俳句添削道場(投句と批評)
みつかづさんのランク: 師匠136段 合計点: 527

みつかづさんの俳句添削依頼

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雨の卒検ハンドルの手は震え

回答数 : 6

投稿日時:

みつかづさんの添削

「図書館の歳時記重し三月来」の批評

添削した俳句: 図書館の歳時記重し三月来

 
こんばんは。貴句、拝読いたしました。

歌壇俳壇の句は「あれれ?」と私めは思いましたが、最近、めっちゃ良いですね。

①:上五「図書館の」の措辞の是非
具体的に「図書館の」とお書きになられたのが、バシッと効いてますよね。
足を運んだのが一発で分かりますし、中七の「重し」が歳時記の物理的な
重さの実感だけではなく、「図書館に足を運んででも上達したいんだ!」との
決意、決心の重みまで伝わってきます。
句面には書かずにそこまで伝わらせるのが良いですよね。

②:三月来の是非
私めも最初は明智明秀さんと同様、終止形「く」かと思いましたが、「待てよ」と
自分の読解にストップ掛けました。「ひょっとしてダブル含意じゃないか?」と。
古語のカ変動詞「来(く)」の活用は以下です。
こ/き/く/くる/くれ/こ、こよ

未然形と命令形は在り得ないですよね。何故なら既に3月9日(月)ですので。
以上より連用形と終止形が残りますが、連用形で「三月来」の後ろに
「、勉強す」、「、学ぶ」、「、探す」等が省略されていると、
つまり、「連用形「来(き)」による余白」とも解釈可能です。
勿論、終止形「来(く)」で閉めたとの解釈も可能です。
韻よりも、「解釈の余白を持たせた」事に工夫が見えてくると私めは考えました。
その裏付けになるのが、木の芽の句と木蓮の句。
上記2句が無ければ私めは終止形の「来(く)」しか考えなかったでしょうけど、
ありますので、連用形「来(き)」の解釈の余白の妥当性が上がっていると、
私めは判断いたしました。

とても良いのではないでしょうか。
ゆとりろさんご自身の「体温」と「指先の感覚」が過不足無く
パッキングされています。
3句とも句に手垢が一切付いておらず、ゆとりろさんの「オンリーワンの感動」に
なっており、それ以前とは季語の輝きが全く違いますよね。
「ご自身という情報への原点回帰」、「現象の定着」。この2つが大きく、
「決して飾らない。でも泥臭さは感じ取らせる」。これが良いですよね。

このまま味わいたいと、私めもウカウカしていられないと、
気を引き締めないといけないと思います。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「境内の朱塗りを囲む木の芽かな」の批評

添削した俳句: 境内の朱塗りを囲む木の芽かな

 
再来失礼いたします。

揶揄とは「からかう事。なぶる事。嘲弄」を意味する名詞です。
つまり、揶揄は人格攻撃の一種。
私めがコメント陣に対して発しているのは「論理的批判・批評」です。
人格攻撃(人そのものへの攻撃)と論評(発した言葉の内容の良し悪しへの言及)は
全くの別物です。

「何処の神社だろうか?」、「どの様な木なのだろうか?」、
「作者は何に感動しているのだろうか? その核は何か?」。
他者様のコメントに、それを問うたものはありましたか?
考えなければ出せない問いでしょうよ。違いますか?
朱と緑の対比が美しいだなんて誰でも言えるでしょう。手垢付いてます。
そこから先の思考の跡がコメントからは全く見えないんですよ。
慈雨さんが少し突っ込んだ以外には。
なので、「思考停止の極み」とありのままを書いたまでです。読解の解像度が低い。

誹謗中傷(根拠の無い悪口を言いふらして、他人を傷つける事)は人格攻撃。
根拠なら、数々のコメントが思考停止の極みの動かぬ客観的証拠に
なっているではありませんか。何故なら、独創性が無い句面に対して
問いが一切無いので。思考停止でないなら、何等かの疑問が湧くでしょう。
独創性の有無を思考した形跡は何処にありましょうか?
好き、嫌いは思考ではなく、ただの感情発信という反応です。

それに、私めが誰かを誹謗中傷する事で、誰の何の得に、プラスになりましょうか?
ならないではありませんか。
「盲信するのは良くないですよ」、「考えないのは良くないですよ」、
「イメージだけで語るのは良くないですよ」、「妥協は良くないですよ」、
「馴れ合いするだけでは作句も鑑賞も添削もなかなか上達しませんよ」と、
「そうではありませんでしょうか?」と、暗に私めは問いを発しているのです。
道場という鍛錬の場において、何方かを誹謗中傷などしている暇など
誰にもありませんでしょう。その様な行為は時間の無駄でしかありませんので。

