小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

はらわたさんの返信一覧。最新の投稿順2ページ目

元記事:小説の分析って意味がありますか?

こんにちは。趣味で小説を書いている者です。ここの住民さんたちによって、なんとか習作を執筆している段階なんですが、なかなか筆が乗りません。嫌ということはなく、気分が上がらないというか。

それから前回のスレ、返信ができておらず申し訳ありません…。正直返信する気になるまで、気分が上がりませんでした(そればっかり)。
前回色々とまだ質問などがしたかったことと、親切に答えてくださったのに、私が愚図っているうちにスレが下がりました。また上げるというのも迷惑だろうと、触れずにいます。

本題に入ります。
小説などの作品を読み終えた後、心に引っかかったところ(全くないときもありますが)ならなんでもいいからノートに書く。

それがとても良いものであれば、なぜこういった発想が生まれたのだろう?と作中の世界観と合わせて想像を膨らませていく。そもそもの作品がどうやって生まれたのか?私ならこうやってそれに行き着く、といった風にです。

ちょっとしたものなら、それでも何故自分の琴線に触れたのか、それもノートに書く。
それだけだと雑学といった部類に落ち着くので、何故?何故?を納得の行くまで突き詰める。今すぐにやるのではなく、たまにノートを見返したときでもいいから、思いついたら書くといったように。

もちろん前提としては、分析なんて気にせずその作品を楽しむ、ということです。
これ、全く時間の無駄遣いですかね?ご回答よろしくお願いいたします。

上記の回答(小説の分析って意味がありますか?の返信)

投稿者 はらわた : 1 投稿日時:

その行動について、私はしないです。
時間の無駄とかそういうのではなく、そもそも小説は読まない。
私の世界を誰にも変えさせたくないから。だから他の小説を読まないようにしています。
もちろん、読む場合には読む時の心構えでします。しかし極端にはやらないというだけで、趣味を読書にはしないという感じです。
読まなければならない時は読む、ですね。

読んでいた作品に特段良い点を見付けることはあります。イリヤの空だと、伊里野のことをもっと知りたくなって、序盤の少ない情報でどういう子なのか分かろうとするけれど、読み進めているうちに確かに伊里野のことが明らかになっても、分かって何があるのだろうか? 分かろうとして、その先に幸せがあるとは言えないだろ。その感じをリアルに、細かく伝えられたこととかです。
私はその良かった点を脳内で二者面談したりとかしました。25人の主役もしくはヒロインにこういう話を取り入れて、踊ってみないかと。
まあ拒否しますよね。25人それぞれが性格も心も違っているし、他人の考えがどんなものなのか確実に分からないのに、それを信じてやり遂げられるはずがないって言ってね。

自分の感じ方に小説が乗ってくれるとは限りません。けれど自分の中に何かが引っ掛かるような感覚が粗末なもののはずもない。
私は自分に向き合わずキャラと向き合うことにしましたが、わさびさんがなにと向き合うかによって小説の分析が有益になると思います。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 小説の分析って意味がありますか?

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元記事:とにかく人気であることを伝えたい

 こんにちは、ヨリ―タです。
 私の書いている小説内で、架空の漫画を出すつもりなのですが、その漫画が社会現象を起こすほどの人気があることを伝えたいのです(一人称)。
 そこで皆さんから『人気があることが伝わる表現』をたくさん教えて欲しいです。
 例として、「どの店でも入荷したら即完売」や「グッズは連日売り切れ」などですかね。
 よろしくお願いいたします。

上記の回答(とにかく人気であることを伝えたいの返信)

投稿者 はらわた : 0 投稿日時:

適当に序盤に漫画の題名を日常会話で使い、中盤辺りに週刊雑誌の表紙にその漫画を見たりすれば自然に人気なんだなぁって読み取れると思いますよ。
結局読者に感じ取って貰わないと小説内で作者にとっての戦略が読者には違和感を与えることになるので、人気だとかの要素を前に出したいのなら徐々にという感じですかね。
それが小説のキーパーソンなら話は変わりますが、それなら相談せずに自分で考えたほうがやりやすいと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: とにかく人気であることを伝えたい

