スマホと俳句は相性が悪い組み合わせのようです。
以前、
虫の声家に忘れたスマホかな
という俳句を作りましたが、風流な感じがしないので、ボツにしました。
これについて、ハオニーさんから、
>確かに、スマホを使うと俳句としての成立は難しくなりそうです
>成立したとしても、選ぶのに勇気がいる句は共感を得られにくいはずです
>虫の声千回スマホ取りそびれ
>なんてスマホ残す方法は思いつきましたが、意味が全く違うものになるのですよね...
という返信をもらいました。
そこで、逆にスマホで良い句が作れないか挑戦してみてはおもしろいのでは?と思い立ちました。
参加いただけるとありがたいです。
星月夜液晶割れたスマホかな
スマホを落として液晶画面が蜘蛛の巣状に割れてしまうのは良くあることです。
スマホが使えなくなれば、星月夜が良く見えるという意味で作りました。
作ってみて気づきましたが、
虫の声家に忘れたスマホかな
と基本的に発想が一緒ですね。
スマホが使えないから秋を感じるという発想になっています。
これ以外の発想ができると良いのですが、難しいところです。
かぎろいさんこんにちは。
いつも各コンテンツを楽しませて頂いております。
ありがとうございます。
私の場合スマホと趣味としての俳句自体はそれほど遠いものではありません。
というか私はスマホに依存して俳句をやっている様な人間です。
気になる出来事や風景やフレーズがあれば、句帳代わりにスマホのメモ機能に書き留めます。
スマホに入れているアプリ版の歳時記で季語や例句を眺めて、それ以外の調べ物もよっぽどの事で無い限りスマホからのネット検索で済ませてしまいます。
俳句ポストやその他のサイトへの投稿もスマホを用います。
添削道場への投稿は内容を作成している内についつい長文になってしまい、「パソコンから投稿した方が良かったな…」と後悔する事もありますが(笑)
常に携帯しているもので、こんなに俳句趣味と親和性の高いものは無いだろう、という位に私は考えています。
たまに「素晴らしい景色の中にいるのにスマホを手放せない依存者が嘆かわしい!」という論調に出会いますが、私は「その人がスマホで何をしているのかちゃんと理解した上で言ってるの?」と思ってしまいます…。
まさに唯我独善さんの句の様に、頭を捻っている私の様な人もいたりするのです。
一方で句材として考えた場合はやはり難易度が高そうですね。
「スマホを操作している人」像が私の中ですらまだ凝り固まっているのかもしれません。
出来れば実体験から詠んでみたかったのですが、全くの創作でこんな感じになりました。
恋句はやっぱり小っ恥ずかしい(笑)
今日の一句
スマホには君のおやすみ今朝の秋