小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:祝詞や呪詞の作り方

はじめまして、涼樹です。
ここの掲示板に質問をするのは初めてですが、創作で行き詰まったところを質問させていただきます。
タイトル通り、呪文のようなものを作ろうと思っていたのですが、よくライトノベルなどで見かける詠唱や呪文が作れなくて困っています。
今書いているストーリーでは、神の力を借りて戦う異能力バトルものなので、カタカナというより漢字で祝詞が良いのかなと思いつつ、祝詞の作法もよく分からず、情けない子にここに来ました……
丸投げのように質問してすみません。

上記の回答(祝詞や呪詞の作り方の返信)

投稿者 細剣大好きウーマン : 17 人気回答! 投稿日時:

こんにちは。私も祝詞について詳しい訳ではないのですが。
そもそも作法というのは、それぞれの宗や文化によって異なるため一概に「コレ!」といった作法はありません。
オリジナルの世界観であれば神様の種類によって使い分けたり、そのキャラクター独自の使役の仕方があったりすると思います。
私の場合は「誰が」「何を」「どうする」という3つの大まかな構成に分けて作成しています。
「〇〇よ! 私に変わって〇〇を祓いたまえ!」
すみません、とても簡単になってしまいましたね。
もっと厳かにするのであれば現実の祝詞の名詞部分に代入したり、所々をアレンジしてみるのも一つの手です。

(神様の住んでいる場所)に坐す
(神様の正式名称)よ
(術者の名前)の命を以て
(現在地)の(対象の名前)に
(何を)せよ

「〜せよ」の部分はキャラクターの語調によって「〜しろ」「〜し給え」などに変えるのも良いと思います。

参考程度に、どうぞ。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 祝詞や呪詞の作り方

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元記事:■疑問 独り言は鍵カッコを使うべきなのでしょうか?

「今日は、カップラーメンを食べるしかないな、勝手に冷蔵庫の食材を使うわけにはいかないし」
と誰もいない空間で独り言を言う際に、鍵カッコでくくるべきなのでしょうか。

上記の回答(■疑問 独り言は鍵カッコを使うべきなのでしょうか?の返信)

投稿者 Yuki : 17 人気回答! 投稿日時:

書き手によると思いますが、口に出しているのならば「」を使った方が良いと思います。
一般的に「」で括ってある文章は台詞として認識されますので、独り言だと読者に分かって欲しいのなら「」を使った方が分かり易いと思います。
私も独り言でもなんでも、キャラクターが言葉として発しているのなら大抵は「」を使いますので。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ■疑問 独り言は鍵カッコを使うべきなのでしょうか?

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元記事:場面転換が出来ず、長編が書けない

初めて質問させていただきます、雨村ランジュです。二次創作や一次創作で短々編(500〜3000字くらい)の作品を書き上げて気付いたのですが、どうも自分は一つのシーン、場面の中でしか話が作れないと気付きました(話が一つの部屋の中で、しかも短時間で完結する)。プロットというものも一度試してみたのですが、時系列が進んだり、別の場所で話が展開すると言うような物がどうしても書けませんでした。長編を書くためには克服すべき事だと思うので、どうしたらいいかアドバイスをいただけないでしょうか。

上記の回答(場面転換が出来ず、長編が書けないの返信)

投稿者 ヘキサ : 17 人気回答! 投稿日時:

変わったお悩みだなぁ……と思ってしまいましたが。
「旅行に行く話」を作ってみては? 嫌でも場所が変わると思うんですが。
長くなって大変そうなら「買い物に行く話」とかでも。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 場面転換が出来ず、長編が書けない

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元記事:三人称一視点の心理描写についてご教授ください

二次創作の漫画から入ったので人称とか視点などをあまり意識しないまま、きてしまいました。

三人称1視点の心理描写は1人称の主語の俺とか私をキャラ名に置き換えた感じの書き方でいいのでしょうか?

なんとなく、そうだけではないような自分でもよくわからない違和感があり困ってます。具体的には書きかけの小説が心理描写のないシナリオ状態になっていて進みません。

上記の回答(三人称一視点の心理描写についてご教授くださいの返信)

投稿者 あまくさ : 16 人気回答! 投稿日時:

>三人称1視点の心理描写は1人称の主語の俺とか私をキャラ名に置き換えた感じの書き方でいいのでしょうか?

