スマホ閉づ我を射るかに冬の月
回答者 いなだはまち
磯野ひじき様
よろしくお願いいたします。
瞬間を詠む感性は素晴らしいと思います。
俳句は、自分だけの視点を好みます。
明かりを消した瞬間も、闇の深さを知る瞬間だったりしますよね。
季語の問題ですが、月が付いて季節の言葉がなければ、秋の季語になることが殆どかと存じます。
今の時期を詠まれるのでしたら「冬の月」
を登場させるのもありですね。
主役云々ですが、俳句は作者の視点ですのでどんな風に詠んでも主役は作者です。
ただ、せっかくの季語を立てた方が、読者はより季節感を感じるかと存じます。
以上を踏まえてご提案申し上げます。
参考になれば幸いです。
ご一読いただきありがとうございます。
点数: 1
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夜道でスマホを操作していて、終わってスマホの電源を切ってふと目を前に向けると、スマホを使っていたときには真っ暗だと思っていた周囲が月の明かりで明るく照らされていたことに気づき、なんだかハッとした気持ちを読みました。
「月光よ」の部分は「満月よ」の方が雰囲気が出るかな、と最初は思ったのですが、実際の月は満月ではなかったし、素直に読みたくなったのでこの表現にしました。
その次に「げっこうよ」でなく「つきあかり」としてもいいかも、とも思ったのですが、「つきあかり」だと月の光が主役になり、「げっこうよ」だと詠嘆の「よ」の効果で月の光を感じてる自分自身が主役になるように感じて、少し迷ったのですがこの形にしました。
ところで月光って季語なんですかね?
ちゃんと勉強もせずに、なんとなくな感覚で読んじゃってます。