「手を冷やしやってみねばと秋刀魚刺す」の批評
回答者 腹井壮
嫌佐久さん、おはようございます。秋刀魚の刺身をつくる時を描写しようとしているのですね。わたしなら
冷えし手に皮を剥かるる秋刀魚かな
としてみます。ただ、秋刀魚じゃなくて鰯でも同じしゃないの?と言われると答えに窮します。申し訳ありません
点数: 0
添削のお礼として、腹井壮さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 弥平 投稿日
回答者 腹井壮
嫌佐久さん、おはようございます。秋刀魚の刺身をつくる時を描写しようとしているのですね。わたしなら
冷えし手に皮を剥かるる秋刀魚かな
としてみます。ただ、秋刀魚じゃなくて鰯でも同じしゃないの?と言われると答えに窮します。申し訳ありません
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回答者 ハオニー
お久しぶりです
京言葉で刺身は「お造り」というようです
やはり「刺す」という言葉は縁起が良くないと感じたのでしょう
「秋刀魚造る」なら、ギリギリ通じるのではと私は考えています
秋刀魚の養殖と捉えられる可能性もありますが、そこは読み手の優しさを信じたいです(
そしてなぜ「やってみねば」と至ったのか、そこが曖昧だと思っています
「手を冷やし」は秋刀魚を痛めないようにとしての行為なのでしょう、これは分かっている自信があります
これは、なぜ「やってみねば」と思ったのかを聞かない限り提案の句は出来ないのです
本人の興味本意、誰かに振る舞いたい、職人になるための練習...
などなど事情が違うのですから
点数: 1
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
「刺身にする」の意味の短い動詞は在りませんか。
「刺したる身」→「刺身」→「身を刺す」と勝手に、
「刺す」を使った。当然ながら広辞苑に用例なし。
『秋刀魚捌く』は刺身の前処理か、意味広過ぎか。
『秋刀魚盛る』はそんな大量の刺身でなし質素だし。