簡単に言えばそうなのですが、かと言ってそれだけだったら一人称でいいという話になってしまいます。

三人称一視点は、一人称と三人称のいいとこ取りを狙った書き方です。なので、まず一人称と三人称のメリットとデメリットを確認してみます。
あるいは異論があるかもしれませんが、私見としては、

1)一人称のメリット

a. 読者の感情移入を引き出しやすい
b. 語り手の視点を通して物語がつづられるため、描写が安定し、読者がイメージしやすい。

2)一人称のデメリット

c. 語り手が居ない場所や、知らないことを書けない。(伝聞を使うなどの対処法が一般的だけれど、ある程度の技術は要する)
d. バトルシーンなど複数のキャラが目まぐるしく動くシーンを書きにくい。
e. ややもすると語り手の主観ベタベタな文章になりやすい。

3)三人称のメリット

f. 主人公の居合わせない場面、主人公以外のキャラの心理などを書くことが可能なので、ストーリーの多様性、世界観の広がりなどをわりあい自由に盛り込める。
g. バトルシーンなど複数キャラの動きの多いシーンを書きやすい。
h. 客観的な描写ができる。
i. 《必要に応じて》作中で起こっていることを俯瞰して、作者の考え方を色濃く反映することが出来る(神視点)。

4)三人称のデメリット

j. 視点が自由なため、つい複数視点を飛びまわるような書き方をしてしまうことがある。そのため、うまくやらないと読者にとっては読みずらくなってしまう。
k. 視点が自由なため、つい複数のキャラに均等に重点を置くような書き方をしてしまいたくなる。そのため、読者は誰に感情移入すればよいのか迷いかねない。
好きなキャラを選んで感情移入してくれることもあるけれど、その場合は他のキャラのパートで退屈されてしまうおそれがある。
l. iのように作品を俯瞰して作者の考えを反映させることが可能なため、作者の意見を押し付けられたくない読者心理から反発をまねきかねない。

こんなところかなと分析しています。
一人称のメリット・デメリットはシンプルですが、三人称のそれは意外に複雑でしょう? 言い換えると三人称の方がはるかにキャパシティが広く、反面それだけ極めるのは難しいのです。

で、三人称一視点というのは上のようなことを踏まえ、三人称のデメリットをできるだけ緩和しようということです。
例えばi(メリット)とl(デメリット)。これが「神視点」の問題です。神視点が必ずしもダメなわけではなく、うまく使えば効果的な場合もなくはないんです。司馬遼太郎さんの作品なんかは神視点の嵐ですが、かつて一世を風靡した流行作家です。しかし、多くの場合「作者がしゃしゃりすぎ」という印象を読者に持たれてしまうなどまずい点が多いんですね。

fとjのメリットとデメリットも裏腹の関係。しかしここは書き手に高い筆力があれば克服できます。ただし、かなりの超絶技巧を要するみたいなことを、栗本薫さんがどこかで(自慢そうに)書いていたのを読んだ記憶があります。

それから、一人称eの「主観ベタベタ」、三人称hの「客観描写」について。

例えばのび太くんが静香ちゃんを可愛いと思っているということを書く場合。

一人称なら、

・静香ちゃんは、かわいいなあ。

三人称なら、

・のび太は、同級生の静香を可愛いと思っている。

どちらものび太視点ですが、かなり違うでしょう?
一人称は語り手の主観そのもの、三人称一視点は語り手の主観を軸にしながら、それを客観的に記述できるのです。そこが大きな違いです。

そして、さらに発展形として。
少し古いですが、今野緒幸さんの『マリア様がみてる』を読んでみることをお勧めします。この作者はわりと天才だと思っているのですが、文体は三人称一視点がほとんどです。ただ「主観ベタベタ」の一人称的な文体を大胆に混ぜ込んでしまっています。
というか、むしろ一人称感覚をベースにして、しかし一人称では書きにくい客観的視点を巧みに混ぜ込んでいるという感じなんですね。
そういうところに注意しながらこの作品を読んでみると、一人称と三人称一視点の微妙な相違が見えてくるかもしれません。

もっとバランスのとれたきれいな三人称一視点の例としては、ラノベではないですが石田衣良さんの作品とかは参考になるのではないかと。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一視点の心理描写についてご教授ください

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元記事:発達障害の人間が、小説を書く上で”特に”気をつけるべきことはなんでしょうか?

