「沈む街君とサヨナラまたあした」の批評
初めまして。貴句、拝読しました。
前提として、句そのものの良し悪しの話ではございません。お含みおきください。
句の字面と作者コメントとの乖離がどれだけあるのか、無いのかにふれております。
結論:季語
が無く季節感が分からない。
友達か恋人の安否を気遣う句かと誤読される。
理由:俳句
は字面が命。
上五の「沈む街」。
「都会(の一部)が沈む程の災害、事故、事件があったのか!?」と、
ここでまず、読者は驚くでしょう。「陥没事故? 地震? 洪水?」と。
「沈む街」は映像作品などではよく使われる比喩ですが、字面上は具体的過ぎて
誤読の温床になりかねません。
俳句では比喩も極力、実景と結び付けて用いるのが基本ではないでしょうか。
次に、中七下五で「君とサヨナラまたあした」と一気に展開していらっしゃいます。
ですので、「街で何かヤバい事あったらしいけど、俺は無事だよ。
お前も気をつけろよ。明日も無事で会おうぜ」という句なのかと、
読者は読み解いてしまう危険性が高いのではないでしょうか。
作者コメントに「学校終わった放課後」とあり、原句に「沈む」とありますので、
作者である項さんがご覧になったのは沈んでいく夕日ではありませんでしょうか?
「沈まない夕日があるなら持って来い」と、夏井いつき
先生なら仰るでしょう。
そして、放課後ですからそれと分かる様なフレーズが無いと、何の事なのか、
どの様な人物像なのか、読者は読み解けないのではないでしょうか。
私なりの添削
例です。君ですから、恋人でしょうかね。
元が口語句ですから、口語でやってみます。
A:君と明日も学校の夕焼空(句跨りを許容する場合)
B:君とまた約束の明日夕焼空(5・7・5の定型にしたい場合)
夕焼空(ゆやけぞら)が晩夏の季語です。Aの明日は「あした」とお読みください。
これで夏の学校の時間帯と、いっときの別れの雰囲気が出ますので、
放課後であろうと読者は分かるでしょう。
作者の気持ちも季語に託せるのではないかと、私は考えました。
添削案が作意と違っていたなら、ご教授いただければと思います。
以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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学校終わった放課後を想像して描きました