「願はむや終えし花の桜たる」の批評
回答者 みつかづ
初めまして、こんばんは。貴句、拝読しました。
デビュー、おめでとうございます。
先に申し上げます。私は今回、良し悪しは敢えて判断致しません。
その上で、古語辞典を片手に作者コメントを文語訳しますと、例えば以下の様になります。
「桜散りしも、桜なりたしと願はむか」
後は、これを5・7・5に整えてみます。
・花散れど花なりたしと願はむか
文語における「花」は上代では梅、中古以降は桜を指しますし、俳句は近世に成立したものですから、ここでの花はもちろん晩春の季語「桜」の事です。
又、「花散る」という表現は季語「落花」を言い換えたものですから、こちらも晩春の季語です。
ですので、一応は俳句としての体裁にだけはなっております。
「句の形に一旦整えるなら、例えばこの様になりますよ」という例しか私は挙げておりませんので、良し悪しの是非(季語が2つ以上ある、詩情のある・なし)については他の先輩方がコメントしてくださるでしょうから、そちらをご覧いただければと思います。それが今後の推敲や作句に繋がると思いますので。
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添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
俳句というものに触れたことがないのですが
1つ:句として成立させたいです。
2つ:正しい文法にしたいです。
「散った桜の花びらも桜でありたいと願うだろうか?」と詠みたいです。反語ではなく、疑問を表現したいです。
添削やご感想をよろしくお願いいたします。