小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

【本人から削除依頼】さんの返信一覧。最新の投稿順4ページ目

元記事:魔法の設定について

 初めて利用させていただきます。なにかマナー違反やルール違反、あるいは既出の質問であるかもしれませんが、その際失礼します。今回はラノベなどを念頭に置いた設定についてお伺いしたいことがございます。
 ある作品で自然にある空気を圧縮して弾丸を防ぐという魔法の使い方があり、それに対して「弾丸を弾けるほどの空気圧縮を生み出す力っていうのは凄まじい力で、そんなエネルギーをなんで回りくどい使い方して防御するんだ」という批判を見つけまして、「たしかに土を操ったほうが・・・効率いいのか???土動かすってどんな力だ?」となりまして。さらに昔「同じMPの魔法だけど明らかに一方のほうが複雑な現象を引き起こしてるよな」という印象を持ったことがあるのを思い出しました。
 批判を受けていた作品の整合性の是非はどうあれ、「魔法が現象や物質を操る、生成する」、つまるところ「複数の属性を操る」といった考え方で、MPのような一定の力で操作や生成を行う場合に、同じ属性での温度や同じ動きでの速度が高くなるにつれて消費も増すのはなんとなく分かりますが、違う属性や異なる動きの魔法の力の度合いを比べる方法ないしは設定はあるでしょうか。土を生み出すのと火を生み出すのはどっちが大変なの?的な。何言ってんだって感じの質問ですが。
かなり曖昧な質問なのでテキトーにかみ砕いていただいて「わしならこうするのぅ!」とか「この作品がその辺細かいっすょ~」とか教えていただければ幸いでございます。

上記の回答(魔法の設定についての返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 2 投稿日時:

 魔法を万能化する方向で考えるのは、物語づくりについて損だと思います。

 例えば、なぜ魔法属性なんてものがあるのか。地、水、火、風などがあって、それぞれに特化した魔法しか使えず、二つ使えるのは天才だ、なんてよくありそうな設定です(忍術とされていますが、ナルトもそんな感じだったかと)。

 風だとして、風を操るエネルギーを考えたら、確かに銃弾を防ぐ風を起こすエネルギーは凄いものがあるはずです。そのエネルギーを他の方法で使えたら、は現実の技術などの発想です。だけど、フィクション作りたいわけですよね。

 例えば、現実ではリスクを下げたいけれど、フィクションではピンチを作って盛り上げたい。だから、わざと制限を設定しているんです。風の魔術師なら風しか使えない。魔力の素をいかに膨大に持っていても、風しか起こせない。

 フィクションにおける不便益です。不便だから苦労するし、危ない目にも遭う。だけど、それが物語づくりになりますよね。だから「俺は風しか作れねえんだ!」でいい、そのほうがいい、というわけです。

 言い換えれば、魔法は物語で起こる問題を解決するためにあるのではありません。問題を作るために設定するものです。魔法があってもこんなこともできない、あるいは、魔法があるからこそ困る、という点も重視すべきだと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 魔法の設定について

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元記事:処女作前編の批評依頼。の返信の返信の返信の返信の返信

なるほど、つまりおっしゃいたいのは『表現のコントロール』といったところでしょうか?

伝えたいことを『意図的に』確実に伝えること。
文章の抑揚を『意図的に』つけること。

この意図的に、というところが大切なのだと思います。
確かに僕の書き方はかなりコントロールがきかずに暴走していたと思います。

アップしてから1日経ちました。
その間見ていないので見直してみます。
ありがとうございます。

上記の回答(処女作前編の批評依頼。の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 0 投稿日時:

 竹牟礼さんなりに簡潔に言い換えてみると「表現のコントロール」となるわけですね。それでいいと思います。何かが腑に落ちたのは確かでしょう。どう言い換えるかに拘っても仕方ありません。今の作品の改稿や次の作品で具体的に分かることですから。

 さらに「表現のコントロール」のポイントとして「意図的に」というものをお考えになったわけですね。「思い浮かんだ言葉を連ねる」だけではまだうまく行かず、「何をどう伝えたいかを考えて言葉を選ぶ」といったことになるでしょうか。そこもいいと思います。

