「花桃の景色またたくのぞみ行く」の批評
回答者 なお
鈴木恒夫さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。花桃、いいですねー。なんだか山梨県わ想像しますけど、のぞみ号は通らなさそうです(笑)。
先にイサクさんがきっちりしたコメントをなさっているので、もういいかなとも思いましたが、コメントが、一人では寂しかろうと勝手に思いまして出てきました!
コメント重なる点があるかと思いますが、ご容赦ください。
御句、ちょっと戸惑いました。
一つには、またたくをどう捉えたらいいのか。誰が、何をまたたくのか?一般には、人間が瞬きをする間、要するに、一瞬ですよね。
それとも、明かりまたたく、というように、きらめくこと?
二つ目は、のぞみ行く、です。まあ、これは、コメントを読まずとも、希望とかの意味ではなくて新幹線のことと推測します。しかし、作者がのぞみに乗っているのか、見ているのか。それはわかりません。もちろん俳句は読み手の想像次第といいますが、できれば作者の思いからかけ離れた頓珍漢な読みはしたくない。作者の思いに寄り添った鑑賞をしたいと思っています。
ここで、こんなふうに読みました、というパターンをいくつか挙げておきます。
A:桃の花の里にのぞみが差し掛かったが、瞬く間に過ぎ去ってしまった。のぞみ号は早いなあ。
(乗っている、見ている両用)
B:桃の花の里は、陽春の光に瞬いているようだ(または、夜の桃の花の里は、提灯が飾られてその灯りが瞬いてきれいだ)。そんな景色を見ながらのぞみ号の旅は続く。
どちらにしても、次のように提案します。
・花桃の里駆け抜けるのぞみ号
・花桃の里一瞬にのぞみ号
・のぞみ号瞬く間に花桃の里
三句目は「またたくまにはなもものさと」と、五七五ならぬ五六七になってしまいましたが、置かせてください。
よろしくお願いします。
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花桃の里と新幹線、跨線橋から眺める景色