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元記事:小説の場面転換のタイミングとは?

苑子と申します。

小説には必ず「場面転換」があると思うのですが、どのタイミングで転換したら違和感を感じずに読めるでしょうか?
いつもそこで悩んでしまい、手が止まってしまいます。

上記の回答(シーンの切り替えは本当に必要なのか)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 5 人気回答! 投稿日時:

 考え方として「どこでシーンを切り替えるか」は作者側視点の発想ですよね。説明や描写の都合を考えるものになります。その視点は必要です。その見方を欠くと、ストーリーの運び方がグダグダになりがちです。

 一方、小説は読者に読んでもらうものですよね。読者側視点でいえば、「見て面白いものを見せてくれ」です。この見方でいえば、「つまらなくなる前にシーンを切り替える」ということになります。

 とはいえ、各シーンがぶつ切りでつながりを欠いてはストーリーになりません(だから作者側視点も必要)。必要な情報は引継ぎながら、どうでもいいことはバッサリ削除してしまう必要があります。

 森鴎外の「寒山拾得」に名描写と言われているものがあったのを思い出しました。ただ、誰が凄いと褒めていたか失念してしまいました。すみません。自分でも確認してみて、こういう運びはいいなと思いましたので、引用してみます。説明の都合上、一文ごとに改行し、各文に番号を振ってみます。

(主人公の閭(りょ)が病を得たところに、謎の僧侶が訪ねてきて、水で治せると申し出たところから。)
01> 閭(りょ)は小女を呼んで、汲みたての水を鉢に入れて来いと命じた。
02> 水が来た。
03> 僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。
04> 清浄な水でもよければ、不潔な水でもいい、湯でも茶でもいいのである。
05> 不潔な水でなかったのは、閭がためには勿怪の幸いであった。
06> しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
07> このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。
(この直後、閭の病はたちまり良くなってしまう。心因性の疾患をうかがわせるものです。)

 01で水を用意する段取りを始める。そうすると、小女が水を取りに行く様子、戻って来る様子などを書きたくなります。カメラ視点が小女に移り、もしかすると井戸から水をくむところなんかも描写したくなるかもしれません。

 しかし鴎外はそうせず、02でいきなり水を出しました。途中のシーンをカットしたわけです。考えてみると、このシーンで大事なのは、まずは僧の動きです。僧の不可思議な所作に読者として注目がいけば、主人公の閭(りょ)も僧に集中したような印象が生じます。だから小女に注目が行ってしまうことを避けた。それが01→02です。

 水を持ってくる動きについては02によりカット、続いて03で僧の動きの描写に移っています。何をするか不明な感じで、閭を見つめるわけですから、読者は自然と閭視点で僧に注意が向きます。

 そうしておいて04で水に注意を移します。これは06の後で分かる効果ですが、僧の不思議な動きで高めた緊張を一瞬緩めるものになっています。05で水について、まだ読者には知り得ない情報を出す。「不潔な水でないから何なの?」という感じですね。

 そうしておいて、06でまたカメラ視点を僧に移す。03で受けた印象が蘇る感じですね。そして07で僧が素早いアクションを起こす。

 もし、02を長々説明したら、03以降の効果は薄れます。小女が水くみに行くところを描写してしまえば、つい小女が僧を不気味に思う描写を入れたくなり、小女が帰って来るシーンで不安感を出そうとしてしまいそうです(私のような下手くそがやりがち)。

 でも、それでは主人公の閭視点での緊張感が途切れてしまいます。もう一度、緊張感を高める必要性が出てしまい、作者としては二度手間ですし、読者としてはあっちもこっちもと目移り、というより目が滑る感じすらしてしまいそうです。

 だから単に「水が来た。」としたのだと思います。物語に必要なものが何か、鴎外はよく承知していて、思い切った省略を用いたんでしょう。

 シーンを切り替えない話を長々としてしまいました。シーンをどこで切り替えるか、というご相談なのに。すみません。でも意図はあるんです。

 サタンさんが非常に良くて、基本に忠実なシーン切り替えの例を出していらっしゃいます。それをお借りして、そのパターンをさらに省略することを考えてみたいと思います。

> その日は素直に帰って、明日に備えて早めに就寝した。次の日は特に何が起こるわけでもなく、放課後、僕は約束の場所へと向かう。

 見事な例文ですね。必然性のあることを簡潔に描写し、かつ読む手間は少ない。イベントがない場合の時間の流し方の好例だと思います。通常はこういうシーン切り替えを用いるべきでしょう。

 しかしもし、上記描写が緊張感を高めた後で、かつ「約束の場所」について、読者の注意と緊張感を持続したかったら。上記の鴎外の手法(全部バッサリ削る)が使えると思います。例えば、

「翌日の放課後、僕は約束の場所に来てみた。」

といった感じ。つまり、「シーンを切り替えたい」と思ったとき、「本当にシーンを切り替える必要があるのか?」「そのままイベントになだれ込んでしまえないか?」といったことを考える必要があると思います。もしかすると、シーンを切り替える必要がないのに、シーンを切り替えようと思うから、悩んでしまうこともあるかもしれないのです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説の場面転換のタイミングとは?