 その「意図的に」を行うには、要領があります。「読者の視点で見てみること、考えてみること」です。「思い浮かんだ言葉を連ねる」状態だと、自分には分かるし、しっくり来る言葉も選べます。まず、それを書いてみる。

 しかし、読んで欲しいのは読者という赤の他人ですよね。竹牟礼さんの作品内容を知らずに読み始めるし、作者の竹牟礼さんのことも知らない。そういう人が読んで分かるのか、を考えてみるわけです。読者が苦労して読み解くようではいけません。作品を見せずに読みあげてみて、事情を全く知らない赤の他人が即座に理解できる必要がある。それができているか。

 言い換えれば、「言いたいことを言っただけでは伝わらない。相手の事情に応じて述べる必要がある」ということです。

 繰り返しますが、大事なのは読者の視点です。よく「頭を真っ白にして」と言いますが、小説なら作者として何をどう書いたかを忘れるということです。「なろう」で知らない作者の知らない作品を読むときのように、自分の作品を読む。

 物凄く難しいです。当たり前ですよね。自分が書いた作品をきれいさっぱり忘れるなんて、とてもできません。また、自分の作品なら、書いてないことまで知っている。ですから、読者の視点になる、というのは、仮想的に読者を想定して、シミュレーションするといった感じになります。それでも難しいです。私もきちんとはできません。だけと、やろうとするしかない。

 ちょっと差し出口を利きますが、サタンさんとのやり取りについて。お礼とか気持ちとかの話になってきていますが、実用的な側面もあることは注意してください。

 感謝はあったほうがいい。だけど、感謝の気持ちさえ伝わればいいのではないのです。ご質問に対して回答があり、その回答をどう理解して、どこが自分に役立ちそうで、どこが採用できないか、あるいは実行が今はまだ無理なのか。それらを簡潔に伝える必要があります。

 なぜなら、竹牟礼さんは複数回の質問をしておいでです。回答する側としては、以前のご質問との関連性はもちろん、質問内容や返信から推測される竹牟礼さんの実力、得手不得手、好みなどを参考にしたくなります。以前から回答してきた人であれば、特にそうなります。

 回答に対するポイントを突いた返信がないと、その辺りがさっぱり分からないわけです。回答する側としては回答の精度を上げていけなくなります。回答する側としては、非常に不本意です。
(注:これは自分の性分を基準にしています。質問ごとに回答を考えたい方もいると思いますが、返信が邪魔になるわけではないでしょう。)

 さらに、たった一度の質問だったとしても(最初に質問するときも同じ)、返信内容から、回答の一部が誤解を招いてしまったかどうかなどが分かります。回答が間違って伝わったと思ったら、補足したり訂正したりできます。しかし、回答に即した返信がないと、そこも分かりません。回答する側としては、質問した方を惑わせてしまってないか、不安なままになります。

 返信は単なるマナーでも形式的な手続きでもありません。回答に対する要点を押さえた返信は、相互的な情報伝達がうまくいったかどうかの確認になり、質問した人と回答する人両方にメリットとなります。そういったことも考慮に入れてみてください。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 処女作前編の批評依頼。

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元記事:処女作前編の批評依頼。の返信の返信の返信

ご感想ありがとうございます。
実のところ、師匠と相談しまして一応人様に見せられるだけのクオリティには仕上がってるから、 完成してないけど1度多くの人に見てもらうことはいいだろうということになりました。

でも、推敲もしていない作品を上げること自体がアウトだったのですね。
全く知りませんでした。

「自分が書いた本をお金を出してわざわざ 読んでもらうからには、 作者にとって読者はお客様」がモットーなのですが、どうやらまだまだ配慮が足りなかったらしいです。

僕も書いていてずっと違和を感じていました。

それがブルースクリーンさんがおっしゃっていた通り、 キャラクターの行動や感情に繋がりがない、 作者の僕は面白いと思ったところだけを抜き書きした、というところです。

まさにおっしゃる通りです。
僕はずっとその辺を気にしていましたし、とても致命的だと思ってました。

赤の章執筆当時は全くプロットを決めていなかったのです。

それに序章として白の章という『前提』がありました。
ですが黒の書が完結した時点で白の章を書き始めることにしたので、まだ着手すらしていないのです。

『たぶん白の章の展開が前提に置かれた赤の章だから理解ができない』のではないでしょうか?

