「母子めける空蝉と蝉の亡骸」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
御本人の感覚なので頭ごなしに否定はできないのですが、
その「蝉の亡骸」と「空蝉」が同一の個体である可能性がどうしても頭から拭えず、母子には見えないのですよね・・・
(その蝉の脱いだ空蝉、ということです)
どこが「母子」?というのを表現するには、十七音では足りないようです。
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作者 白南風 投稿日
回答者 イサク
こんばんは。
御本人の感覚なので頭ごなしに否定はできないのですが、
その「蝉の亡骸」と「空蝉」が同一の個体である可能性がどうしても頭から拭えず、母子には見えないのですよね・・・
(その蝉の脱いだ空蝉、ということです)
どこが「母子」?というのを表現するには、十七音では足りないようです。
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回答者 卓鐘
俳句は、17音しかないので、その言葉が持つ共通イメージをうまう活用しないと説明が必要になって難しいと思います。御句「母子」というと、必然的に大小関係をイメージしますね。小さい子供と大人のお母さん。
空蝉と蝉の亡骸では大きさがそんな変わらないので、「母子」という比喩にどうしてもそうか?と思ってしまいます。ここは、比喩なんてしないでただ、空蝉と蝉の亡骸を並べればいいかと思います。また細かいとところで行くと「亡骸」に思いがこもってしまっているのでこの場合、即物的な「死骸」の方が感慨があるかもしれません。
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蝉の抜け殻と蝉の遺体が並んで落ちていて、母子のようだなぁと思い詠みました。