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元記事:がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのかの返信

僕も長編を書いているとよくそうなるんですが、「アレ」は承認欲求だと思っています。
個人的な解決法は、別のもの……例えば、掌編や短編を書きたくなったら、書いてしまうことでしょうか。
承認欲求モンスターになってしまっているので、抑え込もうとせずに、書きたい物を書きます。

その際、
「別の作品へ目移りさせることで、長編へのモチベーションが尽きてしまうのではないか?」
「別のキャラクターのことを考えることで、元の作品のクオリティが落ちてしまうのではないか?」
「よそ見は、なんか、不誠実な気がする。浮気癖がつきそう」
など、僕も悩むんですが、思い切って別の方向へ舵を切ってしまった方が、すっきりすることは多いです。
もちろん、その際に書く掌編や短編を手慰みにとか、適当でいいとかは思いませんし、一生懸命やります。
そうすると長編へ戻った時、冷静になり、見えていなかった矛盾や、キャラクターの描写のブレに気付く事も多く、却ってプラスになることもあって、無駄じゃなかったなって思う事もあります。

ただそれは、ちゃんと長編のプロットを最初から最後まで組んであるということが前提です。
長編のテーマが浮かばない、設定が見えない、ストーリーの矛盾の解決法が分からないまま、別へ行った場合、いつも失敗して嫌になって放置って流れですね。

悪手ばかり打ってしまっても、自分の部屋のゴミ箱蹴っ飛ばすくらいのことはしてもいいと思いますし、モチベーションが維持できるなら、思い切って別のものを書くのも手段の一つではないでしょうか。

上記の回答(がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのかの返信の返信)

スレ主 はらわた : 0 投稿日時:

サイド様、返信感謝です。

ですよね。長編になると終わりか区切りまで書けないと全体の評価を貰えずにやる気が無くなるんですよね。
評価が欲しくなると手っ取り早いのが短い話を作ってしまうこと。そうするとまだ書けるような気がするのは私も一緒です。
私の場合は不誠実という所で引っ掛かります。キャラが実際に呆れて動いてくれないし、逆に目移りしたキャラがでしゃばって集中出来ませんから。

期間をあけると本腰に戻るとき、今まで書いてきたストーリーに自分自身愛想が尽きるという状態もあります。
サイドさんは三十代でしたっけ? 私は二十歳で、まだまだ成長できる余分があるのですが、この成長がネックなんです。
元々批判的な考えなので前は良かったものが穴だらけ悪手だらけな部分を発見して、根本的に作り直さないと続けられない状態になります。
それに自身の環境が良いとは言えず、こう、暗い話に持って行きがちなんですよね。
これは自分自身の問題。

なので私が掌編に手を出す時はいちいちブレーキを掛けずに良くても悪くても書き終えるからするのであって、長編となると途中で行き詰まるのが怖い、時間の無駄になることが怖くて手を出せないのかもしれません。

考えます。
ありがとうございました。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのか

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元記事:がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのかの返信

人それぞれだと思うけど、あくまで私の場合はって話で。

まず、「執筆」と「物語を作る」って行程を別にする。
いきなり例えに入るけど、
イラストを描く時、初心者はキャラクターの眼とか輪郭とか一部分からキッチリ描き始める。対して描きなれた人ってのはイラストの全体像から描き始める。
もっと言うと、どういう構図でライン取りはこうで、と描くものをざっくり決めてから全体像のラフを描く。
これは、初心者のように一部分から描き始めると全体のバランスが見えないので描き進めるごとに歪みが生じてきてしまうし、なにより最初に全体のイメージをざっと出力しないと、そもそも「自分が描こうとしてるものがイメージ通りのものかどうか」がわからんため。
細かく言うともっといろいろ理由はあるんだけども、ただの例えなので置いといて。