でもこうして誰かに指摘されるまで全く自覚できなかったのです。

それを気づかせてくださったブルースクリーンさん、本当にありがとうございます。

至らないところばかりで皆様申し訳ありません。
これからも日々精進してまいります!

上記の回答(処女作前編の批評依頼。の返信の返信の返信の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 2 投稿日時:

 以下は、万が一の誤解を心配して書きますが、指摘というものではないし、批判や非難でもありません。念のため、確認程度ということでご了解をお願いします。

 推敲すること自体が大事なのではありません。例えば、推敲3回やれば大丈夫だとか、推敲してないから絶対ダメだとか、そういうことはありません。

 要は、他人が読み物として分かるか(さらには楽しめるか)を確認することが大事なんですね。「たいていは書いただけではミスがある。だから見直してみる必要がある」という経験則から推敲がよく言われるわけです。

 さらにコツなども言われてて、「少なくとも1日経過してから観なおしたほうがいい」というのもあります。書いた直後だと、何を書いたつもりなのか、記憶が鮮明でミスを発見しにくいからなのです。

 大事なことなので言葉を変えまして。推敲はこなすべき作業でもなければ、儀式でもありません。作品を読みやすくするための必要悪でしかありません。目的が「読みやすい文章にする」であることは、常に念頭に置く必要があります。

 そして、推敲も(個人分類ですが)いろいろあります。

・校正:誤字脱字の発見と修正
・校閲:内容の誤りの発見と修正

 以上は単なる間違い修正なので、推敲に含めないことがあります。推敲って、ある漢詩人が「月下の門を僧が推(お)すにしようか、敲(たた)くにしようか」と迷い、人にも相談して、ようやく「推すのほうがいい」と思い定めたことが語源ですね。

 そのレベルでやるのが推敲であるわけです。読んですっとイメージできるか、何がイメージされるかを気にして、一字一句に拘って修正するわけです。例えば以下の二つを例文として見ます。

A. 侍は刀を鞘から抜いて構えた。
B. 侍は鞘から刀を抜いて構えた。

 別にどっちでもいい感じではありますが、作者としてはAとBで悩むくらいでちょうどいいです。こんなことを詳細にイメージして決めます。

A. 侍は刀を鞘から抜いて構えた。
 作者「イメージされるのは、侍→刀→鞘→構えるだな。刀から鞘に戻るわけか」

B. 侍は鞘から刀を抜いて構えた。
作者「イメージされるのは、侍→鞘→刀→構えるだな。刀がイメージされるのが遅れるな」

 こんな感じです。描きたい状況や前後の文脈から、どちらかを選ぶことになります。これに加えて読点を置くか否かも、テンポや見た目の読みやすさ、意味の明確さなどに影響しますから、いろいろ読点を置いたり削ったりです。

 この程度の差、ほとんどの読者は気が付きません。だけどやるんです。差異が0.1%だとしても、こういうのは数多と出ますから、細かい積み重ねが大きな差となってきます。推敲の個々は気づかれず、褒めてももらえない覚悟で、手間暇かける必要があります。

 もし推敲したとして、他人に作品をお見せになるのでしたら、上記のレベルまでやったかどうかも注意してください。もちろん、竹牟礼さんとしてお分かりになる範囲でいいのです。

 推敲に含まれないかもしれませんが、情報をどう出すかにも注意されたほうがいいと思います。シーンをイメージして書き始めるとして、シーン中の何を読者に出せばいいか(=文章化するか、以下同様)、出すもののどこを描写すればいいか、何を省くか、何を強調するか、何を弱めるか、場所は言うか言わないか、それらをどういう順序で出すか、等々です。

 こういう情報提示について間違うと、一字一句の推敲を行っても、読者に伝わる文章にはなりません。

 また、文章に向くものを作品設定に採用しているかどうかも、要注意です。絵的には素晴らしいシーンをイメージできても、コミックなら可能だが文章では難しいのでは、文章作品に向きません。我々志望者はまだイラストを付けててもらえないのですから。

