五月雨の葉を打つ音や我が祈り
回答者 イサク
おはようございます。
心情を季語に託すことができていると思います。
以下テクニック論ですが、
・「ほどの」と自分から言うとむしろ興ざめになることがあるので、ぐっとこらえて規模は受け手に託して想像させる方が・・・
・下五は「他人の事ではない」と主張してもいいと思います。「祈りあり」は客観的すぎて、礼拝や追悼式の描写という誤読もあります。
・五月雨の葉を打つ音に祈りけり
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療養中の身、雨では散歩に出ることもできず…雨の音を聞きながら祈るのみです。