小説でも同じところがあって、最初に全体像を作らないと、イラストで言えば「キャラクターの顔」は上手く描けたものの身体の構造は難しいし手の形もなんとなくで書いてしまって適当になっていき、最終的には頑張って書いたんだけど「顔を書いた時点で力尽きた」感じのイラストになってしまう。
だから、「小説の全体像」と言えるプロットはすごく大事。
プロットの時点で全ての展開が作られているくらいなのが、個人的には理想的。
そうしたら、あとの執筆は、ただそのプロットを「文字に起こすだけ」の作業でしょ?
まあ、一般的には全体の流れを把握できるくらいで十分プロットの役目は果たしているので、「全て」ってのはあくまで私個人の理想ね。
最初に全体像を作ってないから、執筆途中で作品のおかしなところに気がついてしまう。
つまり、「自分が書こうとしてるものがイメージ通りかどうか」がわかってない状態で執筆に入っちゃったんじゃないかなって思う。

こうすると話が進むにしたがって「物語の内容(展開など)が雑になる」ということがまず無い。だって先に作ってるんだもの。
強いていうなら文章力や描写力が、作者の疲労や飽きによって低下してくるけど、そんなものはあとから元気なときに推敲すりゃ修正可能な範囲なので、どうにでもなる。

上記の回答(がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのかの返信の返信)

スレ主 はらわた : 1 投稿日時:

サタン様、返信感謝です。

物語を骨組みで、執筆を肉付けという感じなんですね。そりゃあ綺麗な骨格さえ出来れば立派な物が出来ますよね……。
最高速度でガガガ、ガガガガガオガイガーという勢いのまま最初書いて、終わりまで突っ切る形でやり始めるタイプなのかな。プロットに集中すると速度が落ちるのであまり時間を割かないようにしていたのが原因である可能性は捨てきれませんね。
物語の流れを組んでも登場人物の設定がいざ本番と行くと明らかに不自然だったり、そもそも意思を尊重していないからかキャラが不貞腐れるんですよね。
だからある程度野原を散歩して、気に入った花を見つけたら、それを形にしてプレゼントするとキャラがやる気を起こしてくれるので行き当たりばったりなのかな。
優先順位
キャラ〉物語〉読者〉作者
こんな形になっているのがわるいのかも。
あ、これだめですね。修正しようにも別の案がそのばそのばで魅力的に見えて別の話を思い付いてしまう。
根本的に基本が違ってしまっていますねすみません。
小6から中3までキャラ=出演者とわいわい小説を書いてきたので頭のなかが花畑ですわ。少年期に小説は書くものではありませんね。
モチベーションの回復ではなく、何故モチベーション維持に私がこだわってしまったのかサタン様の助言によってようやく理解しました。
モチベーションの回復はいま出来ました。ありがとうございます。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: がむしゃらに書いたけれど別のものが書きたくなるアレはどうすればいいのか

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元記事:小説のテーマを複数設置することはどれだけ可能か

作品にはテーマ(またはメッセージ)があって、自分はそれは「作品を読んだ後も誰かに語って貰うためのもので、かつそれ自体では瞬発的な面白さに繋がりにくいもの」だと受け取っていますが、このテーマには複数の方向性があると感じています。この方向性はどれだけ共存が可能なのかという話です。

1)「ニューロマンサー」のようなSF作品のテーマといえば、それは架空の世界での文化や社会がどのように変化するかという思考実験です。
2)恋愛小説の類で言えば、キャラらしさの発露だとか、キャラ同士の掛け合いといったことになりましょう。
3)クトゥルフ神話などでは、設定の考察によって話題性に繋げているという点では、テーマと同等の機能があるとして良いでしょう。

前1者が価値観の提示、後2者はキャラクターないしデータベースの提示を行なっているように見えますが、問題としては、これらのテーマはどこまで並列可能なのか、という点です。

1と3は相性が良いように思えます。例えば「魔法が日常的に使われている異世界」を想像してみると、その挙動に一定の法則性を与えれば、考察の余地が生まれます。その実在感を担保しているのは「人がそれをどう扱うか」ですから、それについて文化人類学的・社会学的・経済学的・認知科学的に正確に見えるようなシミュレーションを行えば、1と3を有機的に繋げることができるでしょう。言わば価値観の提示がデータベースの提示を助けている形になりますから、これは問題は無い訳です。

