切り分け、半ば強制的に家族全員を呼び集めてしまう。だって、西瓜だから。