「秋の宮島敦盛のごとはかなきか」の批評
ダンフィ様、こんばんは。
俳号も変更されての詠み直しですね。
宮島は私も行ったことがあり、素晴らしい場所ですね。具体的な地を句にするのは良いと思いました!
コメントにある、人の一生の儚さや尊さーーということにも共感いたします。
同時に、気になったところをコメントさせてください。前の句と重なることもありますがm(_ _)m
◯「秋」と「安芸」、「儚き」と「墓無き」の掛詞の解読はやっぱり難しいです。。(´・ω・`)
そもそも今回の句は「宮島」とあるので「安芸」を掛ける必要はないかと。
◯「宮島は神聖な場所なので墓がない」というのは聞く話ですが、今回の句では「宮島は儚い」ということが言いたい(?)ように思うので、この情報は削ってもいいような…ダメですか?(^_^;)
宮島がいかに神聖かの説明は、ホームページやガイドブックに任せた方がいいかと思いました。
◯直訳すると「秋の宮島は敦盛のように儚い(&墓がない)」という句かと思いますが、「敦盛のような儚さって何?」「春や冬の宮島は儚くないの?」という疑問が残りました。
私としてはここが一番気になったところですね。
◯「秋の宮島は敦盛のごと」とまで言いながら最後は「儚きか(=儚いだろうか)」と疑問形で締めているのにやや違和感を覚えました。
「宮島は儚いと言う人がいるけど、そうかなぁ?儚いかなぁ?全然そうは思わないけどなぁ」とも読めてしまいそうです。
前句から引き続きですが、儚いという主観よりは、ダンフィ様が「儚い」と感じた宮島の光景があるわけですよね?それを描写した方が良いかと思います。
それを見た読者が作者の感情を想像するーー俳句でよく言われる「読者に想像させる」ってやつですね。
いろいろとすみません。私の意見なので、間違っているかもしれません。ぜひ色々な方のコメントを参考になさってください。
またよろしくお願いします!
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
秋の宮島、安芸を掛けて、神聖な宮島はお墓がありません。神聖な場所、人の一生は儚いものでその命は尊いもの。儚いと墓無いを掛けました。上五は字余りですが、上五なので。