 お初にお目にかかります、半額オソーザイです。
 数年前に筆を一度折って、最近になって少しずつ筆を取り直そうという気になってきたのですが、少し気になった―――率直に言うと不安になったところがあったので、ご相談させていただきました。ただ内容が人によってはデリケートな問題なので、気分を害される方がおられたら申し訳ありません。

 私は数年前に所謂アスペ(正式名称で言うと自閉症スペクトラム障害。診断されたものはASDとADHDです)と診断されており、それが小説を執筆することに影響しないか不安になっています。ネットでも時々「アスペが書いたような一人よがりな小説」とか「支離滅裂な文章はいかにも発達障碍者って感じ」という感じの批評コメントがあったりして、自分もそう言われるようなものを書いてしまうかもしれない……と思ったりしています。
 もちろん障害特性上、できるようになるために並々ならぬ努力が必要なこと、もしくはどうしてもできないかもしれないことはあるかもしれません。ただ、自分の発達障害が悪影響を及ぼしがちなところが少しでも分かれば、それを意識して執筆していけると考えて、こちらに書き込ませていただいた次第であります。

 なので、タイトルどおりではありますが、相談内容は
「発達障害(ASD)の人間が、小説を書く上で”特に”気をつけるべきこととは?」
 です。もし何か工夫できるところ、訓練方法があればそちらも教えていただきたいです(図々しくて申し訳ありません……)。

 非常に答えづらい相談内容かもしれませんが、よろしくお願いいたします。
 一言にアスペ……もとい、ASDといっても人それぞれですが、私の場合は「空気(行間)が読めない」や「想像力が欠如している(人の感情を想像するのが苦手)」「曖昧な表現が苦手。具体的なものや、物事の定義が気になってしまう」といったところが当てはまっています。この点に関しては結構キツいと自分でも思っています(笑)

上記の回答(発達障害の人間が、小説を書く上で”特に”気をつけるべきことはなんでしょうか?の返信)

投稿者 サイド : 16 人気回答! 投稿日時:

はじめまして、サイドです。

「特に」気にすべきこととしては、周りの言葉は気にせず、書きたい物を最後まで書くということだと思います。
月並みな言葉で申し訳ないところもあるんですが、それが一番かと。

気にされている内容として、「一人よがり」「支離滅裂」というものがあるとのことですが、例えとして、「現代日本の生まれと育ちで、成人しているけれど、首相や大統領の名前を知らない。そもそも、そんなポストが存在することすら知らない人間」
がいるとします。

で、その人間が、「世界情勢がなぜ、今のようになっているのか」を空想だけで説明し、最後まで書き上げた小説があったとしたら、どうでしょうか?

その世界観のトップはどんな人物なのでしょう。
良い人間なのか、悪い人間なのか、グレーなのか。
そもそも、トップというポストすら存在しない小説かもしれません。
現実を知る人間が見れば、内容は、「一人よがり」で「支離滅裂」と取られる可能性はあります。

ですが、最後まで書き切り、虚構であっても説得力と凄みのあるストーリーがあったなら、僕はお金を払ってでも読みたいと思います。
そこまで突き詰めたのなら、その価値はあるのではないでしょうか。
下手に工夫や訓練をして、その個性が死んでしまう方がもったいないです。
個人的な意見になってしまいますが、現実的で、常識に則したものだけが面白いということはないと思います。
逆に、小説であるなら、大いにレールを外れていた方が楽しいです。
なので僕は、周りの言葉は気にせず、書きたい物を書くのが一番だと思います。

僕個人に発達障害の方に関する知識がないため、気分を害してしまったのなら、適当に流していただければ、幸いです。

カテゴリー : その他 スレッド: 発達障害の人間が、小説を書く上で”特に”気をつけるべきことはなんでしょうか?

