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三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい? (No: 1)

スレ主 みりん 投稿日時:

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

カテゴリー: ストーリー

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三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 2)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

えっと? たしか乙一のSO-farってのがわかりやすくなっていたはず。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1、僕の家族は父母と僕の仲良し3人家族
ーーーーーーーーーーーーーー
2、ある日、なんか父母がお互いの事が見えなくなった。(インサイティング・インシデント?)

旅行先でまきこまれた交通事故をきっかけに、どうも父母のどっちかが死んで幽霊になってしまったらしい。(ターニング・ポイント)

僕にはどちらが幽霊かは分からない。

幸(さいわ)い、どちらも僕の事は見えるらしいから僕が父母の仲介者になり、がんばって2人の存在をつなぎとめようと頑張る。
(2人をつなぎとめることがセントラル・クエスチョンかな?)

父と僕の生き残った世界、母と僕が生き残った世界。

二つのパラレル世界を反復横跳びするような僕の日常はやっぱり無理があり、父母は僕を使って「異次元な泥沼夫婦喧嘩」をはじめてしまうし、パラレル次元の狭間で板挟みの僕は、だんだん母や父が見えなくなってくる。

このままでは、2人とも消滅してしまう。限界を感じた僕は選択を迫られる

父と僕の生き残った世界、母と僕が生き残った世界、どちらの世界で生きていくか?
(ターニングポイント?)

3、僕は母との世界を選び、それによって父は消滅した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エンディング

僕は精神科の医者にかかっている。

じつは父母は両方とも別に死んだりしておらず、単に夫婦喧嘩の果てに「互いに相手の事を無視っていた」だけだったのだ。僕はその嘘を真に受けただけ。

だが、その事実を知った今でも、僕は父の存在を認識できない。涙を流し抱きしめられても父の体温すら感じられない。

父母は以降、喧嘩もせず暮らせている。仲良く両親と一緒に暮らすという僕のセントラルクエスチョンは達成されたのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みたいな?

みりんさんの物語はセントラル・クエスチョンが2~3重になっていない?愛とヒーロー家業と友情みたいな?

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 11)

スレ主 みりん : 3 No: 2の返信

投稿日時:

読むせんさん、コメントありがとうございます!

>えっと? たしか乙一のSO-farってのがわかりやすくなっていたはず。
面白い話ですね。
私は乙一さんは「夏と花火と私の死体」と「暗いところで待ち合わせ」とあと一冊「きみにしか聞こえない CALLING YOU」を内容忘れたけど読んだはず……。面白かったです。

>みりんさんの物語はセントラル・クエスチョンが2~3重になっていない?愛とヒーロー家業と友情みたいな?
確かに、最後どうなるか気になる要素はいろいろぶっこんでますねー。
ただ、セントラル・クエスチョンはたぶんひとつに絞らないといけないと思うんですよ。
で、残りの要素はサブプロットのそれになるのかなと思ってます。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 3)

投稿者 のん : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 こんばんは、のんです。横文字に弱いので質問を理解できているか怪しいですが、三幕構成についてだったので失礼します。

▼セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
 セントラル・クエスチョンが作品内の全ての出来事に当てはまるのなら、この問題は微妙なところ。私の受けた印象では、このヴィランは中ボスくらいです。もしヴィランが敵全体を指していたとしても、テーマから逸れてはいないでしょうか。

 テーマに合わせて「また母親と一緒に生きられるか?」でいいと思います。一幕目では母親が失踪して、どうやら生死不明だったようですから、不可能だとならないように、ちょっと工夫が必要ですが。
 そこは摩耶を母親の代わりに一緒に生きたい人にしようとしたり、落ち込んで沈んだりが行けそうですね。

 ターニングポイントが【母が生きていると知り、取り戻すと決意する】である以上、母親が軸になってそうです。
 ターニングポイント自体で目標の提示がなされているので、セントラル・クエスチョンも「母親を取り戻せるか?」がより適切かもしれません。

▼セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?
 これは作品の軸。あるいは作品そのものだと思います。ですから、これを表に出さないのは難しいですね。

▼セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?
 前者が作品そのものなら、後者はその先。物語を通して伝えたいものでしょうか。主人公が青春を謳歌できるかという物語を通して、青春の素晴らしさを伝えるような、そんな感じで私は考えております。

 以上で、乱文失礼しました。
 

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 12)

スレ主 みりん : 0 No: 3の返信

投稿日時:

のんさん、コメントありがとうございます!

>そこは摩耶を母親の代わりに一緒に生きたい人にしようとしたり、
これは、主人公の行動理由としていいと思いました。テーマが明確になりそうですね
ちょっと入れれないか考えてみます

>ターニングポイントが【母が生きていると知り、取り戻すと決意する】である以上、母親が軸になってそうです。
> ターニングポイント自体で目標の提示がなされているので、セントラル・クエスチョンも「母親を取り戻せるか?」がより適切かもしれません。

なるほど……! そうですね。
主人公の夜白は母杏里が死んだと思っているため、それをそのままセントラル・クエスチョンに出来ない気がしたんですが、そこは変えたらダメな部分でしたね。
考え直してみます

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 4)

投稿者 手塚満 : 1 No: 1の返信

投稿日時:

セントラル・クエスチョンの語義通り、主題(テーマ)についての問いかけと考えたらいいと思います。

構想してお出で作品であれば、テーマは「母親を取り戻す」とすれば、セントラル・クエスチョンは「母親を取り戻せるか?」となりそうです。しかし、母親の存命は伏せられているし、障害となるものは母親の友人と名乗る摩耶が偽りの平和を与えにやって来ること。仰るようにセントラル・クエスチョンを出すに出せない状況ですね。

では、テーマを「平和な家庭を取り戻す」にしたらどうでしょうか。セントラル・クエスチョンは「平和な家庭を取り戻せるか?」。このクエスチョンは変遷することになりそうです。

1:摩耶とうまくやっていけるか?(達成しても偽の解決)
2:摩耶の真意を知ることができるか?
3:摩耶を倒して、母親を取り戻せるか?

物語冒頭~序盤で、主人公に偽の目的が与えられるって、よくあるんじゃないかと思います。例えば、主人公が(善人そうでいて実はラスボスであるキャラから与えられた)使命を果たそうとあがいているうちに、事件の真相や真の障害・敵が分かって来るパターンですね。隠されたセントラル・クエスチョンは「主人公は隠された悪事を暴けるか(そして解決できるか)?」なんですが、伏せられている。

しかし、主人公が何をしようとしているか(何をする話なのか)が提示できないと、読者としては読む目的を見失い、読了するモチベが削がれます。ですので、偽の目的を与えておくわけです。明示的なセントラル・クエスチョンも偽の目的に沿うことになります。

真相が分かると、明示的なセントラル・クエスチョンも変わって来るわけですが、少し大枠で見てみると、「事態を解決できるか?」というセントラル・クエスチョンは不変です。大枠はブレないけど、章/幕ごとで主人公にはセントラル・クエスチョンの具体的な見え方は変わっている。主人公が試行錯誤する物語では、そういう手法、展開を使ってはどうかと思います。

試行錯誤する主人公が揺らぐ物語でも、最初から最終的なセントラル・クエスチョンを与えることは、不可能ではありません。例えば「劇的アイロニー」を使う。劇的アイロニーは「読者は真相を知っているけれど、作中のキャラは知らない」というものです。三人称なら可能です。

構想中の作品であれば、主人公がいないシーンで摩耶に独白させるとか、主人公の不利を図るとか、母親を監禁しているシーンを入れておく等々です。主人公はそのことを知らない。だけど読者は描写から摩耶の真意は知っている。読者は「主人公、摩耶の陰謀に気づけ」「主人公、危ないぞ、そっちじゃない」とかハラハラしながら読み進めることになります。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 13)

スレ主 みりん : 0 No: 4の返信

投稿日時:

>手塚満さん、コメントありがとうございます!

