「仕事さき青い朝顔いと涼し」の批評
回答者 卓鐘
いつもたくさん句を詠まれていてすごいと思います。俳句の修行は多作多捨が重要ということですが、なかなか出来ません。
さて、本句ですが、このサイトは俳句添削サイトということで、どうしても俳句作品としてどうかという批評をせざる得ません。自由に表現したい!思ったことを書きたい!というのは素晴らしいのですが、俳句文学として最低限の技法に課題がある場合はそれを指摘しないわけにはいかない点だけご了承ください。(偉そうに言えるほどのものではないんですが、そういうサイトということで。。)
<課題>
[3段切れ]
仕事さき/青い朝顔/いと涼しとブツブツと切れてリズムがギクシャクします。
※三段切れが絶対にダメというわけでなく、句の内容がそういう勢いのあるリズムを要求している場合にはありなのですが、17音と短いのでブツブツ切れるのはなかなか作品として成功させるのが難しいというものです。
[散文的]
仕事さき(で)青い朝顔(を見つけて)いと涼し(いと感じました)
という、詩というより日記の普通の文章の途中を切り取った。そういう感じになっています。日記を俳句形式で書くな!ということではないのですが、俳句は韻律の詩の文学なので作品評価では指摘をされてしまうということです。
[季重なり]
涼しは夏の季語で、朝顔は秋の季語です。
季重なりもやってはいけないという話ではなくて、俳句では季語自体が詩の言葉で、そこにいろんなイメージや連想が働くものです。(そういう武器がないと17音で表現できることが限られてくる。季語のおかげでいろんなことを省略できる。)なので、それが二つ入ると意味の上でダブりが生じる、感動の焦点がぶれるなどが発生しやすいです。季語の2つ入れて、お互いのイメージを響き合わせ、かつ無駄なく感動の焦点が絞られるバランスを取るというのはとても難しいことなので初学者は1句1季語と言われてます。
いやいや、別に意味が被っても、焦点がぶれたっていい!とするのも個人の自由なのですが、俳句文学作品としては無駄なく感動の焦点が絞られた方が評価されやすいというだけの話です。
ということで、今回は俳句の技術的な話について記載させていただきました。
点数: 1
添削のお礼として、卓鐘さんの俳句の感想を書いてください >>
アルバイトに行く途中に咲いていて、あまりに綺麗なので、感動して。