 見たこともない世界設定をしようとすると、しばしば読者に理解不能になる罠に陥ります。例えば、「猫がいた」と書いたら、ほぼすべての読者は間違いなく猫を想像できるでしょう。でも「見たこともない猫がいた」(←イメージ不能の例ですから、ちょっと無理矢理です)と書いたら、読者はお手上げです。

 ほとんどの描写では読者が知っているものを使ってください。読者が知らない、作者の考案した設定なら、似ているものと使うといいかもしれません。例えば「ウサギのような長い耳の猫がいた」なら、ほぼ大丈夫でしょう。

 以上はとても難しいです。あるいはしたくもない譲歩をしなければならず、悔しかったりもします(せっかくいい思い付きなのに、といったもの)。偉そうに説明している私でもやれる、やり切る自信はありません。しかし、できそうにないからやろうとしないのでは、どうしても読者が読んで分かる文章にはできないように思います。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 処女作前編の批評依頼。

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元記事:設定、プロットがありきたりになってしまうことに関して

初めましてこんにちは。
はじめてこちらの掲示板を利用させていただきます。
さて今回の相談なのですが、プロの方の作品と自分の作品を比べるとどうも「ひねり」が全体的に足りないように感じます。キャラクターにも、ストーリーにも、会話にもひねりが足りてないと思います。つまり、読んでいても読者の想像上であり、吸引力がないというか、「次が読みたい」と思わせる力が弱いと思うのです。
そこで、このひねりというか独自の発想力をつける方法を教えていただけないでしょうか?
また、独自のトレーニングをしている方などが居たら、教えてください。

上記の回答(設定、プロットがありきたりになってしまうことに関しての返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 0 投稿日時:

 ご質問が要は「面白いアイデアを出す方法は何か?」みたいなことで、そう言われても「そんなことに具体的な方法論があるんなら、こっちが聞きたい」ような気がしてしまい、なかなか手が出せませんでした。

「ひねり」というのが、興味を持たせるとお考えで、その線ではtさんからサタンさんのご解説で、素材を使い切る(勝手に意訳すれば、素材が内包するひねりも自然と含まれて来る)、黒鐘さんからは自分の作品のオリジナリティ(他の作品にないものを作れば、他の作品と比べてひねりがある)ということから、一応の方向性を見出されたようですね。

 辞書で「ひねり」(ひねる)を調べるといくつか語義があり、その一つが「深く考える」。素材を使い切るためには、素材について考え抜かないとできませんよね。あるいは「普通と違う物にする」という意味もあって、オリジナリティの一面を言い当てているような気がします。

 ともかく、一段落したようですから、ちょっと小手先の話を少し。雲鈍さんは「ひねり」に「次を読みたい」と思わせる力を求めてお出でですね。次を読みたくなる要素の一つとして、疑問を解消したいというものがあります。

 読んでいて生じる「これ(←ここ、割と大事)、なんだろう?」ですね。ただ、あれもこれも分からないようでは、かえって「これ、なんだろう?」は生じません。疑問は理解の中の欠けたピースですから。全体が疑問だらけなのは、意味不明であって、興味を失わせるだけです。

 ですので、八割がた分かって、残り二割が分からないようにすることが必要です。そうできれば、せっかく八割分かったんですから、二割を知りたくなります(好奇心だけでなかう、経済学でいうサンクコストがいい形で作動している)。

 ちょっと、シーン例を考えてみます。

「主人公が水のない荒野をさまよい、ようやく井戸を見つけた。時刻は夜で、井戸をのぞき込んでも中がよく見えない。そこで主人公は傍らにあった小石を拾って井戸に落としてみる。
 しかし期待した、ポチャンという水音は返ってこない。小石が硬い底に落ちたカランという音もしない。小石が落下し続けて速度を増したらしく、ヒューという風切り音が聞こえたが、やがてそれも遠ざかって聞こえなくなった。」

 こうすると、自然と井戸がどうなっているか、知りたくなってきます。

(実は上記は星新一氏のショートショートをちょっと改変。原作だと、底なしの穴らしいと思われて、国中の面倒な廃棄物がその穴に捨てられるようになり、廃棄物問題が解決したと喜んでいたら、数年して、最初に穴に投げ込んだ石が空から落ちて来た、で終わる作品です(その後、大量の廃棄物が空から落ちてくると暗示)。)