>構想してお出で作品であれば、テーマは「母親を取り戻す」とすれば、セントラル・クエスチョンは「母親を取り戻せるか?」となりそうです。
なんか、多くの回答者さんからテーマは「母親を取り戻す」だとご指摘をいただくんですが、母親を取り戻すことが書きたいんじゃなくて、「大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい」というのを書きたいんですけど……。
クライマックスで、大切な人(息子)が死んだ悲しみに我を忘れ悪に身を落とし自殺したヴィランの悲しみを目の当たりにして、同じように大切な人(父)の後を追って星になりたがる母の気持ちを汲んで星にしてあげようとする主人公を、ヒーローが励まして、素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、そして、死んだ父の魂を星にしないといけない夜白の悲しみを知った母が夜白を支えるために生きることを決意する、というクライマックスが書きたいんです。だから、単純に母を取り戻すというのがセントラル・クエスチョンと言えるのか、あんまり納得できない気持ちがあります。それでいうと「母は、父が死んだ世界で一緒に生きてくれるか?」というのがセントラル・クエスチョンかなーと思いました。

>しかし、主人公が何をしようとしているか(何をする話なのか)が提示できないと、読者としては読む目的を見失い、読了するモチベが削がれます。ですので、偽の目的を与えておくわけです。明示的なセントラル・クエスチョンも偽の目的に沿うことになります。
確かに。目的がわからないと読む気が失せるので、いつも主人公の目的は何かを意識して書くようにしていました。
それで言うと、セントラル・クエスチョンを暗示的にしていいわけないですね。

>劇的アイロニーは「読者は真相を知っているけれど、作中のキャラは知らない」というものです。
三人称多元視点にしようと思っていたので、やってみる価値はありそうですね。

◆プロローグ
第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

◆幕間
摩耶が母に月の神殿の禁書庫に侵入して禁書を盗んでくるように命令しているシーン

セントラル・クエスチョン(偽):主人公の解決しなければならない問題:主人公は摩耶を取り戻せるか?
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

こんな感じでしょうか。
ちょっと冒頭で視点移動多めですが……。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信 (No: 19)

スレ主 みりん : 0 No: 13の返信

投稿日時:

訂正

>セントラル・クエスチョン(偽):主人公の解決しなければならない問題:主人公は摩耶を取り戻せるか?

摩耶はヴィランの名前でした。正しくは母杏里を取り戻せるか?
です!

視点移動が冒頭付近で多いのは小説的にはあまり良くない気がするのですが、
デメリットを補ってあまりあるメリットを感じるので、できればこれでいきたいなーと思いました。
ありがとうございます!

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 5)

投稿者 日暮一星 : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 そもそもセントラル・クエスチョン自体が『ストーリー(主人公)の目的を暗示する役割』を持っているので、明確にした方が無難かと。例えば『ヴィランを倒せるのか?』がCQなら『ヴィランを倒すこと』が目的に当たりますし、『母を取り戻せるのか?』がCQなら『母を取り戻すこと』が目的になるわけです。

 ですので、『ヴィランを倒せるか』をCQにするなら、いっそのこと次の日常パートで主人公が直接ヴィランの手にかけられるくらいのことをした方がいいかと。緩急が見受けられないのもそうなのですが、場面が進むたびに主人公の目的が分からなくなるような構成はマズい気がします。

 ヴィランを倒せるかというCQ→仲良く暮らしていきたい→ 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいない→母が生きていると知り、取り戻すと決意

 CQをそのままにして構成に当てはめるなら、
 ヴィランを倒せるか→力のない主人公はヴィランに容赦なく追い詰められる→婚約者を名乗る賢人に助けられヴィランと母について聞かされる→母を取り戻すためにヴィランの元へ主人公は行く

 三幕構成を参考にされているのであれば『ログライン』あるいは『プレミス』を考えていますか? 映画脚本の参考書で必ずと言っていいほどでてくるのですが、どちらも『作品を一言で説明する言葉』を言います。考えているのであれば、幕ごとにその一言を考えて、それに基づいて物語を構成することをお勧めします。自分はこれを考えることでかなり助けられています。

 セントラル・クエスチョンが『主人公が解決しなければならない問題を視聴者へ問いかける』であることに変わりないでしょう。しかしテーマに限って言えば、HOW・TO本によって様々な定義が明記されているので一概には言い切れないのが現状です。

 シド・フィールドの脚本術…キャラと行動

 物語の法則…物語全体を統一する要素となっている、なんらかの人間の衝動や性質を言い表す一つの言葉
 
 SAVE THE CATの法則…なにについての映画(作品)か

 ストーリーの解剖学…人々が社会においてどのように行動すべきかということについての、 書き手自身の観点

 全てハリウッド関係の本ですが、参考になれば幸いです。それでは

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 14)

スレ主 みりん : 0 No: 5の返信

投稿日時:

日暮一星さん、コメントありがとうございます!

>緩急が見受けられないのもそうなのですが、場面が進むたびに主人公の目的が分からなくなるような構成はマズい気がします。
まずいですよね。
緩急というか、アクションシーンは一応一幕にも入れる予定で、省いてますけど、

主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

この部分で、悪霊に取りつかれた人が襲ってきて、それを撃退するというアクションシーンを書こうと思っています。そこではっきり詰めてないんですけど、母親が邪魔しにくるか、母が生きていると口頭で聞くかして、母がヴィランに操られていると思い、賢人に協力することになる感じの流れを書きたいと思ってます。

>三幕構成を参考にされているのであれば『ログライン』あるいは『プレミス』を考えていますか?

一応考えていたんですが、
「天沢夜白が、本来の力を取り戻し、星形成の姫神になる話」
となっていて、なんかズレてる気がするなーって思ってます。

>テーマに限って言えば、HOW・TO本によって様々な定義が明記されているので一概には言い切れないのが現状です。
そうなんですね。勉強になります。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 6)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

ようするに問題提起みたいなモンなので、「ヴィランは敵」「主人公がヴィランを倒す話」とか、そういうわかりやすい提示ができてれば問題ないシーンだと思う。
私は三幕構成推しですが、とはいえあんまり理論に傾倒してもいいこと無いんで、ほどほどにしたほうが良いと思う。

セントラルクエッションというのはセットアップの後に来るものだから、ターニングポイントの展開による問題提起になる。
そのプロットから読み取ると、
>ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する
とあるので、セントラルクエッションは「主人公は母を取り戻せるのか?」になる。

で、テーマはその「主人公が母を取り戻す過程」の話題の表現だから、
>大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい
という話題で「過程」を表現していく事が求められる。
Wikipediaには「誰かがテーマを口にする」と書いてあるけど、これは映画脚本の場合。別に小説でも「誰かが口にする」で問題ないけど、なぜ映画だからなのかというと、映画は尺が短いので端的にわかりやすくパッとテーマを提示しないと序盤でグダってしまうため、最も簡単で単純な方法すなわち「直接口に出す」という方法を取ってる。
小説の場合、まあ小説でも序盤だけを思えば尺は短いけど、映像や音で印象的に表現できる映画と違って小説はセリフだけではインパクトが薄いので、何かしらテーマを表現する演出を考えたほうが良い。
父の死と母がテーマを口にするというのは悪くないと思う。

テーマは「一緒に生きて欲しい(見守ってる?)」という事だから、この話題で「母を取り戻す」を書いていくわけで、「母親の形見」みたいな見守ってくれてる的なアイテムがあったほうがやりやすそう。
テーマを口にするときに主人公に手渡せば一石二鳥。

ほんで、ターニングポイントによる問題提起がセントラルクエッションなら、別にわざわざセントラルクエッションなんて設定する必要ないじゃん?
ターニングポイントが書ければセントラルクエッションは必然的に出てくるわけだしさ。
じゃあなんでわざわざ設定すんのかって言うと、単純にセットアップつまり序盤のターニングポイントまで終わらせた段階で「主人公は母親を取り戻せるのか?」という問題提起が読者に伝わっているかどうか、というチェックのために言語化してるだけ。
映画は小説と違って複数人で作るので、「こういう演出で、こういう意図で、こうなってないとダメ」というのがスタッフ全員に伝わってないといけないでしょ。だから言語化して明確にしてる。

もっとも、みりんさんは今回まぎらわしくて少々混乱しただけだと思うけど、
>セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
と、このように見当違いな回答を出すことも多い。
こうなるとターニングポイントの出来事と一致しなくて、セットアップの第一幕を読んでも何が目的なのかわからない出来になったりする。
なので、言語化して明確にしておくのは悪くはない。
けど一方でセントラルクエッションは慣れれば小説のプロットには不要なものだし(わざわざ考える必要はないという意味)、たしかみりんさんはそれなりに書いてる人だったと思うので、本来は言語化しなくても出来てたハズと思う。
最初に書いた通り、そうした技術や理論に振り回されてもしょうがないので、ほどほどに。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 15)

スレ主 みりん : 1 No: 6の返信

投稿日時:

サタンさん、コメントありがとうございます!