次に、2と1または3を繋げることを考えてみます。
2の実在感を担保しているのは人間らしさですから、設定や作中社会のありようが生かされるとしても、それは現実世界と何らかの接点がある部分な筈です。即ち、2と1及び3はあまり接点がないことになります。

であれば、よりスマートな形を理想とするなら、例えばもし2と1及び3を同居させるなら、片方をテーマとしての生産性をなくす(→話題性が生まれにくい、作者しか得をしないものにする)か、テーマではなくて「ストーリーを読ませるためのエンタメ部分」にしてしまった方が良いかと思います。テーマがあまりに分散しては、読者が混乱し、「美しくない」からです。

しかし実際は、これらがいずれもテーマとして同居しているように見える作品もあります(例を挙げるとするなら、上橋菜穂子『精霊の守り人』などでしょうか)。このような作品では、世界観の一部を見せながら、作中のキャラクターの心情にも焦点を当て、しかもそれぞれにテーマとしての機能を持たせているように見えます。これは一見スマートではないように思えるのですが、これらを同居させる方法があるのでしょうか。

上記の回答(小説のテーマを複数設置することはどれだけ可能かの返信)

投稿者 はらわた : 2 投稿日時:

テーマというのは種であり、物語は作者が種を立派な花にするための作業だと思っているので、複数のテーマを合わせるというのは、逆説的に育てている種とは違い自然とくっついてきた種なのではないでしょうか。
そもそもテーマを話題作りに使うという時点でおかしい。別にテーマを押し売らずに読者が感覚的に理解し、読み取れればそれで良い話なので。
むしろテーマを軸として小説を書くのに、テーマを分かりやすく提示したら第三者から一見で全ての内容をなあなあに理解して流し読みされるんじゃないですかね。
魔法でも神話でも恋路でも、それを描くに値する意味があるならいくらでも使えば良いんじゃないですか?
読者の記憶に残るものを作るとして興味を引き続ける話が重要なものではないテーマだとしたら蛇足になりかねませんけれど。

カテゴリー : その他 スレッド: 小説のテーマを複数設置することはどれだけ可能か

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元記事:天皇について作中で触れることの可否

 お久しぶりです。大野です。

 質問内容は大体タイトル通りなのですが、いくつか補足をば。
 俺はいま、『現実世界を舞台にしたファンタジー物』を書いているのですが、オリジナリティを出来るだけ削って、実在の伝承・神話そのままの魔術・魔法・妖怪・神などが登場する作品を考えています。
 ただ、日本全体にやや右傾化の風を感じているので、天皇をどこまでネタにして良いのか、という所。

 その中の一環として、主人公に乗り越えさせる壁が大きすぎる場合に『それ、神様が解決すればよくない?』となるのを回避するため、『天皇は神ではない』というのを書こうと思っています。
 ただ、俺は実家単位でリベラルーーっていうか左寄りの界隈の人間なので、『別に左寄りではない読者』に受け入れうる展開・内容であるかに結構自信がありません。以下のような内容は受け入れられるのでしょうか?

①天皇について作中で触れる事。
②っていうか、まあ正直アホみたいだと思ってるけど『陛下』ってつけないこと。
③天皇が神ではない理由:『古事記』において『ニニギ(漢字は読みづらいので略)が石長比売を追い返したため、永遠の命を失った』という項目を、『人間にされた』と拡大解釈。憲法については触れない。

 ここまで三つは比較的受け入れられるかな、と俺は思っています。

④天皇制についての批判。主人公(及び作者)が捻くれているため、キャラ的に言うと挟まざるを得ないが、許されるのか。
 ④-A 批判内容としては、『天皇個人は尊敬するが、制度そのものについて言うと人権を踏みにじるような物である』という程度の事。
 ④-B 副次的に、主人公が『陛下』と尊称を付けないことについて、『「陛下」というのは王につける言葉だ。そういった押し付けをするのは、天皇に勝手な義務や期待を押し付ける言葉であって、民主主義社会の人間としてふさわしくない』と言う事。
⑤並びに、制度そのものに問題を感じている主人公が制度擁護派を『正直馬鹿だと思う』と言う事。

