「月を見る一つ人影どこ向かう」の批評
回答者 イサク
こんにちは。はじめまして。よろしくお願いします。
すみません、コメントを読んでも意図が少しわかりにくかったです。
句自体は、おそらく詩的にしようとして「人影ひとつ」ではなく「一つ人影」という語順にしたり、「ひと」という頭韻を踏んだり、という工夫をなさっているのだと思います。そういう点は買います。
で、上記の通り意図がわかりにくかったので、コメントからの推測と質問です。
◆この句の「人影」は「月を見ている」のか、「どこかに向かうような動きをしている」のか、どちらでしょう?
句だけを見ると、そういう疑問が出るのですが・・
◆コメントから、もしかして「月」が「どこ向かう」と自分が思っているということでしょうか?
もしそれが正解なら、「月」と「どこ向かう」が上五下五に分かれて、文章が入れ子構造になってしまっているので、コメントなしではわからないかと・・
◆もしかして、「人影」とは自分?
つまり「人影(自分)が、月がどこへ向かうかなあ・・と見ている」ということでしょうか?
全体では、もう少し「受け手に意味が伝わるように」ということを意識しても良いかなあと思いました。
おそらくコメントのことを全て伝えるのは十七音に入らないので、何を文字化して、何を文字化するのを諦めるか、というのはあるのですが、「一つ人影」で七音も使っているのは勿体ないですね・・・句の主役は「月」ですよね?
一旦、元の句の理屈で作れば
・どこ行くかわからぬ月を見上げをり
映画タイトルに寄せて
・見上げゐる月はどちらに出てゐるのか (下六字余り)
これで「一つ人影」と言わなくても、「誰か」が月を見上げているのはわかるでしょう。
「月」と言えば「見上げる」という動作の動詞も省略可能なことが多いのですが、「どっちに出ている」と考える人物が句の映像に必要なので、あえて入れています。
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崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている?』をテーマにしたレポートの題名として書いた文です。月はどっちに出ているのか。その答えは、見上げる方向によって変わる。ことを表現したかったです。初めて書いてみた俳句です。意味が伝わるのか、俳句として成立するのか知りたいです。