「吾子泣くも炬燵で丸く昼行燈」の批評
回答者 慈雨
水召信甫さま、こんにちは。
御句拝読しました。日常のあるある、面白いシーンを切り取られましたね!奥さんのぼやきが聞こえてくるようです(笑)。
「雛」だとそれが比喩だとわかるようにしないといけないので、ちょっと難しそうですね。本句の方が良いと思います。
気になったのは、俳句では基本的に主語は一人称となることです。
そのため、御句はそのまま読むと「子が泣いているが、私は炬燵で丸くなっている昼行燈です」という意味になってしまうと思います。
世の女性たちから「偉そうに言ってないでさっさと炬燵を出て抱っこしてあげなさい!」と怒られそう(笑)。
また、「子が泣いている」「夫は炬燵で丸くなっている」「愚痴を言いつつも妻は夫に感謝している」…とちょっと17音に入れるには情報が多すぎる気がします。
妻目線で、
・子をあやし炬燵の夫をぢつと見る
と考えてみました。
「夫」は「つま」と読みます。
「ぢつと」は「じっと」の意味です。どういう思いで見つめているかは読者が存分に想像してくれるかと。
あと、このシーンであれば「吾子」でなく「子」で十分、自分の子だろうと伝わると思いました。
感謝の気持ちが消えてしまいましたが…汗。
あるいは夫目線で、
・子の泣きて出ざるを得ない炬燵かな
とか。
長々書いてしまいましたが、ユーモアのあって面白い一句でした。
またよろしくお願いします!
点数: 2
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
評価ありがとうございます。
赤子が泣いているにも関わらず、こたつから出ようとしない夫に呆れる妻、という雰囲気を、なるべくユーモラスに詠んでみました。
役に立たないとは思いつつも、日頃はお世話になってますという気持ちを行燈に込めてみました。
上五は最初、「雛泣くや」にしていましたが分かりにくくなるのと、雛が主語になりそうで、教えていただき吾子を使ってみました。
下五が字余りなのと、全体的に写実的すぎるかなというところで、やや悩んでいます。