 以上、五点です。
 身内であれば政治家だろうが金持ちだろうがスパスパ悪口を言うのですが、当然表の場に出せないことは承知しています。その上で、皆さんだったらどこら辺まで受け入れられるか、というのを聞いてみたいです。

上記の回答(天皇について作中で触れることの可否の返信)

投稿者 サタン : 0

ぶっちゃけ、変わったことをしようと思ってるときは突き抜けなきゃ意味がないので、「どこまで?」は愚問だと思う。

>①天皇について作中で触れる事。
それ自体は問題ないと思うけど、角度を変えて見ると、出すこと自体が難しいものでもあると思う。
何書いたって詳しい人が突っ込んでくるし、女系天皇の問題のときに色々な討論を見たけど、この話題は右も左もすごいしつこそう。

>②っていうか、まあ正直アホみたいだと思ってるけど『陛下』ってつけないこと。
ちょっと意味がわかんない。4-Bと同じ意味?

>③天皇が神ではない理由:『古事記』において『ニニギ(漢字は読みづらいので略)が石長比売を追い返したため、永遠の命を失った』という項目を、『人間にされた』と拡大解釈。憲法については触れない。
そも国譲り神話の解釈でも、神の支配から人の支配に変わった出来事って要約できるし、じゃあそのトップは神ではないよね、って思う。
敗戦頃まで現人神と呼ばれてはいたけど、神道においては誰でも普通に死後は神になるからねぇ。
むしろ今現在で天皇は現人神だって認識の人おるん? というのが忌憚ない回答だったりする。

>④天皇制についての批判。主人公(及び作者)が捻くれているため、キャラ的に言うと挟まざるを得ないが、許されるのか。
どうなんだろうね。
今回のスレッドを読んで真っ先に思い浮かんだのが、「マブラヴ」ってエロゲ。これは天皇家ではなく将軍家として出てくるが、扱いはほぼほぼ天皇家。
226事件を元にしたエピソードがあって、226事件では天皇家を御旗に掲げようって若い将校がクーデターを起こすわけだけど、マブラヴではそれが将軍家になってて、「天皇家」と言いにくいから創作ですよと強調するため「将軍家」にしたんやろな、という感じだった。
エロゲだからってのもあるけど、サブカルに出していいものといけないものってのはあると思う。
日本人って国内はもとより海外の英雄や偉人を平気で女体化して好き勝手いじりまくるけど、天皇家の萌化ってほぼ無いんだよね。
戦国武将や将軍家なんかは割と多いのに。
茶化しちゃいけないとこ、っていう認識がどっかであるのかもしれない。

> ④-A 批判内容としては、『天皇個人は尊敬するが、制度そのものについて言うと人権を踏みにじるような物である』という程度の事。
内容の程度は関係ないような気がする。
やるかやらないかの二択で、やるなら徹底的にやらないと意味がないと思う。

> ④-B 副次的に、主人公が『陛下』と尊称を付けないことについて、『「陛下」というのは王につける言葉だ。そういった押し付けをするのは、天皇に勝手な義務や期待を押し付ける言葉であって、民主主義社会の人間としてふさわしくない』と言う事。
言葉の解釈で強弁するには弱いかなと思う。
陛下とか猊下とか殿下とかいろいろ「◯下」って呼びかたあるけど、これは確か、「本人を直接呼ぶのは恐れ多いので、その下にいる人に声をかけている」という意味じゃなかったっけか。うろ覚えだけども。
陛下の「陛」は確か階段のことだっけか。もちろんその階段の上には玉座があるわけだけど、これは王に限らないので君主全般に使う言葉。
そんで、すんごいややっこしいけども、天皇自体が日本の君主制を意味してる事なので、別に天皇に陛下をつけることは間違っていない。
任命権以外のほぼすべての権限がない日本の君主だからね。
それだと幕府やってた頃と何も変わらんし、その結果は天皇家が質屋に走るほど貧乏になったりしてたんで、これは私個人の考えだけど、だから立場ある人はちゃんと「陛下」とつけて呼びましょうよ、って事だと思う。言葉の上でもちゃんと立場をはっきりさせなきゃね、って。
力ある立場にない一般人は別に尊称で呼ぶ必要ないんじゃないの。
でも民主主義云々とは関係なくね、と思うかな。日本は唯一成功した社会主義って言われたりもするけども。

