「珍プレー起こす園児の花疲れ」の批評
回答者 秋沙美 洋
カイさん、こんにちは。
現状だと園児が花疲れしている句で、コメントにもそのように書いているのですが、本当にそうでしょうか。
『花の美しさに酔いしれたあとの疲れは大きい。ものうさやけだるさ。単なる疲れではなく艶なるものを秘めた言葉でもある』
以上は僕が普段よりお世話になっている「きごさい」からの引用です。
こうしてみると、花疲れには桜の美しさに酔いしれる、という事が前提にあります。花見で珍プレーをかます園児に相応しい季語なのか、今一度考えてみましょう。
花見で歩き回ったり準備や後片付けをしたりといった、肉体的な疲れを指して「花疲れ」を用いてもいいでしょう。その場合花疲れをしているのは、花見で園児の珍プレーに辟易する保護者の方ではないですか?
この句はまず季語から考え直す必要があるので、今回僕からの添削は控えます。
後はカイさんにお任せしますので、もっと相応しい季語を探してみて下さい。
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実体験ですが、幼稚園児の時父の会社の花見会に、自分と母も同行し花見と食事を楽しみましたが、何を血迷ったのか自分はその時やたら転んだり木にぶつかってりしてしていた事を句にしました。
季語[花疲れ]は、花見で人混みの中を歩き回って疲れたり、花の美しさに酔いしれたあとの大きい疲れを現す春の季語で、
あの時も歩き回ったり花の美しさに酔いしれて珍プレーをやらかしてしまったなと感じ、句に用いりました。
どんな珍プレーをやらかしたかは読み手に想像させようと考え、珍プレーという言葉を使いました。