「水切りの石円くして日永かな」の批評
添削した俳句: 水切りの石円くして日永かな
連投スミマセン。
水切りの石円くして日永かな
この句を鑑賞していて、今雷に打たれました。
中七の「まるくして」に少し違和感があったのですが、
最初、日永になり子供達が河原で水切りをして遊んでいる絵を想像しました。
しかし、よく読み込むと、これは、人間はまだ誰もその石に触っていないのだと見えてきました。
石が、何千年かけて上流から転がってきて、その間に角がとれ、丸くなって、今水切りに丁度よい形になり、そこにある。
日永になって子供達が遊びにくれば、投げてもらえるかも知れない。
でも今はただそこに在る。
子供目線だと投げるのに丁度良い石。
老人目線なら自分と同じように磨かれて角が取れて丸くなった石。
そういう形になってそこに在る。
円くして待っている。
いつまで待てば良いかわからないけど、日が長くなってくれば、誰かが見つけてくれるだろう。
そう読めてしまうと、この句はとてつもなく深く、心に刺さる。
素晴らしい句をありがとうございます。
点数: 1