>⑤並びに、制度そのものに問題を感じている主人公が制度擁護派を『正直馬鹿だと思う』と言う事。
何書いても問題ないと思うし擁護派を貶しても全然かまわないだろうと思うけど、女系天皇の話題も記憶に新しいし、よっぽどな理論武装をしてないと、逆に主人公のほうが馬鹿に見えてしまうと思う。

ちなみに私個人の考えとしては、日本国内で生まれながらにして平等でない唯一の家系で、将来の自由がなく行動の自由がなく、そしてそれを日本国全体が容認してるっていう、客観的に見ると狂ってると思う。
でもまあ、それが日本なんだけどね。
天皇家も将軍家もその時々によって変わるけど、「神輿の上に乗せるヒト」ってそういう存在で、そういう神輿がないと日本って動きがまとまらないから。
外国はその存在を唯一普遍の神としたから宗教の色が強いけど。
ま、そう考えると、私は天皇を現人神と考えたことはなかったけど、神輿に神ではなく天皇を置いて人々をまとめてきたって意味では、確かに天皇ってのは現人神だったんだろうな、とは思っちゃうね。海外で言うところの神の役目をずっとやってきてたわけだから。
神輿を担ぐ人によって神にさせられてるだけだけども。

とまあ、私個人としてはこんな思想ではあるけど、最初に書いた通り、やるならやりきったほうがいいと思うよ。
程度とか考えるなら最初からやらなきゃいいんだしさ。やるんだったら、そんなん考えるだけ野暮な結果になるんじゃないかな。
ただ、可能ならマブラヴよろしく「天皇家」ではなく「将軍家」とかにしちゃったほうが、同じことやっても後腐れがないと思う。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 天皇について作中で触れることの可否

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投稿日時:

元記事:いろいろややこしい架空戦記について

寒い最中失礼します。
 当方現在短編の架空戦記を執筆中なのですが、用語や構成について悩みどころが多いです。
 まず用語などの説明についてです。例えばソナーを出すにしてもまずそれがなんなのかから説明するのと、装備の名前の「Sゲレート(正確には能動的位置測定用特別装置)」や「三年式探信儀」だけで十分なのでは分量がずいぶん変わります。説明するにしても、レーダーに対し「電波探信儀」とルビを振るだけ(実際にあった例です)程度で済ませるのか一応原理から説明するのか、小説により千差万別で目安がまるでわかりません。
 また外国が舞台の場合は用語の訳も問題になります。例えば独逸艦の副長は『主席将校』と訳されることが多いのですが、直訳すれば『第一当直士官』とまるで違う単語になります。この場合は通例通り主席将校とするのか、正確さを重視して第一当直士官とすべきなのか、はたまたわかりやすいが日本式の副長ですませるのかよく分かりません。
 用語だけでなく文章の構成にも疑問があります。当方が読んだ範囲では、小説の合間合間にメタ的に史実の出来事などが書かれているものが約半分、残り半分は史実には全く触れないものです。以前当方がした質問では、現実を意識させるようなメタ発言はよした方がよいとの回答があったと記憶しておりますが、半数の作品にそういった要素があるこのジャンルではどうすればいいのでしょうか。

 長くなりましたが、「ネット上で一応ライトノベルとして発表する」場合のさじ加減を教えていただきたいです。

上記の回答(いろいろややこしい架空戦記についての返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

>用語などの説明
なにも「小説やライトノベルで解説すべきライン」というのがあるわけではないので、作者の匙加減、ようは「これならわかるよな」と作者が思うラインが正解です。
そして、そのための工夫やアイディアが千差万別なだけです。ちょっと考えすぎではないかなと思います。
例えば「ルビだけ」の例では、地の文やセリフで長々説明するよりも端的に示せるという回答を作者が持って表現しただけに過ぎない。戦記ものの例だけではなくこれはよくある表現。
「ソナー」はようは探査装置ってことがわかれば良いのだけど、その作品内での扱われ方で表現が変わってくる。戦闘面でのみ使うんであれば「索敵装置」でもいいし、機能的な面にも触れたいなら「音波索敵装置」にするし、地形やら周囲の状況を見るために使うんであれば「測定装置」とするし、SFファンタジーなら魔導やら魔力やらそれっぽいワードを盛り込む。
一方、ルビだけでは不足だと思えばちゃんと地の文で説明するし、あるいは無知なキャラに説明する体で解説シーンを作る。