 ただし、このまま井戸の底を放置してはいけません。とりあえず、井戸の底がどうなっているかは次のシーン(あるいは節、章)で一応の解決をしておきます(例えば、なぜか石が跳ね返って来た→後述する新たな疑問の伏線でもある)。

 ひとまず読者は、井戸の底について何らかの納得をする。しかし、その一応の解決の中に、あらたな疑問(これもやはり全体の二割程度)を生じさせる段取りにします(例えば、井戸から「痛えな、こん畜生!」という声がした→誰だ?)。

 もちろん、続きを読ませたくなる要素はいろいろあるわけですが、個人的には最も使いやすいのが「疑問を少し残す」なもので、これ一つだけ取り上げて説明申し上げてみました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 設定、プロットがありきたりになってしまうことに関して

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元記事:処女作前編の批評依頼。の返信

コメントしてくださる方がないのでこのスレ閉じます。
どうやら、色々間違えちゃったみたいです。
ごめんなさい。

上記の回答(処女作前編の批評依頼。の返信の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

「色々間違えちゃったみたい」と仰るのが、この掲示板にリンクを張る形で小説を出してみたことを指すのであれば、ちょっと違います。別の方の前例がありますが、返信もあるし、注意もされていません。

 このサイトには「鍛錬投稿室」があり、小説を投稿して感想を頂くことができます。
 御作の文字数と読むための所要時間を確認してみます(所要時間はPCブラウザのFirefoxのリーダービューによる推定)。

・赤の章 (推敲前版):33,061文字(所要時間 31~39分)
・青の章(推敲前版):16,374文字(所要時間 16~20分)
・黒の章(推敲前版):6,524文字)(所要時間 7~8分)
――――――――――――――――――――――
 合計:55,959文字(所要時間 54~67分)

 合計の文字数を400字詰め原稿用紙に換算すると140枚です。鍛錬投稿室であれば長編の間が適する長さになります。すらすら読んで行った場合だと、1時間前後で読めるはず。

 竹牟礼さんが、この掲示板で返信がないことから、読んでもらってないか、読んでもコメントしたくないと思ったかとお考えになるのも、無理はないかもしれません。1時間前後かければ読めるはずなのに、丸1日以上経過しても何の音沙汰もないように見えますもんね。

 しかし個人的にはですが、「ちょっと違います」と申し上げておきます。読もうとしています。なかなかまとまった時間が取れませんが、時間が空いたら読んでいます。途切れ途切れながら、3時間以上はかけたと思います。でも読み進められたのは、「赤の章」の、

> ―――――――――――――――4―――――――――――――――

の直前までです。文字数にして約1万字分ですね。小説全体で約5万6千字、所要時間1時間前後なのに、なぜそんなに時間をかけても1万字しか読めなかったのか。

 書いてあることが極めて分かりにくいんです。当たり前のことですが、読者は作品を読み始める前は、作品について何も知らないわけです。有名作家の作品や有名作品なら、ネットであらすじ見たりすることはありますが、御作はそうではないですよね。だから、御作を前提となる知識は全くなしで読み始めます。

 このスレッドでは、いきなり各章へのリンクが張られてます。でも、「なろう」掲載ですから、前文(あらすじや作品紹介等が書かれる)を読もうと、小説ページに行ってみました。前文はそこそこ分かる。

 なお、前文があまりにもよく分かると、小説を読むモチベが湧きにくいですから、そこそこ分かるレベルがよいのです。つまり、前文はかなりうまく書けている。

 これなら、と期待して第1章(赤の章)を読み始めてみました。しかし、一読して分かるようには書かれていませんでした。行きつ戻りつして読んでも、まだ分からない。仕方なく、「作者さんはこの文章で何を書こうとしたのか」と真剣に考えつつ読んでみました。だから、たった1万字で3時間もかかってしまったわけです。そうまでしても、よく分かりませんでした。