今回三幕構成を勉強しなおして、もとのプロットを三幕構成的に再構成しているところです。
元のプロットが以下。

天沢夜白が、本来の力を取り戻し、星形成の姫神になる話

プロローグ:父が死に、母が行方をくらます。摩耶が現れ、一緒に住むことになる。
つかみ:両親と死に別れ母の友人であるヴィランと二人暮らしをしている薄幸な女子高生の夜白の前に婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れる
説明:地上にいる霊の悪霊化を防ぐため夜空に上げる神になって欲しいと言われる。
後戻りできない動機:実際に人が死んでいるのを知ってしまった。自分しかできないと言われた。
母親が闇落ちしているのを知る
葛藤:静かの海の神殿に行きネクタルを飲もうとするが、ヴィランにネクタルを奪われる。何とか逃げ延びる。
試練:ネクタルなしで神にならないといけない。闇落ちしている母を助けなければいけない
ピンチ:空にワームホールが現れ月から霊が降りてきて、悪霊化する
ヴィランが星を呼び寄せる
クライマックス:覚醒した主人公がヴィランを星にする
おわり:賢人の励ましもあり、闇落ちした母に死なないでと言う。父を星にする
エピローグ:母と二人暮らしの幸せな朝。賢人から舞踏会参加への催促がくる。さらに賢人が転校してくる

ファースト・ターニングポイントにあたる、後戻りできない動機が、3つあります。
このうち、母を取り戻すと決める、というのが一番構成的にいいかなと思ったんですけど、自信がありません。
ログラインも間違っている気がします。
No: 13にも書いたのですが、

クライマックスで、大切な人(息子)が死んだ悲しみに我を忘れ悪に身を落とし自殺したヴィランの悲しみを目の当たりにして、同じように大切な人(父)の後を追って星になりたがる母の気持ちを汲んで星にしてあげようとする主人公を、ヒーローが励まして、素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、そして、死んだ父の魂を星にしないといけない夜白の悲しみを知った母が夜白を支えるために生きることを決意する、というクライマックスが書きたいんです。だから、単純に母を取り戻すというのがセントラル・クエスチョンと言えるのか、あんまり納得できない気持ちがあります。それでいうと「母は、父が死んだ世界で一緒に生きてくれるか?」というのがセントラル・クエスチョンかなーと思いました。

>で、テーマはその「主人公が母を取り戻す過程」の話題の表現だから、
>>大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい
>という話題で「過程」を表現していく事が求められる。
過程は、どっちかというと、夜白が月の神になることを描いている感じがします。
ここのちぐはぐ具合を何とかしないとダメだなーと思いました。

>父の死と母がテーマを口にするというのは悪くないと思う。
テーマを口にするのは主人公です。
母は、父が死んだことにショックをうけて、父の霊魂を星にされないように
主人公が神になるのを邪魔してきます。

>最初に書いた通り、そうした技術や理論に振り回されてもしょうがないので、ほどほどに。
なんか、いままでラブコメしか書いてこなかったので、ファンタジー難しいです。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信 (No: 20)

投稿者 サタン : 0 No: 15の返信

投稿日時:

>ここのちぐはぐ具合を何とかしないとダメだなーと思いました。
このセントラルクエッション、ようは問題提起は、どっちかっていうと読者が感じ取る要素なんですよ。
Wikipediaにある例「バック・トゥ・ザ・フューチャー1」の部分を見てみると、「主人公は元の時代に帰れるのか?」がセントラルクエッション。
で、ファーストターニングポイントは「主人公のマーティがデロリアンに乗って過去にタイムトラベルするシーン」で、このターニングポイントを終えてセットアップの行程が完了する。
序盤を終えて「主人公が過去へ行った」「なら、元の時代へ帰る話なんだろう」とわかる。

言い換えると、ターニングポイントを終えたときに読者が「セントラルクエッション」を持っているか、というのが大事なわけです。
ターニングポイントまでを読み終わって、読者が「セントラルクエッション」という問題提起を理解しているかどうか。
ここでにわとりさんが指摘されてますが、
私が提示した「主人公は母を取り戻せるのか?」という設定にすると、「母親を取り戻す話」になってしまうし、ヴィランとの戦闘は話を盛り上げる要素なだけで最終的な物語の着地点は「母親を取り戻せたかどうか」になります。
これは、感性の問題で人それぞれ意見があるよね、って話じゃなくて、三幕構成の理論を考えたら数学的にこういう答えになる、という話。
「母親を取り戻せるのか?という問題提起」があって、そこに「取り戻せたOR取り戻せなかった」という回答があれば、「その過程は取り戻そうとする内容」でなければ成立しない。結論としてそれは「母親を取り戻そうとする話である」となってしまう。
感性の組み立てではなくて、数学的な話です。

で、作者としてこの展開は違うかな、と感じるのであれば、そもそもセントラルクエッションの設定にミスがあり、そのセントラルクエッションはターニングポイントの問題提起なのでターニングポイントのシーン設計に問題がある。という答えが出せます。

こう考えると、よく言われますが「オチから考えたほうがいい」ってことがわかるんじゃないかと思う。
どこが物語の着地点かを決めておけば、逆算していけばいいだけなので。
プロットにおけるラストは
>クライマックス:覚醒した主人公がヴィランを星にする
>おわり:賢人の励ましもあり、闇落ちした母に死なないでと言う。父を星にする
このように書かれています。
「ヴィランとの戦闘」は「母親を助けるための障害」としてサブプロットに配置するのであれば、これで問題ないと思う。
けど、「ヴィランとの戦闘・決着」や「主人公が神になること」が着地点だと考えているのであれば、セントラルクエッションしいてはターニングポイントの設定が間違ってると思う。
少なくとも現状は「母に死なないでと言う」という文言から、「母親を助ける話なのかな?」という印象を得ます。

>後戻りできない動機が、3つあります。
とあるので、メインになる要素だけを抜き取って、他2つの要素はサブプロットにまとめ、今は考えないようにしたほうが良いと思う。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信の返信 (No: 23)

スレ主 みりん : 1 No: 20の返信

投稿日時:

>言い換えると、ターニングポイントを終えたときに読者が「セントラルクエッション」を持っているか、というのが大事なわけです。
なるほどー。

>「ヴィランとの戦闘」は「母親を助けるための障害」としてサブプロットに配置するのであれば、これで問題ないと思う。
よかったです。とりあえず、ヴィランとの戦闘は、主人公が母に「死なないで」とお願いするシーンが盛り上がるための布石という扱いで問題ないと考えてました。

>少なくとも現状は「母に死なないでと言う」という文言から、「母親を助ける話なのかな?」という印象を得ます。
確かに母親を助ける話ではあるのですが、、、
「母親を取り戻す」だと違う気がするんですよねー。言語化できなくて悔しいですが、
とりあえず、一幕を見終わった段階で、セントラルクエスチョンを読者が理解しているという
状況にもっていけば成功、という訳なんですね。

ひとまず、それで考え直してみます。
無理そうだったら、偽のセントラルクエスチョンを置いて
段階的にセントラルクエスチョンを開示できないか詰めて見ます。

ありがとうございました!

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 7)

投稿者 あまくさ : 2 No: 1の返信

投稿日時:

難しい言葉を使うとかえって分からなくなりますよ。

1)序盤で何か大変なことが起こる。 = インサイティング・インシデント

2)大変なことが起こったので、それを乗り越えなければならない。どうやって乗り越えればいいか? = セントラル・クエスチョン

3)乗り越えなければならない課題がはっきりしたので、その後のストーリー展開の準備完了。 = セットアップ

これだけのことです。
で、構想を拝見すると、複数の1・2・3が混在してしまっている感じです。ストーリーを通して最も重要な1・2・3はどれなのかを意識して、それ以外の1・2・3は枝葉として位置付ける感覚が必要かと。
主人公の目的の本筋はヴィランを倒すことなのか、母を取り戻すことなのか、魂が悪霊化するという状況を何とかすることなのか? それをはっきりと決めるてください。

そもそも、

>母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

ここから一足飛びに、

>主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)

という話にはならないのではないでしょうか? 摩耶の何が悪いのか具体的な内容が書かれていませんから。
よって、ヴィランを倒すことはセントラル・クエスチョンになっていないのです。

>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

であるならば、こちらの方が主人公の目標として本筋に近い感じがします。
でも、このことと母の失踪、ヴィランの登場というイベントがどう結びつくのか、この時点でははっきりしません。そういうところを整理して、主人公がしだいに真の目標を見つけていく過程を考えるのが先決です。それができていないのにインサイティング・インシデント、セントラル・クエスチョンなどの用語に要素を無理にあてはめようとするから、訳が分からなくなっているのだと思いますよ。

セットアップについて (No: 8)

投稿者 あまくさ : 0 No: 7の返信

投稿日時:

通常セットアプの後にインサイティング・インシデントが起こると説明されるようですが。
セットアップは主人公をめぐる前提条件を読者に伝えること。
で、その前提条件を踏まえて何か事件が起こり、それをきっかけとしてストーリーが動き出すわけですから、インサイティング・インシデント~セントラル・クエスチョンまで含めてセットアップが完了するのだと個人的には解釈しています。

一応、補足として。

魂を空に上げる力への探求の軌跡 (No: 10)

投稿者 あまくさ : 0 No: 8の返信

投稿日時:

繰り返しますが、物語の本筋を明確に意識することが大切です。
で、そのためには、テーマがあるならそこから逆算するという方法もあります。セントラル・クエスチョンは、主人公がその本筋を正しくたどるための道しるべと考えてください。

>テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)

これがテーマなら「ヴィランを倒す」はあまり関係ないので、セントラル・クエスチョンにはなり得ません。また、「母を取り戻す」も少し微妙です。なぜなら、母は実は生きていたことが後で明かされるわけですから、「死んでも一緒に生きてほしい」ということとそぐわないからです。
そう考えるとやはり、

>婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

こちらの方がテーマに近いと思うんですね。

それを踏まえて、「母が失踪し、ヴィランがやってきた」ということがインサイティング・インシデントになるかと考えると、これはなると思います。
「母の失踪」はきわめてドラマティックな出来事。そこに母の友人と名乗る女がやってきて家に居座ってしまうというのは、その女と母をめぐって何か大きな秘密があるのだろうと読者に想像させるに十分です。それは読者を引き込む牽引力になり得ますから、この秘密そのものがセントラル・クエスチョンになると思うんですよ。

で、

>婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

この婚約者を名乗る月兎族の賢人は暗中模索状態の主人公を助けるメンターとしてうってつけですし、もちろん素直に恋人役でもかまいません。
悪霊化した霊魂を夜空に上げるのは、冒頭の「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」にも繋がり、おそらく物語のクライマックスでもこれに係わる大きなイベントがあるのでしょうから、ストーリーの全体を通しての中心軸になりそうです。

よって。

セントラル・クエスチョンは「ヴィランを倒す」でも「母を取り戻す」でもなく、霊魂を夜空に上げる月兎族の秘密に主人公が近づく探求の軌跡そのものであるべきで、「ヴィランを倒す」「母を取り戻す」「亡き父への想いを昇華する」などは、それに後からついてくる結果ということになるのではないかと。

魂を空に上げる力への探求の軌跡の返信 (No: 17)

スレ主 みりん : 0 No: 10の返信

投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

>婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

こちらの方がテーマに近いと思うんですね。
ううん。他の方の意見と違う&私の意見と違うので混乱しています。

確かに、当初設定したログラインは、「天沢夜白が、本来の力を取り戻し、星形成の姫神になる話」でした。
けど、テーマは、「大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい」なので、この時点でズレてますよね。
書きたいのは、
クライマックスで、大切な人(息子)が死んだ悲しみに我を忘れ悪に身を落とし自殺したヴィランの悲しみを目の当たりにして、同じように大切な人(父)の後を追って星になりたがる母の気持ちを汲んで星にしてあげようとする主人公を、ヒーローが励まして、素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、そして、死んだ父の魂を星にしないといけない夜白の悲しみを知った母が夜白を支えるために生きることを決意する、というクライマックスです。

それでいうと「母は、父が死んだ世界で一緒に生きてくれるか?」というのがセントラル・クエスチョンかなーと思いました。

ちなみに、あらーいプロットでは、こうです。

プロローグ:父が死に、母が行方をくらます。摩耶が現れ、一緒に住むことになる。
つかみ:両親と死に別れ母の友人であるヴィランと二人暮らしをしている薄幸な女子高生の夜白の前に婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れる
説明:地上にいる霊の悪霊化を防ぐため夜空に上げる神になって欲しいと言われる。
後戻りできない動機:実際に人が死んでいるのを知ってしまった。自分しかできないと言われた。
母親が闇落ちしているのを知る
葛藤:静かの海の神殿に行きネクタルを飲もうとするが、ヴィランにネクタルを奪われる。何とか逃げ延びる。
試練:ネクタルなしで神にならないといけない。闇落ちしている母を助けなければいけない
ピンチ:空にワームホールが現れ月から霊が降りてきて、悪霊化する
ヴィランが星を呼び寄せる
クライマックス:覚醒した主人公がヴィランを星にする
おわり:賢人の励ましもあり、闇落ちした母に死なないでと言う。父を星にする
エピローグ:母と二人暮らしの幸せな朝。賢人から舞踏会参加への催促がくる。さらに賢人が転校してくる

>>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
>であるならば、こちらの方が主人公の目標として本筋に近い感じがします。
>でも、このことと母の失踪、ヴィランの登場というイベントがどう結びつくのか、この時点でははっきりしません。
ああー。じゃあ、この段階で摩耶がヴィランだとばらすことができますね。
母の真意は第二幕で父の霊から聞く予定なので、それまでは、ヴィランに操られている、
という感じにして、ヴィランから母を取り戻す暗示を解くための魔法を使えるようになるために、
月の神になる決意をするって感じでしょうか……。
まったく決めてないわけじゃないけど、ぼやっとしてますね。詰めないと。

いろいろ書きましたけど、やっぱりログラインにそう

>婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

がセントラル・クエスチョンだと思いますか?

魂を空に上げる力への探求の軌跡の返信の返信 (No: 25)

投稿者 あまくさ : 0 No: 17の返信

投稿日時:

ちょっと話がかみ合っていないようです。
まあ、私の書き方も悪かったかもしれませんが。

>>婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

>こちらの方がテーマに近いと思うんですね。

>ううん。他の方の意見と違う&私の意見と違うので混乱しています。

いや、テーマに近いとは言いましたが、テーマそのものだとは言っていませんよ?
というより私としてはテーマの話をしているつもりはありませんでした。セントラル・クエスチョンをテーマから逆算して考えるなら、案外これが一番つながりやすいんじゃないかと考えたんです。
みりんさんだって、

>テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)

(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)と仰っていたじゃないですか。これって、死んだ大切な人への想いを表すと共に、後に出てくる霊魂を夜空にあげて星にする力の伏線にもなっていますよね?

最初に、

>というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

と質問されていましたね。
セントラル・クエスチョンとテーマはもちろん違います。
セントラル・クエスチョンというのは、序盤に起こる事件を受けて読者を物語に引き込む興味のことです。そしてその興味が、ストーリー全体を通じて変化しながらラストまで読者を引っ張ってくれるのが理想。だからファースト・クエスチョンではなくセントラル・クエスチョンなんです。

なので失踪した母を探すというのは、この構想の場合、セントラル・クエスチョンとしては物足りません。そもそも「大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい」というテーマとは少しずれているし、一度は死んだものと思い込まされるならそれも主人公にとっての「大切な人の死」かもしれませんが、それだと母は実は生きていたということが分かった時点で解消してしまいます。だからテーマまで行きつかないモチーフだと思ったんです。
それよりも、魂を空にあげて星にするという能力は死んだ大切な人への想いを象徴的に表現しているわけですから、こちらの方がテーマに近くないですか?

繰り返しますが、それはテーマそのものではありません。読者にテーマを強く意識させながら終盤まで導く牽引力であればいいんです。それがセントラル・クエスチョンです。

みりんさんの物語には、大切な人の死というモチーフがいくつも散りばめられています。父の死。実は嘘だった母の死。摩耶の息子の死。父を想う母が望む自らの死。
母の失踪と摩耶の登場がインサイティング・インシデントだとすると、読者はまず「そこにどんな秘密があるのだろう?」という興味を抱くと思うんですね。だからこそ、セントラル・クエスチョンが生じるわけです。
次に婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れて、魂を空にあげて星にする能力という新たな世界に主人公を導きます。この能力は死んだ大切な人への想いを象徴。これが摩耶にからんだ後半の波乱要因に発展し、ラストではその摩耶も死んだ息子への想いに憑かれていたことがわかる。
こういう流れなのだから、魂を星に変える能力はバラバラな要素を一つに繋ぐ一本の線になっていると思うのですが、いかがでしょうか?

魂を空に上げる力への探求の軌跡の返信の返信の返信 (No: 28)

スレ主 みりん : 0 No: 25の返信

投稿日時:

◆プロローグ
第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

◆幕間
摩耶が母杏里に月の神殿の禁書庫に侵入して死者蘇生のことが書かれたとされる禁書を盗んでくるように命令しているシーン(ヴィランの目的の提示)杏里は父の霊を蘇生するようにヴィランにお願いする(杏里の目的の提示)
セントラル・クエスチョン:夜白は母を救えるか?

◆一章
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。(朝、テレビのニュースで殺人事件が頻発している。犯人は憶えていないと供述)
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。その少年、婚約者を名乗る月兎族の賢人に、悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
賢人の頼みを断わる夜白だが、悪霊を目の前で見てしまったこと、正気に戻った霊に「成仏させてくれ~」と言われ、賢人にも「夜白様にしかできないことです」と言われて神の杖を受け取ってしまう。
その夜、賢人に霊が暴れている現場(ひと月前に交通事故があった現場)に連れて来られるが神の杖を振っても魔法を使えない。「無理だよ」と泣き言を言う夜白に、賢人も戸惑いを隠せない。
そこへ、杏里がやって来て、神の杖を奪おうとしてくる。賢人と杏里がバトル。呆然とする夜白。バトルは賢人の勝利。去っていく杏里を追おうとする夜白を賢人が止める。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母がヴィランに操られていると思った夜白は、母を救うために月の神になろうと決意する。

なんか、よくわからなくなったので、プロットを詰めて見ました。
ファースト・ターニングポイントでは、確かに月の神になろうと決意する、というところまで決まるので、こう書いてみたのですが、セントラル・クエスチョンは夜白は母を救えるか?かなーと思いました。

今回書いてみた案はどう思いますか?
問題ありそうだったらまた考えます。

魂を空に上げる力への探求の軌跡の返信の返信の返信の返信 (No: 34)

投稿者 あまくさ : 1 No: 28の返信

投稿日時:

レスが前後してしまいました。№33はこの新プロットを拝見する前に書いたものです。
新プロットですが、やはりセントラル・クエスチョンにこだわりすぎてストーリーが歪んでいる感じです。

>セントラル・クエスチョン:夜白は母を救えるか?