どうすればいいのかわからない場合は、まず本人がどうしたいのかをハッキリさせないといけません。
どうしたいのかもわからない場合は、どーでもいい事なので適当に済ませましょう。それで問題があるなら後でわかるので、そうしたら次回から気をつけましょう。それでいいと思います。
一発で成功したらそれが作者の実力なので、良い事のように見えるけどそれは実力以上の成長が出来てないって事です。
失敗しましょう。失敗するから、それを乗り越えるって成長が出来るんです。乗り越えるべき失敗がない成功体験は成長しないので、乗り越えるべき問題が出てくることを前提に好きに書きましょう。
それで言うと、前回のは良かったと思いますよ。

>独逸艦の副長は『主席将校』と訳されることが多いのですが、直訳すれば『第一当直士官』とまるで違う単語になります。
訳の問題は、そもそも海外の名詞は日本語に存在しないものが多いので、これもやはり作者の感性で好きにしましょうとしか言いようがないです。
例えば、ファンタジー的な貴族と言えば公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵が有名ですが、これってどの国の貴族の名称だと思います?
イギリスかフランスか、ともかく西洋をイメージしたでしょ。
これ、古代中国の爵位ですよ。
日本には貴族というものはあったけど貴族や階位のシステムが違うので西洋の爵位は日本語では表現できない言葉なんですよ。
日本人が「男爵」と呼んでる階級は「バロン」であって、「男爵」という呼び名は「日本に存在しないので、近い単語を古代中国の爵位を借りて当て字してるだけ」なわけです。
で。
御作は架空戦記、あくまで「架空」であって史実に基づいた歴史ものではないので、呼び名など、
極端なことで例えると「剣術で最強の存在は、『剣聖』と呼ばれるべきか『剣神』と呼ばれるべきか、作品によって違うからどうしたらいいかわからない」と言ってるようなもの。
好きにせい、という話ではないでしょうか。

>メタ発言はよした方がよい
これは、視点の問題が大きく絡んできます。
例えば、なんらかのシーンで物語が動いてる最中に「19◯◯年には独逸で…」みたいなメタ解説が入ると、その解説って誰の思考? っていう疑問が生まれてしまうんです。
だから、この疑問に回答できるアイディアを作者が持っているなら、メタは何も問題ありません。
そして、その回答の一つとして神視点や俯瞰の視点で客観的な三人称テイストにするという作品はあるし、戦記物にはままあると思う。
ようは「解説」は神や作者の視点から解説しているということがわかるため、疑問にはならないし気にもならないわけですね。
しかし、特に登場人物に視点を合わせる一人称やそれに近い三人称一視点で同じことをすると、「このキャラはなんで大戦時の独逸の事を知ってるの?」とわけがわからなくなるし、それがメタ解説なのか作品内の世界観の解説なのか区別がつかないと更に混乱するので、非常に読みにくく、結論としてメタは難しいし止めたほうがいいってことになります。
なので、別に出来ない・不可能って事ではないです。
前回そこを指摘されたのは、スレ主さんの作品ではこれが出来ていなかった、という事だと思います。
メタそのものが悪いんじゃなく、メタをやる環境を整えてないのが問題だと思う。
例えばアメコミの「デッドプール」みたく「主人公は漫画の中のキャラであると自覚してる」という設定だと、「メタ」は非常に書きやすい。メタ=主人公のキャラ表現になるので。
戦記モノやあるいは歴史モノでも似たようなことあるけど、こうした真面目なシリアス作品でメタをやる場合は神視点や作者視点などで「解説する役」というのを読者に認識してもらう手が多いのではないかなと思います。