 各キャラの動作がつながらない感じだし、キャラがいる状況がよく見えないし、キャラの感情があまりにも唐突だし、台詞も会話になってない感じだし、ある一人のキャラの台詞ですらつながっていない感じです。

 作者さんは頭の中でしっかりと物語の進行をイメージしたはずですよね。そうでないと、文章で書くことができないですから。だけど、イメージしたものを、赤の他人が分かるように文章で伝えていない。作者さんがイメージしたものの中で、作者さんの注意がいったもの、面白がったものだけを抜き書きしてあるような印象です。

 もしかすると、竹牟礼さんは「分かりにくいのは自分が抱えているもののせいではないか」とお考えになるかもしれません。先に竹牟礼さんが仰っていたものですね。

 でも、まず間違いなく違います。小説での説明が下手なのです。竹牟礼さんは、「小説なんだからダイナミックに、キャラの感情をしっかり伝えて、アクションもスピードと迫力が感じられるように」みたいなことを念頭に執筆されたのではないでしょうか。

 そこはとても大事です。その大事なことを成り立たせるための大前提が「状況を説明できていること」なんです。その説明が圧倒的に不足で、しかもおざなりです。繰り返すようですが、作者さんが感動したり興奮したことしか書いてなくて、しかも説明ではなく感想になってしまっているのです。これでは、作品内容を事前に全く知らない読者はついていけません。

 では、竹牟礼さんは説明が下手なのか。言い換えれば、説明する技術に書けているのか。そんなことはないですね。小説前文は必要な程度に分かるように書いてある。こちらの掲示板での竹牟礼さんのご質問は、何をお聞きになりたいかよく分かるように書かれている。

 当たり前ですが、返信する人は私を含めて、竹牟礼さんがどうお悩みなのか、事前に知っているわけではありません。それどころか、竹牟礼さんどういうお方なのかすら全く知りません。だけど、ご質問になったのがどういうことか分かり、回答も考えることができています。竹牟礼さんが分かるように説明されてお出でだからです。

 ご質問をお書きのときは、「誰かに自分の悩みを知ってもらいたい」「自分が何を知りたいかを分かって欲しい」と思っておられたと思います。小説のときも同様にされてはどうかと思います。面白く思ってもらいたいということ以前に、「まず自分が考えた話を知ってもらいたい」「ストーリーがどう進んでいるか分かってもらいたい」を常に念頭に置くということです。

―――――――――――――――――――――――――――――

 とはいえ、いくつか困った点もあります。

 例えば、「赤の章 (推敲前版)」となってますよね。まだ推敲せずにアップしたと明示してあるわけですが、読者としては「冗談じゃないよ、推敲くらいしてから出してくれよ」と思います。ラフに書いたからちょっと見てくれ、と言われるのは嫌なのです。

 作者さんが「やれるだけやった」「やれることは全部したつもりだ」と言うようなものでないと、読み始めたくありません。評価依頼だとしても、全力を尽くしてからにして頂ければと思います。言い換えれば、読者の読む手間と時間や、感想を考える労力に敬意を払ってくださいということです。

 小説中の日本語も首を傾げるものがちらほらあります。覚えている範囲だと、例えば「意味朦朧」。普通は「意味(が)曖昧」でしょう。朦朧は「ぼんやりかすんでいる」「はっきり見えない」ですから、意味朦朧もなんとなくイメージは分かる。ですが、「意味朦朧」自体が「朦朧」としています。読者をわざと惑わせる、あるいは主人公の思考の特徴を表したいのかもしれませんが、印象付け含めて効果はありません。

「現実から反目する」もおかしい。反目は「仲が悪い」ことを意味します。現実を嫌う、と読めなくもありませんが、何を意味したいのか惑います。これも「反目」で意味的なイメージが湧かないわけではない。ですが、「目を逸らすを目を反らすと勘違いして、反目としたのか?」みたいな疑問も生じてしまいます。

 いずれも、物語から読者を現実に引き戻します。そういう、単なる日本語の用法、技術的な問題が散在していて、とても損です。こういう部分だけは推敲して取り除くべきでしょう。用法を間違えて覚えているなら正してください。何らかの効果を狙って、わざと普通とは違う書き方をしたのなら、逆効果ですから避けたほうがいいでしょう。

