テーマに飲まれていると感じさせないための技術の返信の返信
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テーマに飲まれていると感じさせないための技術の返信(元記事)
こんにちは、読みました。
冒頭にある幼馴染のくだりはうーん……。よく分からないが率直な感想でした。
私は詳しくないのですが介護の場面はよく書けていたように思います。
同僚の女の子の台詞だったり、他の同僚がムネさんの悪口を言っている場面は読んでいて展開が気になるという意味で、面白かったです。
柳沢さんがあれされて。
ご主人との写真がでてくるあたりは、自然な流れで違和感がありませんでした、とても良かったです。
読み終わってもテーマはとくに感じませんでした、ごめんなさい。
>>若いころの柳沢さんと、そのご主人との写真
不倫や借金、家のローンや姑やご近所付き合いで苦労したとか。今のような状況になった柳沢さんがその瞬間に何を考えていたか、主人公には本当のところは分かりません。
>>それはきっと、その写真に象徴される思い出が、本当に大事なものだったからなのだろう。
と主人公が解釈するのは許容範囲なのですが。その後で、
>>いつか、おれは、幼馴染に違う、とは言えなかった。(~~~略)、幼馴染を、幼馴染の妹を大切に思っていたからだ。
→
なぜここで幼馴染がでてくるのかちょっと繋げるのは無理があるなと感じたのと。
柳沢さんはご主人に会いに行ったりできませんが、主人公はそんなに大切なら仕事が終わってからでも連絡取ってみればいいじゃないですか。幼馴染に告白されたがもう一人の自分としか思えなくて、好きすぎて断ったとかなら分かるのですが。
>>優しさは行為であって、人格ではない。人それぞれ違う優しさの形があり、優しいと思う形があるだけだ。
ここもうーん……。
人それぞれ違う優しさの形と言い出したら、もし仮に主人公から見て柳沢さんに見て中途半端な仕事をしている同僚がいたとしても。その同僚に、私はいつも優しくしてますよとか言われたら、人それぞれの優しさって何? ってことになってしまいますよね。
今回は介護現場が舞台なのでリアリティか崩れるという意味でも、最後がこじつけのような形で終わっているように思えなくもない、そんな印象でした。
という感想を人に伝えてアドバイスをする機会があったとして。
「作為的ではない」「テーマにストーリーを飲まれない」
私だったら最後の方にでてくる、『おれは優しくなんかない。』
この前あたりに台詞を追加します。
「柳沢さんってたまによく分からない表情する時があるじゃないですか、私ああいうの苦手なんですよね」
「あのひと私も苦手でした、仕事が減って助かります」
「ほんとそれです、最近うちの子が今日も風邪気味で病院に行かないといけないんです」
遠くから聞いていた主人公は注意しにいこうとしたが。
隣にいたムネは黙って仕事を続けていた。
同僚が使い切れてないので、
もっと振り切ると情景が浮かんできていいんですよ。とアドバイスに書いたとします。
こうされると萎える人と喜ぶ人に分かれます。
萎える人はアドバイスの箇所を自分で考えるのが好きだったのに、他人に言われたくなかったとか。もっと直接的に、自分が下手だと言われているようで恐怖や不安を感じてしまうとか。
喜ぶ人は一見すると上手くいったように思えますが。
実際に文章を書いてみて、自分が取り入れれる範囲で手直しすればいいのですが、そういったことがまだ上手くできないので。何か違うんだよなと思ってからが、もっと自分にあった方法を考えても、言われた以上のものがでてこなくて、そこからはひどく苦しむことになります。
ということはアドバイスの仕方について考えます。
今の物語は野菜でいうと同僚はまだ芯が残っているので、
――優しい人って、うぅ、自分のこと優しいって、うぅ、言わないね。
この辺りに同僚が柳沢さんをディスってる、そのようなことを言わせてみると物語が引き締まっていいかもしれませんね。
といつもだったらアドバイスしたような気がします。
人にはタイミングがあります。今の時間軸の3か月後、2年後、5年後から小説を上手くなろうと思ってもいいじゃないですか、相手のタイミングを信じてあげましょう。
この人なら上手くなれる、今は苦しくても必ず這い上がってくる、とアドバイスする側が一番先に信じてあげることです。
そして誰かを変えるのではなく、自分がその手本を見せてあげてください。
楽しく小説を書いて、楽しく意見を出しあってかかわった人達が成長していく。
その様子を見て、自分にはできないと言って去って行く人もいます。
でも自分もそうなりたいと思って近づいてくる人もいます。
焦らず少しずつ楽しんでやっていくのがいいです。
何かの参考になれば幸いです。
テーマに飲まれていると感じさせないための技術の返信の返信
スレ主 金木犀 投稿日時: : 1
こんにちは、tさん。
感想なのか、僕の感想のつけ方に対する苦言なのかわからなくなっているのですが、ともかく感想ありがとうございました。
たしかに、同僚の描写は中途半端だったかもしれませんね。
その他のアドバイスもありがとうございます。
ですが重きは、たぶん、僕の感想に対する苦言だと思います。そっち重点的にレスしますね。
・萎える人はアドバイスの箇所を自分で考えるのが好きだったのに、他人に言われたくなかったとか。もっと直接的に、自分が下手だと言われているようで恐怖や不安を感じてしまうとか。
→世の中には自分で考えたほうがドヅボにはまることがあります。なのでゲームには説明書があるし、攻略サイトみたいなものがあるんじゃないでしょうか。
指摘されたくないのであれば、そもそも鍛錬室には来ない方がいいんじゃないかと思います。
・喜ぶ人は一見すると上手くいったように思えますが。
実際に文章を書いてみて、自分が取り入れれる範囲で手直しすればいいのですが、そういったことがまだ上手くできないので。何か違うんだよなと思ってからが、もっと自分にあった方法を考えても、言われた以上のものがでてこなくて、そこからはひどく苦しむことになります。
→そうですね。だから理想は自分で手直しできるようになることだと思います。
そのために誰かに指摘をしてもらい、どこが悪い文章なのか、どうすればいい文章になるのかを、感覚的に理解する必要があります。アスリートのように、フォームを直すためにビデオをチェックし、コーチにどこが悪いのか指導してもらうことが必要かもしれません。
で、自分で最初から手直しできる人もいるので、そこらへんは僕も臨機応変にアドバイスをすると思いますよ。
・人にはタイミングがある。
→そうだと思います。
そして誰が言うか、というのもあります。
また甘い言葉だけを言う人がいても意味がなく、厳しい言葉を言う人だけがいても意味はないかと。
一人の人の感想に依存してもいけないでしょう。
なので、役割として、僕はきびしいことを言ってはいますが、誰もいなければ複数の役割をこなさなければいけなくなります。今の僕がそんな感じ。
初心者にいきなり指摘しても意味がありません。
自分の作品を読んでもらえる、それだけで作者というのは成長したくなるものですよね。なので感想の一番の役割は「読んだよ」というメッセージを作者に残すことだと思います。
ちゃんと自分の作品を読んでいる人がいる、というのは創作意欲を増し加えます。一番の鍛錬方法はそういうモチベーションの上で、作品を書き続けることなのかもしれません。
とはいえ、十年も同じ繰り返しをしている人がいたら、さすがにそれは考えたほうがいいんじゃないでしょうか。
自分の何がだめなのか。根本的な創作意識がおかしいからそうなっているんです。
なので、やはりそれも、時と場合による、というのが僕の返答になります。
tさん、コメントありがとうございました。
カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: テーマに飲まれていると感じさせないための技術