>「ネット上で一応ライトノベルとして発表する」場合のさじ加減を教えていただきたいです。
ぶっちゃけると、そもそも「戦記物」がライトノベルの読者層と合わないので、これを合わせる必要があり、結構難しいです。
ストーリーは「戦記」で決まってるのでキャラやネタ(アイディア)で合わせるしかなく、それを当てれば他人の手垢があまりついてないので、例えば「幼女戦記」のようにデカい収穫があるけど……
うーん。
匙加減と言っても、上で何度か作者次第だって書いたけど、そして戦記ものはラノベに合わないとも書いたけど、
例えばラノベの読者層ガン無視でガッチガチの戦記物を書いたとして、これは一般的なラノベ読者にはまずウケないけど、そういうお硬いラノベ(矛盾した表現だが)はあまり無いものなので、戦記好き読者にはウケるってこともあるので、
そもそも書きたいものを書けばいいし、匙加減なんて気にせず好きに書け、としか言えなかったりします。
戦記物をラノベにアレンジする前例は多くあるけど、それぞれ方向性が違うので、自分に合うものが見つかればそれを参考に、そうでなければ自分の路線を開拓するしかなく、「匙加減」も自分で決めましょう、という事になるかと思います。
その「匙加減」が読者に合うかどうか、短編や掌編を何作か書いて実験されるのが一番良いのではと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: いろいろややこしい架空戦記について

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投稿日時:

元記事:どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?

タイトルのまんまの質問ですので省略させていただきつつ、この疑問を抱いた経緯を説明した方が良いかもしれません。
なので、一応参考までに書いておきます。

ズバリ、《聲の形》という青春映画を観たからです。
ろうあ者の少女が昔自らをいじめていた少年に恋をするという、かなりセンセーショナルな内容であるにも関わらず、ジャンルは違うとはいえ、コミュニケーションの祖語によって人間関係が崩壊してしまい、そこから何を得て、何を取り戻していくのかを描いたその筆致に一目惚れしました。
感情表現が凄まじく鮮やかだったのを記憶しています。

僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。
曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。

誰かが傷つくことで、自分へでは無く他の誰かを憎み、誰かが悲しむことで涙を流せるなんて、僕には真似できないことばかりです。
この作品に登場する彼らが、僕の目にはとても眩しく映りました。
この外側に向いた美しい感情を【他でもない僕自身が】表現できない限り、主人公のレイヤも成長しないし、脇役たちも根っこのところでは自分のことしか考えていない、とても醜く泥臭い人間のままです。

ここで質問です。
どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
今までの僕の質問に応えて下さった皆様のお察しの通り、僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
母が父にDVを受けて泣いているときに、一緒に泣いてあげられなかったことを今でも勝手に後悔しています。
外側に向いた他人を想う気持ちを理解できない人間が、どうしてその美しい感情を描くことができるでしょうか。
どうやらこの先を書き進めるには、僕自身の『身勝手な考え方』と決別する必要があるようです。

皆様どうか知恵を貸してください。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信)

投稿者 あまくさ : 0

おはようございます。

その映画(原作マンガもあるんですね)は未見ですが、興味をもったので見てみようと思います。今は、ご質問の文面を拝見して感じたことを少しだけ。

>僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。

私もありません。少なくとも「心の底から」というほどには一度も。ほんの少し想いやったことなら何度もあります。
ASDの人は共感能力が低いわけではないという研究もあるそうですよ。ただ他の人と物事に対する受け取り方にズレがあるため、共感しにくいだけだと。自分と感じ方が違う人に共感しにくいのは誰だって同じです。何よりも竹牟礼さんが『聲の形』を見てそれだけ感動したということは、豊かな感情をお持ちである証拠ではないでしょうか?

次に、創作論としての意見です。

>僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。
>曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。

それは視聴者・読者としての感想です。創作者であるならば、物語のどこで受け手をそういう気持ちに導いているのかということを考えた方がいいです。

>どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?

その答えはすでに竹牟礼さんの心の中にあるのではないでしょうか? 竹牟礼さんが『聲の形』に感動したという気持ちそのものが、素晴らしいモチーフになるはずです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?

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