―――――――――――――――――――――――――――――

(この返信は2時間以上かけて書きました。この程度の回答でも、どう申し上げるか考えるのが、なかなか難しかったことをお察し頂ければと思います。)

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 処女作前編の批評依頼。

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元記事:「バーティミアス」の独り言注釈について

理論社から出ている児童書、ジョナサンストラウド作、金原瑞人訳の「バーティミアス」という作品の文中の注釈についてです。

私はこの注釈が気に入っていて、自分の小説にもなんとか取り入れられないかなと考えています。実際のやり方としては、本文の注釈にまつわる部分に()を付けて、そこに独り言を入れるような形にするつもりです。

稚拙な例ですが、

「おい、ちょっとこっち見ろよ」
私は大きな欠伸をしながら(昨日寝たのが遅かったのよ)彼の方を見た。ちょっと怒ってるみたい。ごめんね、と小さく呟いて彼の手を握る。
「こうすればいいんでしょう?」

こんな感じです。無理やり入れたのでかなりどうでもいい注釈になってしまいましたが、このような形で文末に入れたり文中に入れたりしようと思っています。

そこで以下の質問に答えて頂けたら嬉しいです。

1.「バーティミアス」作品のあの独り言の注釈は、どんな意味、効果があったのでしょうか?何を意図していたのでしょうか?

2.前質問に繋がりますが、もし使うとしたら何を意図として使えばいいでしょうか?特に地の文が一人称の場合、地の文に入れるべき文章と独り言として注釈に入れるべき文章はどんな違いがあると思いますか?

3.そもそも、この注釈は自分の小説ではやはりやらない方がいいと思いますか?読みづらくなるだけで全く意味がないでしょうか。

4.この注釈のあり方を使うに当たって、著作権的な問題は大丈夫でしょうか?

私としては、バーティミアス作品では「バーティミアスが読者に向かって話しかけているような感覚で独り言を言っている」と感じました。ですので、自分の小説に取り入れる際もそのような独り言にするべきかなと思っています。

自分なりの解釈で構いませんので、皆様の意見を教えていただけたら嬉しいです。宜しくお願い致します。

上記の回答(「バーティミアス」の独り言注釈についての返信)

投稿者 : 2

初めまして。
恥ずかしながら『バーティミアス』シリーズを知らず、少し調べてみました。
にわか知識で個人的な意見を言わせていただきます。

1、「児童書」というからには想定した読者層が「児童」である、という前提ですが、読み手との距離を近くすることが狙いかな、と思いました。
物語というのは本の中だけで完結する箱庭世界だと考えているので、神楽さんの仰るように「読者に向かって話しかけている」ように感じられるのであれば、登場人物が読み手もまた物語世界を構成する一員であると暗に言っているのかなと。
少し面倒くさい言い方になってしまってすみません。自分でもまとめきれませんでした。例えば母親の読み聞かせが子どもと物語世界との架け橋をしているとしたら、『バーティミアス』では注釈がその役割を担っているのかなという感じです。
原書を拝見していないので、原作者がどう意図したかは未知数ですが。

2、1を受けて、書き手が何を意図するかによると思います。
まったく個人的な意見になりますが、「地の文章として入れるべき」文章は「全部」と考えています。極論を言えば、小説は全て地の文章でも構わないと思っています。そこから「物語の中で語り手が相手に伝えたいこと」を抜き出してカッコで括る作業をしているんです。それに地の文だけだと読みにくそうに見えますし。
その上で注釈と地の文の違いを挙げるとしたら、「キャラクターについて読み手に知ってもらいたい部分」と「それ以外」かな、と思いました。あくまで私の所見です。

3、それは何とも言えない、と思います。ただ、意味がないということはない、と思います。少なくとも神楽さんは『バーティミアス』作品の文体に心を動かされて「こうしてみたい」と考えているのですから、その時点で意味はあるのだと思います。
読みづらいかどうかは、書いてみなければわからないとしか。
私事ですが、最近書いたお話の冒頭200字ほどを知人に読んでもらったところ「擬音が多くてアホっぽい」と言われ(200字中に3つ入っていました)、使い方の問題だったので書き直したことがあります。ですので、まず書いて、読んでみなければ答えは出ないのではと思います。

