終末に明日という名の花活けり
作者 森田拓也 投稿日
コメント(俳句の意味。悩みどころ)
最新の添削
添削一覧 点数の高い順に並んでいます。
「終末に明日という名の花活けり」の批評
回答者 腹井壮
森田拓也さん、こんばんわ。
いつも拙句に御鑑賞頂き有り難うございます。大変参考になります。
まず二つの疑問について
1.自分も疑問に思っていましたがほったらかしにしてました。確かに時々実作の時悩む事もあります。
2.活かしけりが正しい表記ですが花を活けるという行為に対して正しいかどうかは自信がありません。
原句ですが森田拓也さんらしいく映画やドラマのワンシーン切り取った感じがします。終末を迎える前日にも関わらず人はいつもと同じように生活をしている。
たまたま活花にしようとしていた花の名前が皮肉にも明日だったと。
さすが詩人だと思います。
今回も参考句とさせて下さい。
終末や明日という名の返り花
点数: 1
添削のお礼として、腹井壮さんの俳句の感想を書いてください >>
その他の添削依頼
優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
こんにちは。
終末(世界の終りの日)に明日という名前の花を希望を持って活けておられる、
というのが句意です。
二つ疑問点があるのですが、
1、「花」という季語は俳句では、どうしても桜と限定しなければならないのか?という点でした。
2、「活けり」の「けり」は、たぶん切れ字ではないと思います。
どうもすいません。
よろしくお願いします。