「薄闇に騒ぎし烏大晦日」の批評
添削した俳句: 薄闇に騒ぎし烏大晦日
気まぐれ亭さん、精が出ますね。
気まぐれ亭さんほど俳句に真正面から真摯に向き合っている方は、そういないと思います。
賞を取ったりする人はこういう方なのだろうと。
そのため、私も気まぐれ亭さんにはできるだけ思ったことを書いています。
きつい言い方をしていたらごめんなさい。
ここだけの話ですが、私は新年からはここに来ないと思います。
少なくとも書き込みはしなくなります。
がんばってくださいね、今後句会等でお会いできることを楽しみにしています。
私の参加している句会をご紹介したいくらいですけど、普段は全く違う俳号で活動していて、こちらに明かしたくないもので。
拙句大晦日が〜にコメントありがとうございます。
>コンテスト入賞句のような華麗な言い回しが浮かんでこない
とのことですが、華麗な言い回しの句を作ろうなんて考えなくていいと思います。
巧拙も気にしないで全然いいですし、消炭の句も何も気になさる必要はありません。
誰でもそういう道を通ってきたはずですから。
それを笑う人なんてくだらない人間ですし、相手をする価値もありません。
私も句歴3年なので、そんな人間が偉そうに言えることではないですが、その人でないと作れないと思われる句を作っていきたいものです。
さて、御句を拝読しました。
「に騒ぎし」が説明っぽいです。
先ほどの話に繋がりますけど、薄闇に騒ぐという措辞が、作者が何かいいことをしてやろう感が読者に伝わってしまっています。
俳句のような短詩は作者の意思がどうしても入ってしまうものですけど、なるべく読者にそれを感じさせないことが、工夫であり技術であろうと思います。
こちらの句の場合、例えばそうですね、(類想がありそうですが)烏も年末の挨拶をしているようだよとしたり、烏が大晦日を連れ去ってしまって自分には大晦日が来ていないとしたり、みたいなことをなさると工夫と思われるかもしれません。
それでは失礼いたします。
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