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元記事:キャラの行動原理を言葉で説明するか動きで示すか。

仮に、「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」と「太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」という文章があるとします。両方の文章共、「僕」と「太郎」が誰かを助ける為には命を投げ出す人物である、という事を念頭に書きました。
前者は言葉による説明で、後者が動きによる説明となります。そこで質問です。
作品のテーマを体現するキャラクターの行動原理は、言葉による説明で示してもよいのでしょうか? やはり、言葉では無く、行動で示す物なのでしょうか? 
ご回答よろしくお願いします。

上記の回答(行動原理を言葉で説明するか動きで示すかは使い分け)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 2 投稿日時:

> 「僕」と「太郎」が誰かを助ける為には命を投げ出す人物である、という事を念頭に書きました。

ということからすると、実際に行動を起こすキャラであることを示すものだと思います。それなら、「太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」が適切です。実際に身を挺して助ける、というシーンの説得力は絶大です。

 一方、「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」は、言葉というよりは思考ですね。太郎(=僕)の欲求、考え方、さらには哲学を示しています。ですから、両方書くこともあり得るわけです。

「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」→「だから、太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」とつなげれば、言行一致の太郎を描写できるわけです。

 考え方と行動を齟齬させることもできて、「僕は誰かを救って死ぬなんて馬鹿げていると常々考えていた」→「しかし太郎は少女を助ける為に、思わず車の前に飛び込んだ」とすれば、結構印象に残るシーンを描けたりもします。

 考え方と行動の使い分けというなんですが、もう少し敷衍して説明してみたいと思います。経済学研究などで、「直感と熟慮で判断が異なる」ということが知られています。詳しい説明は割愛しますが、直感での行動は他人を利する傾向、熟慮の行動は自分を利する傾向があるとのことです。

 よくある台詞で「つい助けちまったが、やるんじゃなかったぜ」みたいのがありますが、実際の人間の行動と思考ではよくあることであるわけです。

 別の研究では、事前の判断においては自己評価バイアスが働くことも分かっています。自信過剰のケースだと、やる前だと、実は無理なことでも「自分ならできそう」と思えてしまうものですね。例えばレストランの「食べ放題30分5千円」という宣伝を見て、「充分元が取れるほど食えるはず」と思って入店したものの、思ったほど食えなかったとかです。

 逆に心配しすぎで、実はできることでもできないと思い込んでやらない、みたいなものもあります。要は自分の能力を正しく判断しそこなうことはよくあるという、誰でも経験する事実です。

 お示しの太郎の場合だと、「常々」ですから熟慮と考えることにします。単純に考えてみると、熟慮でも利他的なのですから、直感ではさらに利他的になりそうです。しかし、自分が自分について考えていることは自己評価です。バイアスがかかっている可能性があります。

 例えば「誰かを救って死にたいと常々考えていた」というのが、理想化された自分だということですね。自分がそういう理想的な存在であると、自分に言い聞かせることによって、自信や快感を得たいだけという可能性があります。そして、誰かが車にはねられそうになるのを見て、怖くてすくんでしまい、助けられず、自分が理想から程遠かったことを知る、なんてのもよくあることです。

 一方、身を挺して人を助けたら、文句なしに行動原理となります。思わず飛び込んで助けたら直感の行動原理です。友人の重病を治す高額な手術のため、悩みに悩んだ末、全財産を投げたしたら熟慮の行動原理です。行ったことは覆りません。行動原理を明示するなら行動です。

 一方、思考レベルの行動原理は上記のようにバイアスなどのため、覆ることがあるわけですね。言い換えれば、未決定で曖昧な印象の行動原理を提示したい、特に後で覆すつもりのときには、こう思う、という形で行動原理を示せばいいのです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: キャラの行動原理を言葉で説明するか動きで示すか。

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元記事:一般文芸、ライトノベル、ライト文芸どこを目指すか

はじめまして。
ライトノベルの公募で行き詰まってきた者です。

自分の作風が原因で公募の二次選考を落ちたことがあります。

自分の作風は、ライトノベルなのに、暗い。主人公が不幸。
主人公が20代。
萌要素なし。萌嫌い。ハーレム嫌い。

また、主人公を悪に走らせることが最近増えてきており。明るく健全なライトノベルから遠のいてきました。

ライト文芸、一般文芸を目指すべきでしょうか。文章は、ライトノベル風の文章が得意なので、一般文芸はちょっと……と思っているのですが。

書きたいものは、どろどろとした感情や、人間の汚いことを書きたいです。ファンタジーで。

上記の回答(一般文芸、ライトノベル、ライト文芸どこを目指すかの返信)