とあるのに、その後すぐに、

>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。その少年、婚約者を名乗る月兎族の賢人に、悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。

となっています。
これ、繋がっていない気がしますが、いかがでしょうか?

創作理論というやつは、鵜呑みにするのではなく、なぜそうなのかを理解して自分なりにアレンジして使わないと上手くいかないものです。

新プロットにつての感想 (No: 35)

投稿者 あまくさ : 0 No: 34の返信

投稿日時:

まず。
ここまで提示されたプロットそのものは、大筋では悪くないと感じます。
しかし何度も言いますが、理論に当てはめようとしているところに少し疑問手が生じてしてしまっている気がしました。

>セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
(中略)
>母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

ここは悪くないというより、かなりいい感触です。そう思う理由は何度も書いたので省略。

気になるのは次の幕間。ここに複数の疑問を感じました。以下、それを説明します。

1)いきなりネタバレになっている。
 母が失踪した理由の一端。摩耶がヴィランであること。この二つを早々と開示してしまっています。私的にはこれらの謎が読者の興味につながると考えているので、もう少し引っ張った方がいいように思えます。(ヴィランの目的の提示)(杏里の目的の提示)と書かれていますが、セットアップとして必要な情報の提示というよりも、悪い意味でのネタバレになっている気がしました。
 同時に月の神殿や蘇生の禁書などのキーワードも示されますが、それらについてはここで読者にチラ見させておくのは効果的かもしれません。

2)読者と主人公の知識のギャップ。
 主人公が知り得ないことを読者に示しています。そういうテクニックもあるにはあるでしょうが、計算の上でしょうか? これは冒頭でやると主人公への感情移入の妨げになるので考えものだと思うのですが。

3)主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていない。
 「夜白は母を救えるか?」は、この時点では主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていません。
 2に関連しますが、これは読者だけに知らされた情報から生じるクエスチョンなんですね。なので、プロットの都合で作者がセントラル・クエスチョンを読者に教えただけという状態になっていないでしょうか? セントラル・クエスチョンはその後のストーリーを牽引する重要な要素のはずなので、それを読者と主人公が共有できなくても大丈夫なのかな? という疑問です。

以上の問題があるため、「夜白は母を救えるか?」という課題がまだ「夜白の課題」になっていないんですね。だから夜白が動き出すきっかけにならず、少し遅れて、

>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。

というイベントを入れることが必要になっています。
大まかな流れとしてはこれでいいと思うのですが、ここまでのパートに欠けていると思うのは夜白の主体性です。手探りでもいいから彼女自身が一歩一歩前に進み、テーマを目指すように描いた方がいいのではないかと。その方が読者は共感しやすいのではないでしょうか?

……ちょっと押しつけがましい書き方になっていたら、すみません。別に私の考えを強要するつもりはないのですが、どこに懸念を感じたかを伝えるために踏み込んだ説明をしてみました。
幕間パートはみりんさんが必要と判断してのことならいいのですが、「序盤に分かりやすいセントラル・クエスチョンを提示しなければならない」ということに拘って無理にねじ込んでいるように見えます。それがストーリーの狙いを少しおかしくしているように感じました。

新プロットにつての感想の返信 (No: 38)

スレ主 みりん : 0 No: 35の返信

投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

(No: 37)に、第4稿のプロットをあげました。
できれば、これでいきたいと考えています。
とりあえず、あまくささんのご指摘のあった3つの疑問については解消されている
セントラル・クエスチョンになっているはずです。
これ以上のセントラル・クエスチョンを思いつかないので……。

>「大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?」
をセントラル・クエスチョンにすると、途中母杏里が登場した時点で、「大切な人が死んでしまった世界で」
という条件があいまいになってしまう懸念はあるのですが、父陽斗が死んでいることに変わりはないし、
母杏里にとってはこの問いが解消されていない、ヴィラン摩耶にとってもこの問いは解消されていない、
という訳で、クライマックスまで引っ張れる問題定義だと思います。
それに、夜白には、「母の催眠を解く」という偽りの目的を持たせられているので、どういう話かわからない、
という状態にもならないように気をつけるつもりです。

これ以上の案を思いつけないし、筋が通っていると思うので、これでいきたいです。
ご意見とても参考になりました。ありがとうございます!

魂を空に上げる力への探求の軌跡の返信の返信の返信 (No: 33)

投稿者 あまくさ : 0 No: 25の返信

投稿日時:

ああ、そうか。
最初のご質問の真意がやっと理解できました。
母の失踪と、主人公の前に摩耶が現れたこと。これをインサイティング・インシデントと規定すると、そこからラストやテーマに繋がり、かつ序盤の時点で明確に読者に伝えられるセントラル・クエスチョンを発生させるのが難しい。どうしたらよいか?
そういうことだったんですね。

いや、それがまったく分からなかったというわけではないのですが、ちょっと軽視したというか。
別にクエスチョンという言葉にそんなにこだわらなくてもいいんじゃないの? という方向に私の思考が進んでしまったんです。要は読者の興味を強く引き付ける要素が作れて、それをラストまで持続させることができればいいわけなので。
みりんさんの場合、そこで無理に「母の失踪、摩耶の登場」に結び付けて「主人公は~ができるのか?」という形の問いを作ろうとお考えになったから、「摩耶を倒すことができるか?」がセントラル・クエスチョンになるのかなあという感じになったんですね。
しかし、それはやはり型にはめようとしすぎなんじゃないでしょうか?

>セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

これは一番最初のご質問ですが、暗示的でも読者が受けるインパクトが強く、何らかの方向性が示せればいいと、個人的には思います。
母の失踪と摩耶の登場から読者の興味を引き出せるのではないかと何度か書きましたよね?
何か大きな秘密があると読者に予感させれば、真相を知りたいという欲求を読者は抱くのではないかと。ですからこの時点でのセントラル・クエスチョンは強いて言えば「主人公は真実を知って、不安定な状況から解放されることができるか?」でもいいと思うんですよ。
で、この場合のクエスチョンは一種のミスリードになります。しかし、婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れることによってステージが変わり、「死者は星になって見守っている」という伏線を拾いながら新たな展開に話は進みます。それもまた壮大なミスリードかもしれないわけですが、何度も書いたように、後半~終盤の摩耶や母の真情に繋げることが可能な内容にもなっています。

私見になってしまうかもしれませんが、セントラル・クエスチョンはこのように変化しながらラストに繋がっていく形でもいいのではないかと。そこに一貫性を与える象徴的な要素として、魂を空にあげて星に変えるというモチーフが有効に使えるのではないかというイメージでここまで書いてきました。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 9)

投稿者 にわとり : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 セントラルクエスチョンはこの場合"母と再会すること"になるんじゃないの?
 それならインサイティングインシデントで母が失踪→ターニングポイントで母の生存を知る→主人公が母を探す物語、ということで全部つながるじゃん。
 これが大枠になるってことは、悪霊退治やヴィランとの対決はすべて母をさがして取り戻すために必要なことになるはず。というかそうじゃなかったら「母を取り戻すことを決意したが、それはそれとしてヴィランは倒さねばならぬ」みたいな話になって軸がぶれてしまう。
 母を取り戻したい→そのためにはヴィランを倒さなければならない、という因果関係ができてるなら、ヴィランの登場や正体の判明は遅くても問題ないでしょう。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 16)

投稿者 にわとり : 0 No: 9の返信

投稿日時:

 ……と一度は書いたものの、あまくさ氏のNo.10を読んで考えが変わった。
 たしかにセントラルクエスチョンを『母を取り戻す』にしてしまうと、テーマの『大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい』にいまひとつそぐわない印象がある。それに物語のピークがヴィランとの対決じゃなくて母との再会に来てしまいそうな気もするし。
 で、過去の質問も踏まえて考えると、構想中の作品には"死者の霊魂を無理に地上に縛り付けておくべきではない"みたいな死生観がある様子。ヴィランとの対決で焦点になるのもそこなのかな、と感じる。つまりクライマックスではヴィランを物理的に倒すだけではなく、思想的にも勝利しなければならないんじゃないかと。
 そこから逆算すると、セントラルクエスチョンは「大切な人との別離にどう向き合うか?」だったりしない?

