辞書を手に本読み耽る暮の春
回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。よろしくお願いします。
まず俳句というのは十七音しかありません。
その十七音でどれだけの描写を出せるか、というと、ふたつの意味のうち前者はできると思いますが、後者を表現するのは相当難しいです。両方やるのは諦めた方がいいと思います。
以下前者の意味のみを対象にします。
「暮の春」なかなか渋い季語を選択されました。
実はこの季語は「春の終わり」という意味で、「春の夕方」という意味はありません。先日作ったというのであれば、この季語を使う季節としては正しいのですが(GWぐらいまでは「春」でもよい)、「夕方」という意味を持たせようとすると、季語を詳しく知っている人間には指摘を受ける点です。
この句自体は「夕方」という意味を持たせなくても「ずっと本を読んでいた」という意味が成立します。無理に「夕」という言葉を入れない方がいいと思います。
上五の「辞書片手」という言葉は「辞書を片手に」という言葉を略していると思うのですが、俳句的にはまだるっこしい言い方ですね。
「辞書を両手に」という言い方は普通しないので、「片手」とわざわざ言わなくても両手に持っているとは思いません。「辞書を手に」でどうでしょう?
学校の授業の参考にするということなので、改作や余計なヒントはご自身のお勉強の邪魔になりますので、この程度にしておきます。
がんばってください。
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つい先日、授業で初めて作ったものです。
「本を読むことに集中していたらいつの間にか夕方になっていた」という意味と「辞書とにらめっこせずとも本が読めるようになっていた時間の移り変わり」という意味を暮の春を使い表現しました。
どこがおかしいか、どういう意味に捉えられるかなど意見をくださると嬉しいです。