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元記事:新人賞における「引き」について

レーベルの新人賞に応募する作品を書いているのですが、審査員を惹きつけるような「引き」がよくわかりません。
「引き」とはなんでしょうか?
審査員は応募された小説を流し読みしていると思うのですが、やはり最初の部分に入れた方がいいのでしょうか?
物語の最初で惹きつけるって、どうすればいいのでしょうか?

上記の回答(新人賞における「引き」についての返信)

投稿者 手塚満 : 5 人気回答!

1.「引き」ではなく「ツカミ」では?

どこで何をどうお聞きになったか、ちょっと分かりません。「引き」って連載物で言われるもので、各話の最後で読者に「続きを読みたい」と思わせる要素、書き方のことですから。

ですから、物語の最初であれば「引き」は作りようがありません。物語冒頭で読者を惹きつけるものは「ツカミ」と呼ばれます。のっけから「面白そう!」と期待させるものです。たぶん、それじゃないかと思います。

2.「ツカミ」の役割

「ツカミ」は重要です。冒頭が、例えば物語の設定を延々と書いてあると、高確率で離脱されます。読者は面白い話を読みたい、楽しみたいのであって、作品知識を勉強したいわけじゃないですから。

ただし「面白い!」は普通は作れません。可能なのは「面白そう」「面白くなりそう」です。キャラも舞台もよく分からないのに「この話は面白い!」なんて不可能です(仮に面白くできたら、そこで読み終えてしまうかも)。あくまでも先を期待させるわけです。

3.ツカミの作りの原則

具体例は人気作品、有名作品を読んでください。その前提で、原則的なことを言うならツカミは、

1. 派手か突飛である。
2. 作品知識抜きで8割がた分かる。2割は謎めかせて、知りたくさせる。
3. 「どこで、誰が、何をする話」なのかおよそ分かる。
4. 無駄には入れない(後の展開を示唆したり、設定上のリンクがあったり)。

となるでしょうか。

1は推理物では「冒頭で死体を転がせ」なんていうアドバイスが有名です。まず殺人事件を見せちゃうわけですね。すると(ジャンルが推理物という前提で)「誰がどう殺した?」という興味が湧きます。

2は派手だったり異様だったりして目を引くために必要です。作品独自の設定とか知らないと分からない冒頭にしてしまうと、理解できません。理解できないものは派手なのか、突飛なのかも分かりません。

4.フルメタでの冒頭のツカミ

例えば「フルメタルパニック」では、軍用ヘリから逃げる車、車の助手席には医療用検査衣の少女が描写され、巨大ロボットが救いに現れます。ロボが軍用ヘリを叩き落とし、少女は救われる。巨大ロボはフィクションでおなじみですし、ヘリに追われる車というのも分かりやすい、よくある追跡劇です。ただ1つ、追われていたらしい少女の身なりだけがちょっと奇妙で、「どういうこと?」という興味を持たせています。

そうやって目を惹きつけて興味を持たせ、本筋に導入ですす。上記冒頭シーンの後は、少女を救った主人公の正体や所属組織の説明が入ります。読者はもう興味を持ってますから知りたくなっており、説明が少し続いても読んでくれます。そうして「誰がどこで何をする話」かが飲み込めたら、メインヒロインもストーリーにきちんと登場し、メインストーリーに入っていくわけです。

もし主人公の正体の説明を冒頭に置いたら、分かりやすくはあるでしょうけど、退屈です。奇矯な主人公ですから、多少コミカルではありますけど、コミカルが売りの作品には勝てないわけで。つまらないコメディと思われて、捨てられてしまいます。

さらに、冒頭の追跡劇とバトルも、単に目立つためだけではありません。しばらくするとメインヒロインの秘密(正体)に直結して来て、「あれは、そういうことだったのか」と納得できる作りになっています。

それが優れた「ツカミ」です。簡潔に言えば、読者の目を惹きつけ、かつ読んだことを納得できるもの、ということになります。

5.ツカミは全力を出し切るくらいに

「ツカミ」の重要性を強調するため「羊頭狗肉、竜頭蛇尾でいい」とすら極言することがあります。全力を尽くせ、ということですね。読み進めてもらわないことには意味がないのに、作者的にはつい「本当に面白いことは、後で使おう」と出し惜しみしたくなるからです。作者は「最後まできちんと読んでくれれば面白いんだから」と思いがちです。