 インサイティングインシデントで母親の失踪を経験した主人公が、喪失感を乗り越えて母の不在を受容することで、ヴィラン(=異なる価値観)に打ち勝つ話、みたいな。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信 (No: 18)

スレ主 みりん : 0 No: 16の返信

投稿日時:

>それに物語のピークがヴィランとの対決じゃなくて母との再会に来てしまいそうな気もするし

私は一番書きたいのは、何度もコピペで申し訳ないんですが、

クライマックスで、大切な人(息子)が死んだ悲しみに我を忘れ悪に身を落とし自殺したヴィランの悲しみを目の当たりにして、同じように大切な人(父)の後を追って星になりたがる母の気持ちを汲んで星にしてあげようとする主人公を、ヒーローが励まして、素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、そして、死んだ父の魂を星にしないといけない夜白の悲しみを知った母が夜白を支えるために生きることを決意する、というクライマックスです。

だから、単純に母を取り戻すというのがセントラル・クエスチョンと言えるのか、あんまり納得できない気持ちがあります。それでいうと「母は、父が死んだ世界で一緒に生きてくれるか?」というのがセントラル・クエスチョンかなーと思いました。

だから、クライマックスの一番盛り上がるところは、母と向き合うシーンでも特に問題は感じないんですけど……。
間延びしますか?

>インサイティングインシデントで母親の失踪を経験した主人公が、喪失感を乗り越えて母の不在を受容することで、ヴィラン(=異なる価値観)に打ち勝つ話、みたいな。
母の不在を受容するというか、母に愛されていたという記憶を思い出す(風邪をひいた時に母が飲ませてくれたジュースが神の酒ネクタルだった)ことで覚醒・本来の力を取り戻し、神になってヴィランを倒すという流れなんですけど……。愛されていることを思い出して力を得た夜白は、ヴィランを倒すけれど、ヴィランの亡くした人を追いたいという気持ちを受け止めて、一度は母も星にしてあげようと考えるけれど、ヒーローに励まされて本音を話し、その涙に心打たれた母を思いとどまらせる(改心させる)というような話を書きたいです。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信の返信 (No: 31)

投稿者 にわとり : 0 No: 18の返信

投稿日時:

 あっはあ。そういうことね。
 ヴィランはあくまで中ボスで、ラスボスは母親なわけだ。
 前にディズニーっぽいヴィランを書きたいとか言ってたから、"ヴィランを倒して大団円"みたいな構想なんだろうと思いこんでた。そういうわけじゃないんですね。

>素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、

 ここが物語のピークになるなら、『これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで』はセントラルクエスチョンの"答え"であるべきなんじゃないの? 大切な人がうしなわれてしまった世界で自分だけ生き続けるのってキツくね? という問いが最初にあって、それに答えて「生者のエゴかも知らんが生きてくれ」っていうのがクライマックスなわけでしょ。
 じゃあセントラルクエシチョンは「大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?」じゃない? 主人公ははじめ母親が死んだものと思いこんでちょっと生きる意味が分からなくなっているんだけど、もし自分が死んだら婚約者の賢人は悲しむだろうなという気付きによって現世に引き戻される。自分まで後を追って死ぬべきじゃない! 生きなきゃならない! 遺された人の気持ちを考えろ!
 で、クライマックスで母親と対決。最終的に母親を説得して現世につなぎとめることに成功し、大団円。これでどうよ?

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 32)

投稿者 にわとり : 0 No: 31の返信

投稿日時:

 この場合、ヴィランの位置づけがどうなるかっていうと、もしどこかで道を間違えていたら自分や母親ももしかしたらこうなっていたかもしれない、ありえたかもしれない最悪の未来予想図なんじゃないだろうか。パラレルの自分自身。鏡像。
 賢人だって主人公が何かの間違いで死んだらショックのあまり師を認められなくてヴィランと同じことをやらかしてしまうかもしれないし、やっぱ自分ひとりの気持ちだけで簡単に死を選んだりしちゃだめなんだなっていう教訓を主人公が得るための反面教師。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 37)

スレ主 みりん : 0 No: 31の返信

投稿日時:

にわとりさん、コメントありがとうございます!

>じゃあセントラルクエシチョンは「大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?」じゃない?
確かにクライマックスから逆算すると、そうなりますね!

私はどちらかと言うと、死んだほうがマシというか、死ぬことでしか救われない魂もあるという派閥の人間なので、その悲しい摩耶の死を見送った主人公が、母を星にするか悩む、というのを書きたいなと思ったりしました。
摩耶は前向きで頑張り屋さんで、本当はつらくて押しつぶされそうなんだけど、それを押し殺して良い子をしちゃうような子にしたいんですよね。うまく書けるかは別として。本音を押し殺して頑張っちゃうコが、理解者である賢人の支えを得て、本音を話せるようになるっていうのも書きたいです。それもある意味成長かなと思ったので。
この辺の、最初から前向きなところが、ディズニーを目指してた名残ですねー。いや、当初はディズニーを目指してたんだけど、無理でした。まあ、でも気に入ってるのでこんな感じで書けたらいいなと思ってます。
以下プロット第4稿を張り付けておきます。もう少し詰めてから、夏くらい目途に書きあげたいと思います。

■第四稿
◆プロローグ
第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる。摩耶「杏里は死んだわ。旦那のいない世界で生きていく意味を見いだせなかったのよ。私も息子を亡くしているから、気持ちがわかる……。夜白、あんたはどうする? 天涯孤独の身で、守ってくれる人は誰ひとりいない。それでも、生きて使命を果たす?」「使命……?」「いずれすべてわかるわ。私は夜白の味方よ。辛いことがあれば、助けてあげる」「それは……どういう意味ですか?」「あらゆる意味で、よ」「……」
セントラル・クエスチョン: 大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?
◆一章
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。(朝、テレビのニュースで殺人事件が頻発している。犯人は憶えていないと供述)
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。その少年、婚約者を名乗る月兎族の賢人に、悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。(杏里様から話を聞いてないのか?この非常事態に。ママは死んじゃったから……)
「とにかく、今はそんな気分じゃないから!」賢人の頼みを断わる夜白だが、悪霊を目の前で見てしまったこと、正気に戻った霊に「成仏させてくれ~」と言われ、賢人にも「俺だって、あなたみたいな小娘に大任を任せるのは不安ですが、月の国では王位第一継承者が月の神になると決まっているんです。規則です。したがってください」「小娘って、どう見てもおなじ歳くらいじゃない!」「俺の方が一か月年上です」「はあ!? そういうのを誤差って言うのよ!」「とにかく、受け取ってください!」と言われて神の杖を受け取ってしまう。
その夜、賢人に霊が暴れている現場(ひと月前に交通事故があった現場)に連れて来られるが神の杖を振っても魔法を使えない。「無理だよ」と泣き言を言う夜白に、賢人も戸惑いを隠せない。
そこへ、杏里がやって来て、神の杖を奪おうとしてくる。賢人と杏里がバトル。呆然とする夜白。バトルは賢人の勝利。去っていく杏里を追おうとする夜白を賢人が止める。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母がヴィランに操られていると思った夜白は、母を救うために月の神になろうと決意する。
◆二章
第二幕前半・順調に進む: 宇宙船に乗る(立体映像で彗星の接近を紹介)
ファン・アンド・ゲームス(お楽しみ):賢人が部下に恋愛でからかわれる
月にある「静かの海」の神殿に行く(神殿の禁書庫に何者かが侵入した事件があった)
夜白は、母が自殺したと思っていたが、実はヴィランに操られていただけと思い喜ぶ。(私、ママにとっては支えになれなかったんだなって悲しかったから)
ミッドポイント:衝撃となる出来事が起こる: ネクタルを飲もうとするが、摩耶にネクタルを奪われる。母を説得しようとするが、母は操られていた訳ではなく自身の意思で動いていたと判明。
第二幕後半・状況が悪化していく: 何とか逃げ延びる。
悲しむ夜白
父の霊に出会い、杏里は父を地上に留めるために死者蘇生の秘術を行おうとしていると知らされる
自分のために苦しんでいる杏里を見たくない、夜空にあげてほしいと父に頼まれた夜白は頷く。
摩耶が空にワームホールを開き月から霊が降りてきて、悪霊化して地上は混乱する
おびき出される形で夜白、賢人たちが駆けつける
杖を奪われる
ヴィランが秘術をもちい息子を蘇らせようとするが、失敗して土くれになってしまう
ヴィランが星を呼び寄せる
賢人が宇宙船に戻る
逆上した摩耶が、夜白を殺そうとするが、杏里が代わりに攻撃をうけ負傷する
彗星は迎撃成功するが、摩耶が、さらに神の力を使って恒星を呼び寄せようとする
倒れた杏里を見て気絶した夜白は精神世界へ。母に愛されていたことを思い出し、本来の力を取り戻す
(幼少時、ひどい熱を出した時にネクタルを飲ませてくれた)神(兎のぬいぐるみ)に出会う
覚醒した夜白は摩耶を救おうとするが、摩耶に声は届かず自殺
息子のところに行かせてくれと頼まれて、夜白は摩耶を夜空に上げる「ありがとう」
セカンド・ターニングポイント・決断を迫られる:母を夜空に上げるか?

