「図書館の歳時記重し三月来」の批評
添削した俳句: 図書館の歳時記重し三月来
こんばんは。貴句、拝読いたしました。
歌壇俳壇の句は「あれれ?」と私めは思いましたが、最近、めっちゃ良いですね。
①:上五「図書館の」の措辞の是非
具体的に「図書館の」とお書きになられたのが、バシッと効いてますよね。
足を運んだのが一発で分かりますし、中七の「重し」が歳時記の物理的な
重さの実感だけではなく、「図書館に足を運んででも上達したいんだ!」との
決意、決心の重みまで伝わってきます。
句面には書かずにそこまで伝わらせるのが良いですよね。
②:三月来の是非
私めも最初は明智明秀さんと同様、終止形「く」かと思いましたが、「待てよ」と
自分の読解にストップ掛けました。「ひょっとしてダブル含意じゃないか?」と。
古語のカ変動詞「来(く)」の活用は以下です。
こ/き/く/くる/くれ/こ、こよ
未然形と命令形は在り得ないですよね。何故なら既に3月9日(月)ですので。
以上より連用形と終止形が残りますが、連用形で「三月来」の後ろに
「、勉強す」、「、学ぶ」、「、探す」等が省略されていると、
つまり、「連用形「来(き)」による余白」とも解釈可能です。
勿論、終止形「来(く)」で閉めたとの解釈も可能です。
韻よりも、「解釈の余白を持たせた」事に工夫が見えてくると私めは考えました。
その裏付けになるのが、木の芽の句と木蓮の句。
上記2句が無ければ私めは終止形の「来(く)」しか考えなかったでしょうけど、
ありますので、連用形「来(き)」の解釈の余白の妥当性が上がっていると、
私めは判断いたしました。
とても良いのではないでしょうか。
ゆとりろさんご自身の「体温」と「指先の感覚」が過不足無く
パッキングされています。
3句とも句に手垢が一切付いておらず、ゆとりろさんの「オンリーワンの感動」に
なっており、それ以前とは季語の輝きが全く違いますよね。
「ご自身という情報への原点回帰」、「現象の定着」。この2つが大きく、
「決して飾らない。でも泥臭さは感じ取らせる」。これが良いですよね。
このまま味わいたいと、私めもウカウカしていられないと、
気を引き締めないといけないと思います。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