でも出し惜しみすると面白みも減るわけで、読者は読むのをやめてしまいます。冒頭に力を入れた作品に負けてしまうわけです。だから冒頭では「考え抜いた面白いネタ全部使っちゃった。この後どうしよう」と悩むくらいに、面白さを出し切ることが大事なんです。

6.しかしラストが最重要なのも確か

とはいえ、作品の本当の面白さ、印象は終盤のクライマックスから物語の締めくくりで決まります。「羊頭狗肉、竜頭蛇尾」は方便です。真実ではありません。冒頭だけ面白い作品はショボいと評され、作品として面白いと評価されることはありません。

7.しかしラストまで読んでもらうのが冒頭のツカミ

しかし、です。その本当の面白さが分かるラストまで読者を引っ張り、読み終えるモチベを与えるのは、やはり冒頭であるわけです。とびきり美味しそうな匂いを放つ冒頭のツカミを工夫しないわけにはいきません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 新人賞における「引き」について

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投稿日時:

元記事:どちらが「カメラ役」に相応しいか

キャビンやSCP財団に出てきたような超存在や異常な物品を取り扱う団体の話を考えており、どちらを主役にするといいか質問したいと思います。

主役候補Aが組織の監視・収容対象となっている少年、候補BはAとそれに深く関係する少女(以下ヒロイン)の監視を任された組織のエージェントです。
何故この二人なのかというと、基本的には組織が取り扱う物品一つ一つをフィーチャーしたエピソードを挟みつつ、大筋はAとヒロインによる所謂セカイ系じみた話に組織がてんやわんやし、最終的には覚醒・一体化し神のような存在に進化したAとヒロインに組織が立ち向かうという予定です。

セカイ系らしさを追求するのならA視点であるのですが、どうも組織側が「嫌なオトナ達」以上の書き方が出来なくなるという側面があります。
B視点ではある程度常識を持ち込み、組織に重点を置いて話を進められる一方、今度はAとヒロインがなんか暴走した痛々しいカップルとしか見えないのではないかという懸念があります。

いっそダブル主人公として両者の視点を行き来すれば話の全体像が見えるのではとも考えておりますが、読者の混乱を招くのではないかという心配があります。

この話は、どちらの視点がいいのでしょうか。

上記の回答(どちらが「カメラ役」に相応しいかの返信)

投稿者 あまくさ : 0

その構想の場合。
一般の小説なら、エンタメも含めてB視点にする形は普通にあると思います。しかし、ラノベや少年マンガ風のストーリーなら主流はAかなと。

どういうことかと言うと、その構想だと物語の軸となる事件を起こし先に進めていくキャラはAになりそうだからです。Bのポジションも重要でしょうが、どうしてもAに対して観察者だったり、行動を起こすときもAの行動の後追いで対処する形になるんじゃないかと。一般小説ならそういう派手な行動を起こさずに事態を収拾していくタイプのキャラを主人公にするのも珍しくないですが、ラノベ・少年マンガではやや受けは悪いかもしれません。
ただし、だからBはダメということではなくて、どういう話を書きたいのか、対象読者をどう考えているかによって、まったく話は違ってくるんじゃないかなと。

私見としてA視点にする場合の利点と難点は、

1)主人公が主体的に行動し、物語を牽引するストーリーにできる。

2)Aはおそらく彼を監視・収容している組織の全貌を知らない地点から行動を始めると思うので、ストーリー作りの難易度は高くなりそう。

2の理由はAが暗中模索の状態から大きな敵に挑む話になるので、どう事態を打開していくかのプロットを組んだり、心理描写を考えたりが難しめになると思うし、組織の全貌などの大きな背景を読者に伝える手順に技術を要するからです。