第三幕:最期の試練に勝利(敗北):一度は母も摩耶のように父といっしょに夜空に上げようと考える
賢人が駆けつけて、手を握ってくれて勇気をもらう
「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」
陽斗「夜白、いつもお空の上から見守っているからね。賢人くん、夜白を頼んだよ」
夜白「うう、わああああああん」
陽斗や地上の霊たちを夜空に上げる

エピローグ
母と二人暮らしの幸せな朝。賢人から舞踏会参加への催促がくる。さらに賢人が転校してくる

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 22)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

最新欄におじゃまします。

分からんなりに読んだつもりで質問
目指しているのは【ぷりきゅあ】か【まどか☆マギカ】どっち?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語において否応なく重要になってしまう部分は『ヒメガミへの変身』だと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ぷりきゅあにおける【変身】はバトルシーンで見せ場ですが・・・実はストーリー上は比較的どうでもいい所です。ストーリー・ラインははバトル外で編まれていきます。

まどか☆マギカにおける【変身】はストーリー上では重要ですが、見せ場は10秒くらい。バトルは一切なしです(ヒロイン以外は戦っていますけれどね)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ストーリーだけ読むと、まどか☆マギカ寄り・・・・平凡な主人公がヒメガミ変身&ヴィランという【とんでもシステム】に翻弄され真実にたどり着く物語になります。

これをメインにすると、このヒメガミ・システムとは?月兔族の本当の狙いとは!?みたいなラインに流れがちで、家族の情のほうが添え物になるんです。
ヒロインは本当にヒメガミになってしまうの?的な。

ぷりきゅあ寄りだと、ストーリー開始時点で白夜ちゃんは積極的にバトルしており、その理由が両親を奪われた復讐。だが両親はヴィランに成り果てる形で生きていることを知り、
――――――主人公は両親をヴィランとして退治してしまうのか?、みたいに家族の情のほうがメインになる。

ちょっと読ませていただいた感じ、「月兔族」だの「姫神」だの「月送り」だの専門用語が多い。意味分かんねーよ。FFかキングダム・ハーツの新作設定かよ。

このままじゃあ設定を理解する部分にシェアを食われて、家族愛がオマケになるで?

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 24)

スレ主 みりん : 0 No: 22の返信

投稿日時:

>読むせんさん、コメントありがとうございます!

いや、ごめん。
ぷりきゅあもまどか☆マギカも見たことないんだわ……。
読むせんさんが何を言ってくれてるのか全然わかんないよ。
「月兎族」だし、「月送り」なんて初めて聞いたし、「夜白」ちゃんだかんね。

うーん。バトルがおまけで、家族愛がメインかな。
専門用語については、順を追って説明する気ではいるけど、あんま自信ない。
ただ、公開している設定資料に関しては、説明する気が全くないから、その点はごめんやで。

ではでは。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信 (No: 26)

投稿者 読むせん : 0 No: 24の返信

投稿日時:

誤変換の粗い!じゃなくて嵐!!いろいろゴメン。そもそも変身とも書いてないですよね(;´Д`)
変身って書いてしまう方が楽だからつい・・・・えっとね。少年漫画とかで例えてもわかんなそうですよね。FFやドラクエも難しいか・・・なになら(;´Д`)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここに2つのシナリオを上げます

①【ダンス】が好きな主人公が、ダンスの優劣だけで成績が決まる「ダンス学園」とかに行って、学園でダンスバトルして、合間に友情とか恋とかして、あくのダンス軍団と戦って、最後に地球をかけて悪のダンス・キングとダンスバトルする(某バ神ゲー)。

②【ダンス】が好きな主人公が、プロのダンサーになるためにコンクール出たり海外留学とかして、ライバルとの確執や業界の腐敗、スランプや壮絶なイジメにも耐え抜いて、観客が押し寄せる最高の舞台で自分のダンスを踊る。

この2種類のうち、どちらが「家族の愛」をメインにしやすいシナリオだと思う?
たぶん①です。

②だと「ダンス」こそがメインであり、家族の愛とかが入る余裕がないんです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魔法の杖と幽霊 星にあげる 髪の力 ヴィラン 姫神 月兎族 スペースでブリ 静かの海の神殿 ネクタル ワームホール 月から幽霊が堕ちてきて悪霊化 舞踏会 転校生 婚約者 ヴィラン ヒーロー

かな?サイエンス・フィクション、ファンタジー、学校ラブもの、シンデレラ要素(舞踏会)、オカルト要素、ギリシャ神話、比売神(ひめがみ)信仰、アメコミ要素・・・・・・・

うん、設定が乱立してるよ。もうちょいシンプルな構造にするか、言葉を統一したほうがいい。
大事にしたいメインテーマが、ギミック部分に食われてしまうと思う。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信の返信の返信 (No: 29)

スレ主 みりん : 0 No: 26の返信

投稿日時:

>大事にしたいメインテーマが、ギミック部分に食われてしまうと思う。
その危険は確かにあるんですよねー。
というか、設定ましましだと自分でも思う。
けど、だからこそ、プロットでセントラル・クエスチョンの設定とかをしっかり書こうとしている訳で。
とりあえず、このまま書いてみる。

あと、変身は、確かに変身なので、問題ないですよ。

ありがとうございました!

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 27)

投稿者 のん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 こんばんは、思ってた話と違ったようなので再び失礼します。

▼大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい
 これを「一緒にいて欲しい」と捉えたんですが、寂しさを表に出していたのは主人公よりも母親の方だったんですね。「死なないで」って意味でしたか。

 となるとこのテーマは息子を亡くしたヴィランにも当てはまりますし、他の方も仰っているようにヴィランを味方として考えたら良いんじゃないでしょうか。中盤で敵だと判明したとしても、「死なせたくない相手」くらいには出来ると思います。

 一幕目でヴィランを母親の代わりにすると、「息子を亡くした」ことや、それに対するヴィランの悲しみを出していくことになりますが。それでもよければ母親の代わりにしてテーマの提示に使って、ターニングポイントで母親の生存が分かったら、そちらも助ける方向に舵をきればいいでしょう。

 この場合セントラル・クエスチョンは「母親(の心)を救えるか?」ですかね。
 サブ的にヴィランの救済や敵対する事への葛藤も書けそうですが、何にせよヴィランが死んでしまうことでラストの何ともいえない物悲しさがうまれると思います。

 では、今度こそ失礼しました。
 

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 30)

スレ主 みりん : 0 No: 27の返信

投稿日時:

のんさん、再訪ありがとうございます!

>中盤で敵だと判明したとしても、「死なせたくない相手」くらいには出来ると思います。
ううん。ヴィランは無差別殺人犯なので、同情はするけど死んでくれてすっきり、くらいの感じになって欲しいと
考えています。

>一幕目でヴィランを母親の代わりにすると、「息子を亡くした」ことや、それに対するヴィランの悲しみを出していくことになりますが。
ヴィランの悲しみは出したい要素なので、嬉しいです。
うまく書けるように調整したいと思います。

夜白は、ヴィランにも同情して救いたいと思いそうだなーと思いなおしました。
物語の構造上、ヴィランにはさっくり自殺して退場して頂いて、母とのクライマックスを盛り上げてほしいなーと思っていたので、倫理観がバグってました。
ありがとうございます!

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 36)

投稿者 雨オカマ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 あまり三幕構成に詳しくないので、議論をかきまわすかもしれませんが、自分の認識が間違ってないか確認したいのもあって、力不足ながらコメントさせていただきます。
 
