「枯れ木蔦絡み取りたり虎落笛」の批評
回答者 丼上秋葵
こんばんは。
ご無沙汰しております、おくらです。
拙句「黒猫」の句にご批評を賜り、ありがとうございます。
戴いた提案句は、「黒猫」の「向かう先」が読み手の想像力〈物語の想像力〉に委ねられており、どこか童話のようなメルヘンティックさが感じられます。怪談と同じ位、童話が好きな私にとっては、とても素敵に感じられました。ありがたく頂戴いたします!
ですが、一応、詠み手としての私がどのような気持ちで原句を作ったのかに関しましては、大泉洋二郎様作「寅さん」の句へのコメントに詳しく述べさせていただいたので、よろしければ、ご覧になってみてください。
恐縮ながら、御句に感想を述べさせていただきます。
「コンクリートの土塀」と「虎落笛」の大きな違いは何かと問われれば、それは、【〈異物〉に対する懐の深さ】だと、私は考えます。
前者がすべての〈異物〉を固くなに拒絶し、跳ね返そうとするのに対して、後者は〈異物〉そのものを我が身に取り込み、よりその強度を増してゆきます。
一見、ぽきっと折れてしまいそうな華奢な風体をしているのにもかかわらず、「枯れ木」
であろうと「蔦」であろうと貪欲に「絡み取り」、その姿を強固にしていく様は、無機質な「コンクリートの土塀」にはとてもできない日本的な受容性の高さが感じられます。
ひゅーひゅー鳴きながらも、大事な家を護らんと向かい風に立ち続ける「虎落笛」が、私は好きです。
その本質を、視覚的情景描写として上手く切り取られた御句も好きです。
勉強させていただきました!
点数: 1
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虎落笛/(もがりぶえ) 三冬
助詞の省略で三段切れではありませんので、あらかじめ・・・。