4、著作権云々の話題はウィキペディアをはじめいろいろな所で取り沙汰されているので、ご自身でお調べになることをお勧めします。
私がこの質問を見て真っ先に思い浮かんだのが
『元ネタがバレて困るのがパクリ、バレなきゃ始まらないのがパロディ、わかる人にだけわかればいいのがオマージュ、元ネタの製作者にわかってほしいのがリスペクト、暗黙の了解がインスパイア』
でした。
微妙に質問の答えになってませんがいかがでしょうか。

質問の趣旨と違ってしまっていたらすみません。何かひとつでも、神楽さんの心に止まるものがあれば幸いです。
長文乱文失礼いたしました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 「バーティミアス」の独り言注釈について

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投稿日時:

元記事:物語の余韻について

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

上記の回答(物語の余韻についての返信)

投稿者 t : 0

地の文や、とあるので余韻=底が浅いのことかもしれません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 物語の余韻について

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投稿日時:

元記事:少しはマシな文になったかすごく気になる

本当はどう投稿すればいいのかわからないのですが……
少々脳に血液が戻ってきた目安として、比較的まともに文がすらすら出始めたような気がします。
投稿というと少しヘンなのですけども、文体に異常がないか少しだけチェックをお願いします。
wordです。
https://drive.google.com/file/d/13aXPrqe-WVE3UdTouZIuSMUKZepNb3uI/view?usp=sharing

上記の回答(少しはマシな文になったかすごく気になるの返信)

投稿者 あまくさ : 0

拝見しました。

>文体に異常がないか少しだけチェックをお願いします。

文章については特に問題はないと思います。

文章そのものではなく、叙述のしかたについては少し気になる点がなくもありませんでした。例えば、

>じつは、互いの姿自体はあまり見えていない。鉱山のような場所で、妍酢は燈を牛脂に移し替えた。

2枚目の終わりの方にこう書かれていました。これは妍酢が最初に牢に下りてきたところで書いておいた方がいいでしょう。暗くて互いの姿がよく見えていないことをここまで隠しておく理由はないと思うので、早めに描写しておいた方が情景がイメージしやすいように思います。

また、三人称ですがほぼ一貫して呂玄の視点で書かれています。それ自体は堅実な書き方ですが、視点のブレがありました。

三人称の視点については「なぜ、ブレてはいけないのか?」と疑問を述べる方もいらっしゃって意見の分かれるところです。ただ、一視点で通している中で不用意に視点が動くのは読みにくさにつながりやすいので、注意が必要かと思います。

>「仕事は」「来月のどこかで取って、水入らずで飲んだくれたいとかぼやいてた」
>「仕事は」「毎日定量型」
>「仕事は」「学内で鼠を飼い始めた件については、教授から連絡をもらっている。まあ、葉雄くんが発明した物質は、たぶん鋭薬学と絞扼する、と言ってた。地域では現在、紙面に名が乗るくらいに有名になっちゃった。」
>「結局のところ、大学で働いているのだな」「一応はね。私はどっちかといえば家庭のほうが大事だし、今後は第一線に姿を見せることもないかも。たぶん彼のことだから、あのネズミをあそこで適度に飼いならすだろうし、そうなったらあそこの人たちが不潔な環境で死活問題にさらされるわ」
>「仕事は」「来旬の四から末まで休み。たぶん器用にやってのけるかもねぇ」
>「宿は」「仕事終わりに誘って、飲めない私も連れてって、馬車になだれ込んで、水かぶりながら寝るらしいよ。久しぶりに一緒の安宿で飯を食いたいとか言ってた」

カギ括弧文の連続は意図的と思われ、私は面白いと思いました。よい感じにリズムを作っています。
ただまあ、私なら「結局のところ、大学で働いているのだな」の行は普通にもどす工夫を考えると思います。
次がまた「仕事は」「来旬の~」になっていますから微妙なところではあります。このへんは好みの問題かもしれません。

~。」となっているところが一箇所あるのはケアレスミスでしょうから、大した問題ではありません。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 少しはマシな文になったかすごく気になる

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