「凍星や破れし国の山河燃ゆ」の批評
回答者 森田拓也
腹胃壮さん
こんにちは。
いつもお世話になり、どうもありがとうございます。
腹胃壮さんに、いつも作句における発想の大切な転換法を学ばせていただいています。
腹胃壮さんは、やっぱり句会という実戦で日々、俳句人生を過ごされているので、
とても羨ましいなと思います。
やっぱり句会で、自らの俳句が磨かれていくと思うので、羨ましいです。
そうそう、歳時記なんですけど、数冊持っているのですが、
『角川 季寄せ』は本当に便利ですごいですよね。
一番、使っています。
この句は、とても鋭い目で世界を見つめておられる方こそが詠める句だと感じます。
鋭い目と同時に、とても正直な心境で詠まれた句ですよね。
たしかに、壊滅的に何もかもが残らない状況がありますもんね。
この句から、今まさに破滅的な熱い炎に焼かれてしまう、
そんな感覚になる句です。
どこか漢詩的な硬質な雰囲気もありますね。
点数: 1
添削のお礼として、森田拓也さんの俳句の感想を書いてください >>
俳人と称する方達は八月になるとこぞって戦争俳句を詠み始め九月になると戦争など無かったかのように秋を詠嘆し始めます。
四季のはっきりした日本と忘れやすい国民性ならではなのでそれを批判するつもりもありません。
ですが、自分で自分の事を俳人などとはアリンコのオシッコ程も思っていない上にひねくれた性格なのでこの時期になって戦争俳句も震災俳句も詠みます。
少々難解に思えるかもしれませんがことわざの「国破れて山河あり」を捩った句です。
現実には敗戦国にいつも山河が残されているとは限らないのです。
先日の句会では凍星と燃ゆの対比が狙い過ぎとの指摘がありました。
皆様の忌憚無き御意見と添削を頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。