以上です。幾度もご覧いただき、ありがとうございました。
 

点数: 2

「境内の朱塗りを囲む木の芽かな」の批評

添削した俳句: 境内の朱塗りを囲む木の芽かな

 
おはようございます。貴句、拝読いたしました。
以下長文、お含みおきください。

この句は、初読で晩乃さんらしくないなと私めには見えました。何故なら、
朱塗りの神社であれば何処の神社でも、誰にでも詠めてしまうのですから。

ネットで検索すれば何百件ヒットする様な神社の景色の記号の組み合わせ。
既製品のラベルの貼り替えに過ぎず、ただのひな型、型板、鋳型の配置。
それでは「詠んだ」とは言わないんですよ。作者独自の詩が無いのですから。
俳句は絵葉書でも、観光地のパンフレットのキャッチフレーズでもありません。

全くオリジナリティが感じられませんので、作者の感動も全く伝わってこない。

他者様のコメントも迎合が過ぎる。イメージ先行で思考停止の極み。

何処の神社なのか? どの様な木の芽なのか?
境内を踏みしめた足の感触はどうだったのか?
地元の神社を思い出された現在は、どの様な心情なのか?
地元の神社の過去の景と、現在のご自身が置かれている景はどの様に違うのか?
それらをお書きになってこそ、
「作者にしか詠めない感動が込められた、この世で唯一無二の句」でしょう。
だからこそ、それに自然と詩心が宿るんですよ。
意識しなくたって、詩なんて後から付いてくるんですよ。季語自体が詩ですから。

東京なんですよね?
明治神宮外苑の木の芽はどの様になっていますか?
行幸通りの木の芽はどの様になっていますか?
町田、高尾、八王子、拝島、青梅、奥多摩、日野、立川の木の芽だったら?
東村山、中野、新宿、池袋、品川、蒲田の木の芽だったら?
それぞれ違う木の芽でしょうよ。

東京には「東京ならでは」の句材が幾らでもあります。
大都会の東京の高層ビルを背景にした木の芽と、
大都会の大阪の車の排気ガスを浴びた御堂筋や長居公園の木の芽と、
奈良県の急坂ばかりの田舎の三郷(さんごう)の山の木の芽はそれぞれ同じで、
それが見える景色はそれぞれ同じでしょうか? そんな訳無いですよ。

句材は降ってくるのを待つものではありません。五感を研ぎ澄ませ、
心の目、心の耳、心の鼻、心の肌で観察し、ご自身で掴み取るものでしょうよ。
バス停で「息白し」とお詠みになった晩乃さんは、
一体何処へ行ってしまわれたのでしょうか? 私めには、とても残念です。

以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
 

点数: 3

「春雷の瞬きひとつ宙に去る」の批評

添削した俳句: 春雷の瞬きひとつ宙に去る

 
ネギさん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。

「宙に去る」のフレーズは面白いのですね。
ただ、「瞬き」(またたき)ならばそれ以降が季語の本質の説明に
なってしまいますし、「瞬き」(まばたき)ならば意味が通らないですよね。

作者コメントにお書きの、「えっ!もう終わり!」。実は、これが大ヒント。
名詞を1つ替えるだけ。以下、私めからの添削提案です。

・春雷の驚きひとつ宙に去る

以下は、動詞「驚く」の意味です。
1:意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける。びっくりする。感嘆する。
2:はっと気が付く。
これが名詞化したものが、「驚き」。

「えっ!もう終わり!」なのですから、意外だったんですよね。
つまり、これもネギさんにとっての「驚き」です。

以上でございます。お目通しいたただき、感謝いたします。
 

点数: 2

「芽吹けるや公園トイレに木の香り」の批評

添削した俳句: 芽吹けるや公園トイレに木の香り

 
ゆとりろさん、こんばんは。貴句、拝読しました。

中八は惜しい。ですが、撥音なので音読すると然程気になりませんし、
それを上回る良さのパッキングがありますよね。
芽吹いた木々の香りがトイレにまで届く位の、春の木々の力強さが感じられます。

トイレそのものの木材の香り(内)と、外の樹木が芽吹く生命の香り(外)が、
トイレという狭い空間で交じり合っていますよね。

また、「木の香り」という具体的な嗅覚情報をお書きですので、
「このトイレは真新しい木造なのか、あるいは雨上がりの森の湿った空気が
流れ込んでいるのかかもしれない」と、その場の湿度や質感が
立ち上がって、画面越しに伝わってくるかの様です。

「ミクロからマクロへの情報の跳躍」で、とてつもない現実味がありますよね。
「見えないものを、確かな感覚で捉える」

階層構造がお上手ですよね。
1.「芽吹けるや」:春の胎動への感動(抽象から具象へ)。
2.「公園トイレに」:即物的な場所の提示(意外性)。
3.「木の香り」:場所を肯定的に反転させる「物質的真理」。

俳句の基本の型、「上五に季語を置いて間投助詞「や」で詠嘆し、
中七下五で1フレーズ」を、季語を信じ抜いた鮮やかさですよね。

上五の存続の助動詞「り」の連体形「る」も効果的ですよね。
芽吹いた状態が持続し、刻一刻と春の気が強く濃くなっていくプロセスが、
この助動詞のたった1音にパッキングされています。
本当に良いですね。春の深まりを嗅覚で表現なさった圧倒的な現実味。痺れます。

勿論、このまま味わいたいと私めは思います。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

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