B視点の場合は、

3)2の組織の背景などを読者に伝えるのは楽。

4)Bは、前半ではAやヒロインを異常な厄介者としか見ていなかったのが、ストーリーの進展とともにしだいに彼らを理解するようになり、逆に組織のあり方に疑問を持つようになる。最後にはA達と共に組織と戦う側にまわる。
そんな展開が考えられます。これは巨大組織を舞台とした「狂っているのはどっちだ?」型のストーリーというやつで、けっこう有力なパターンだと思います。

5)主人公が常識人、かつ調整型・事態収拾型になりやすい。
繰り返しになりますが、これは物語のタイプによっては主人公向きではないということです。

>いっそダブル主人公として両者の視点を行き来すれば話の全体像が見えるのではとも考えておりますが、読者の混乱を招くのではないかという心配があります。

視点切り替わりのあるストーリーは常に読者の混乱に注意する必要がありますが、割とダブル主人公向きの構想と思えますから検討してみる価値はあると思いますよ。

カテゴリー : キャラクター スレッド: どちらが「カメラ役」に相応しいか

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投稿日時:

元記事:剣と魔法の次の時代はどんな姿か?

ご無沙汰しております。
ケモノスキーです。

素朴かつタイトル通りな疑問なのですが、剣と魔法の時代が終わりを迎えたら、次はどんな景色の世界が訪れると皆様は思いますか?

ここでいう終わりというのは、要するに剣と魔法モノのブームが、という意味ではなく、

昨今の異世界、架空世界モノの多くは世界観が現代以前のヨーロッパであり、剣等の近接武器や馬、魔法等が身近に存在しております。

ですが、現実の人類の歴史を紐解いてみれば、一時同じ様な文化が続いた事はあっても、いつまでも文明レベルが進化しないという事はあり得ない事な訳です。

という事は、よりリアリティを追求すれば、剣と魔法の時代もやがては終わりを迎え、新しい時代がやってくる筈だと私は考えています。

そこで現在、そんな剣と魔法の後の架空世界を構築しております。

イメージとして、重火器の発展や、戦車、飛行機の台頭や政府の変化、貴族制度の廃止、近代的戦争の続発等々、実際の19~20世紀初期の歴史や文化を調べつつ、世界設定構築を進めているのですが、今一ピンと来ず、相談させて頂きました。

作品の大まかな内容として、剣と魔法の時代出身の人外主人公達が、突然剣とまの後の時代に放り込まれ、様々な事件に巻き込まれていくという、SFファンタジーと考えています。

もし、良いお知恵やお言葉を頂けたら幸いです。

どうか宜しくお願いします。

上記の回答(剣と魔法の次の時代はどんな姿か?の返信)

投稿者 読むせん : 1

ふつうにスチパン系が来るんじゃないっすかね?
サタンさんが言っているエネルギー問題もそうですが、私的には【人口増大問題】こそ重要になると思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ウンコの世界史読んでますけど、ウンコによって汚染物質の停滞による伝染病が発生し、病気に犯されていない新天地を求めて侵略戦争ってのも多い感じ。

 このウンコ汚染って「そもそも自然の自浄作用で浄化しきれなくなるほどのウンコが発生する」事、つまり「ウンコを出す人口が増えている状態、増えることができる食料や安全」が必要です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
読む専の考える【剣と魔法の時代の終わり】とは、

おそらく魔物的なものが所有する土地を魔法使いや剣士側が略奪し、魔物的なもの―——生存戦略におけるライバルをほぼ全滅させるか奴隷化、家畜化することに成功した世界です。

イギリスなんかで同様の事が起きた時、彼らが求めたのはアフリカ大陸やアメリカ大陸などへの、文化的にまだ未成熟な人々の暮らす新大陸への【侵略行為】でした。

科学と機械の現代におけるロマン【剣と魔法のファンタジー】とは基本的に
「まだアホしかいない新天地で、科学チートで侵略して蹂躙して支配し・・・・・・法律もルールーも未開の土地で美少女はべらせまくってセレブ暮らしをしたいぜ!」願望、

いわゆる開拓者の野望「フロンティア・スピリット」なんですよね~。
=============
なので、剣魔法の後のスチームパンク世界はユートピアではなく【ディストピア】ものになります。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 剣と魔法の次の時代はどんな姿か?

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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