「ガラス戸に犯人の顔花の雨」の批評
添削した俳句: ガラス戸に犯人の顔花の雨
コメント失礼します。
ぱっと読んでみたときは「怖っ!」と思いました。
ぱっと読んだときの読みは、以下のとおりでした。
自分が関係する犯罪の犯人の顔が雨に濡れたガラス戸(私はすりガラスを想像しました)に浮かび上がったのが見えた。
「殺される!」と思うが、まわりは静かで雨音だけがが聞こえる。
不思議と季語『花の雨』にその犯人の殺意が宿ってる気がしましたね。
季語『花の雨』で作者の脳裏に「桜の季節だけど、もう見れないのか。。。」とよぎったのではないか?と考えたからです。
ですが、よくよく読むと以下の読み方ができるなと思います。
『ガラス戸』の人が『犯人』であるとわかっている。
言い切っているので、サスペンスの作品を見てて「怖っ!」と思う演出のときの静けさを『花の雨』に宿してるのではないか(思わず自分の家の窓もちらっと確認してしまうみたいなこともしちゃうみたいなことも想像しました)?
桜の季節だけど、雨降ってるから花見を諦めてサスペンス作品を見てます的な解釈も可能かなと感じました。
どちらの読みにせよ『ガラス戸』の『犯人の顔』と『花』の落差で緊張感を与えていると感じました。
さらに『の雨』と少し時候に軸足を置いたかつ、『ガラス戸』の見え方にも影響する季語の選択によって1フレーズとの距離感がいい感じになってるのではないでしょうか?
色々考えましたが、後者の読みはあまり面白くないので、私は前者の読みで楽しみました。
点数: 1