 セントラルクエスチョンとは、おそらく初期に提示され、全体において主人公を引っ張る「根本的な動機」の提示だと思うのです。そしてその動機は始めは大雑把で、話が進むごとに具体的な達成の方法や困難が提示され、それに苦悩しつつ、手段を変えつつ、揺らいでも、気持ちは変わらず主人公を引っ張っていくのだと思います。
 多分セントラルクエスチョンは「母と再び家族として暮らす(ただしあまり言葉にこだわらないで)」あたりでいいのではないでしょうか。およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。それを提示するインサイティング・インシデントですが、これは摩耶の登場そのものではなく、表現は直接的か、一見前向きかは別として、「摩耶に冷たくされ、孤独を感じて、母に会いたいと感じる」「(その時点の認識で)亡き母に対する思いが生じる」になるのではないですか。ここまでは目的というほどでもなく、思いとして。摩耶をインサイティング・インシデントとして、母親と言う目的と結びつけるならば。
 そしてそのあと婚約者が登場、その巻き込まれ型の出来事のなかで母親が見つかるという、主人公の辛い感情(問題)が解決される具体的方法が提示され、具体的な目的を持った物語が開始されるのではないかと。
 セントラルクエスチョンは主人公の動機を通して読者に提示されるストーリーの大まかな骨組みのようなものではないかと思います。これによって以後の行為が、目的に近づくか遠のくかで善い悪いを判断されつつ、それが最終的にどのような形になるのか、読者が想像しながら読む、そのための道筋となるものというような。
 作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。当初の質問でセントラルクエスチョンとして掲げられた「ヴィランを倒す」も「最後の戦闘パート」「最大の障壁」であって物語に一貫するセントラルクエスチョンではないように思えます。これがセントラルクエスチョンになるには、このこと自体が主人公の最終目的として意図されなくてはならないはずですから、「倒し」自体が心理的な目標になり、その方法を探す物語になるのではないでしょうか。
 テーマは、完全に私見ですが(三幕構成で定義されているならごめんなさい)、この親子の物語を通して「読者」にどのような価値観を届けたいかと言うことだと思います。それは、作者様の思うものと同じではないかもしれませんが、このタイプの物語が取りうるものとしては「死者をないがしろにするのでもなく、しかし囚われるのでもなく生きるにはどのように思い、そして行為すべきか」というようなことではないかと思います。ただ、物語としてどう伝えるかはよくわかりません。
 分かりやすいものでは、自分の好きな事柄を悪を倒すものとして描けば、その好きなものは「善なるもの」であるというメッセージやテーマを(首尾よく描写出来れば)発せられるとは思いますが、ちょっとこの物語には当てはまりそうにない。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 39)

スレ主 みりん : 1 No: 36の返信

投稿日時:

大ボーイさん、コメントありがとうございます!

>およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。
「取り戻す」だけでは、母の気持ち「夫が死んだ世界で生きているのは辛い」が解消されないので、足りないんです。物理的に戻ってきても、心の救済がなければこの話ではハッピーエンドにできないんです。ただ、救済できているかというと、そうでもないんですよね。人の死によってうけた心の傷をいやすことは出来てなくて。でもそれでも生きることを選択してもらう、そのために主人公が頑張る物語です。

>作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。
仰る通り、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのは、テーマというよりはメッセージに近いかもしれませんでした。「一緒に生きてほしい」というのは、主人公の欲求であり、普遍的なメッセージでもあるんです。「残された人は、それでも生きなければならない」というような感じでしょうか。ただ作者の主張というか、そういうものがテーマなのかと思っていたので、今回はこうなりました。
本当は、もっと「死と生」とか、「死んだ人が星になるという祖霊信仰」とか、そういうのをテーマと呼ぶのかもしれません。正直、テーマってよくわかりません。ただ、どのような価値観を届けたいかでいうと、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのが私の価値観です。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信 (No: 40)

投稿者 雨オカマ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信 (No: 42)

スレ主 みりん : 0 No: 40の返信

投稿日時:

>大ボーイさん、再訪ありがとうございます!

セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

それで私も大ボーイさんと同じように混乱して、セントラル・クエスチョンを用意できなくてご相談した次第です。

>最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
セントラル・クエスチョンが変遷していくという形は、ふつうにみられるというご意見は他の方にも頂いたので、テンプレートなんだと思います。ただ、ハッリウッド式では、最初の段階では主人公にとって意味がわからなくても良いので、クライマックスでイエス、ノーで答えられる問いになっている模様。今回は、様式に従って設計してみたかったので、こだわってみました。

>でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。
お褒めにあずかり、光栄です!
自分では良いと思ってるんですけど、良いと思ってるのは私だけかもしれないと危惧してましたので、
少しでも褒めていただけるとこれから本文起こしたりするときのモチベーションになります!
自分では言語化できてなかった魅力なので、ちゃんとそう見えるように頑張ります。

参考になりました。
ありがとうございました!

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかも。 (No: 41)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかもしれません。
この件について返信させていただくのは、これが最後になると思います。みりんさんにかえって負担をかけるのは本意ではないので、レスはお気遣いなく。この掲示板で意見交換するのは私にとってもよい訓練になっています。

いろいろと分かっていらっしゃる方とお見受けしますので、これ以上私がどうこう言う必要はないのかもしれませんが、以下は一応の参考ということで。

構想されている物語は、「大切な人の死と、残された者の想い」というモチーフが繰り返し示されています。試みに整理してみると、

1)主人公天沢夜白の父の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→父)

2)夜白の父の死に対する、母杏里の想い。(杏里→夫)

3)摩耶の息子の死と、それに対する摩耶の想い。(摩耶→息子)

4)最期に自死を選んだ摩耶の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→一抹の共感をおぼえた敵)

5)(摩耶の偽りとしての)杏里の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

6)自死を望む杏里と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

この中から( )の左側が主人公夜白になっているのは、1・4・5・6です。言い換えると、テーマに対する主語が主人公になっている項目、ということです。
このポイントは強く意識してほしいです。

エンタメ・ストーリーは主人公が何をするかが大切。
2・3は重要な要素ですが、これの比重を大きくしすぎると、主人公ではなく他人の物語になってしまうんですね。ですから2・3はあくまでもサイド・ストーリー。主人公にとっての反面教師だったり、行動をうながすきっかけだったり、終幕をめざすヒントだったり。そういう位置づけに止めたいです。

次に、残された者の想い。

これにまつわり、「魂を空にあげて星にすることによって、浄化する。これでどうよ?」という問いかけが浮上するわけです。
それによって死者も残された者も救われるんじゃないの? と。
これは月兎族から主人公夜白への提案。物語から読者への問いかけ。そして、おそらく中盤の「間違った解決への誘惑」なのでしょうね。

しかし後半、魂を星に変えるのは実は残酷なことなのではないかという考えが主人公に兆し、「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結局、絶望しかないわけ?」的な最悪の悩みに陥る、と。

ここで注意したいのは、すでに死んだ者と、まだ生きている者がいるというポイントです。
すでに死んでいる者は、主人公の父と摩耶の息子。これは取り返しがつきません。
しかし、まだ生きているのに死のうとしている者もいます。摩耶と、母杏里ですよね。
父の死が取り返しがつかないのは夜白にとっても同じなのですが、夜白にとっては、まだ生きているのに死のうとしている「もう一人の大切な人」がいます。母杏里です。

ここが、この物語の中で夜白だけが「成長できる」最重要ポイントなのかなと。

同時に、盛大に絶望にとらわれて大破綻する摩耶の姿。絶望に染まりかけている母の姿も目の当たりにします。
ですから。
結局、諸悪の根源は絶望なんじゃないの?
そこに気づかせればいいわけです。

(今これを書きながら発作的に思いついたのですが、魂の悪霊化も実は絶望が原因だったということにすると話が分かりやすくなるかもしれません)

ということで。
すでに死んだ者は、星にして浄化。 → 絶望からの解放。
まだ生きている者は、希望を失わずに生きていく方がいい。

こんな感じのところに着地させればいいのかな?
なんて、思ったりしました。

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかも。の返信 (No: 43)

スレ主 みりん : 0 No: 41の返信

投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかもしれません。
よかったですー。とりあえず一安心しました。

>エンタメ・ストーリーは主人公が何をするかが大切。
そうなんですよね。摩耶はヴィランなので置いておくとして、
杏里はへたに書くと夜白を食いかねないので、注意したいと思います。

>結局、諸悪の根源は絶望なんじゃないの?
>そこに気づかせればいいわけです。
ここに関しては、ちょっと意見がわかれますね。
絶望だと気づいても、その絶望を解決することはできないんですよね。
杏里は、夜白の悲しみに気づき生きることを選びますが、夫である陽斗が亡くなってしまったことで
うけた傷が癒えた訳ではないし、その点では絶望したままなんです。
なので、そこに気づけば解決するというたぐいの話ではないと思います。

>魂の悪霊化も実は絶望が原因だったということにすると話が分かりやすくなるかもしれません
そこは、そういう設定ですよ。大丈夫です。
霊は死にとらわれた存在で、死んだ瞬間の感情を常に強く意識させられている状態で、
時が止まっているため永遠につづく悲しみの中にいます。うつ病みたいな。
その辛さから逃れるために自我を失い悪霊化してしまう予定です。
絶望という言葉ではないですが、そんな感じ。一幕で霊を登場させたときにこの話をして、
夜白に霊を星にすることは、霊にとっては悲しみからの解放になるということを学ばせて、
月の神になることへの動機のひとつとしてもらおうと思っています。

霊を星にすることは、霊にとって悲しみからの解放である→
霊を星にすることは、残された人(杏里・摩耶)にとっては残酷なことである→
残された人にとっては、亡くなった人にとらわれ続けていることは残酷なことである→
残された人にとっては、大切な人がいない世界に意味を見出せず、追いかけることでしか救われない場合もある→
それでも、一緒に生きてほしい

流れとしては、こんな感じです。
うまく書けるかはわかりませんが……
頑張ります。

ご意見参考になりました!
ありがとうございました!!

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タイトル:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい? 投稿者: みりん

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

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