投稿者 ヘキサ : 0

ラノベでいちばん間口の広いレーベルっていうと電撃しか思い浮かばないです……

描きたいものがはっきりしているってそれはいいことだと思いますけどね。
ちょっとジャンルが逸れますが、漫画では編集に「暗い話を描ける人が明るい話を描く」のを求められている、と聞いたことがあります。今の作風が暗いということなら、少し捻りを加えるくらいでなんとか体裁が整うかもしれませんよ。

カテゴリー : その他 スレッド: 一般文芸、ライトノベル、ライト文芸どこを目指すか

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投稿日時:

元記事: チャンスをつかみ損ねました。いつになったら新人賞に応募できるのでしょう……。

 アシスタントの桂香さんは、E~Aの判定のうち、桂香さん自身からA判定を得られたら、人生をかけてもいいと、判定が終わった後におっしゃいました。
 結果はD判定。ラインで「本当は障害が憎い」「殺したいほど自分も親も憎い」と補足をしたところ、C判定になりました。いずれにしろ、新人賞が遠のいたことは事実です。

 四年間余りの間、ずっと頑張り続けてもう限界です。レイヤたちの幸せな未来が来ても、また陽炎に目が眩んで最初に戻っていく。中途半端に目でも合体せている気分です。

 第二版が完成したと思って、批評してもらったらぼろくそでした。意識してピーキーにしたのですが、その前に不完全さが目立つと。感想の返信もろくに答えられませんでした。

 改稿が続いている内はよかったんです。ですが、相方の人生もあります。桂香さんを大事にするなら無理は言えません。それで、次頑張ろう、で済めばよかったんです。

 【パンドラの箱が、空きました。中から、障害に対する憎悪と軽蔑と殺意があふれ出たのです】。

 ずっと固く封じていた感情でした。ですが、彼女は「僕の中に潜む、とある感情に向き合え」という。
 「とある感情とは何か?」「人に聞いてもいいから、自力で探せ」というので、今回はそれを皆さんに聞きたいと思います。

 正直言って、障がい物を書くのに、障害に憎悪や殺意があるのでは、この先執筆が前に進まない。
 自信を失い、書くことにつかれてしまった。頭でわかっているだけのキラキラしたエンディングなんぞ書いても面白くとも何ともない。そんなもの、偽物語だ。

 どうすればいいのか。パズルのピースはそろっていても組み立て方がわからない状態です。

 物語を書く前に、心構えがなっていない僕に知恵を貸してください。
 そして、もう一度、書くことの楽しさを取り戻したいです。

 皆様のご返信をお待ちしております。
 

上記の回答( チャンスをつかみ損ねました。いつになったら新人賞に応募できるのでしょう……。の返信)

投稿者 桂香 : 1

8月30日までに白の章の改稿送る。(もとは16000文字)
少なくとも遠のいたなんて思わないでほしい。
過去のX年間にたったY日足せばいいだけ。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド:  チャンスをつかみ損ねました。いつになったら新人賞に応募できるのでしょう……。

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投稿日時:

元記事:作風の変化を実感したら

どうも度々お世話になっております。マリン・Oと申します。
最近プロットの候補を多く作るように意識し始めました。
というのも実は最近TRPGのGMをするようになったから、ストーリーを作る趣味が新しく増えたのですよね。(使用しているシステムはソードワールドです)
そこでプロットの草案を多く考えるようになっているのですが、ストーリーの作風が小説を書き始めた頃と比べて大分変化しているのです。
初期の習作はアクションシーンに力を入れた明るい作風なのですが、今は面白いものを書こうとするとどうしても人間ドラマの要素が強くなってしまいます。
まあ、そもそも小説はアクションものに向いた媒体ではないのですから、別に自然なことなのかもしれません。
作風の変化を感じるのは自然なことなのでしょうか?

上記の回答(作風の変化を実感したらの返信)

投稿者 サタン : 2

自然なことだと思うし、良い変化だと思います。

アクションは小説には不向きとは言えやはり男性読者層に好まれますから、そこに力を入れるのも良いと思います。
しかし、アクションが小説に不向きなのは「アクションそれ単体」では小説として成立しないためだと思っています。漫画でも映像でも「キャラが動いて何かのアクションをしている場面」ってそれだけでサマになるし作品として成立する。
けど、小説で同じことをしても「で、これは何が言いたいの」って感じにしかならない。
だから小説でアクションを書く場合は物語に添える形になる。

一方で人間ドラマは映像やイラスト以上にキャラクター(の内面)を描写することが得意なため、小説にとても向いてる。
しかし、人間ドラマというのは当たり前だけど「人間同士のドラマ」なので読者に他者への理解が必須で、この感性が未熟な10代やそれ以下の年齢の読者には、正直ウケが悪い。
キャラクター同士がいがみ合ってる理由などが理解できなきゃ、その口論の様子も面白くないからね。
人間ドラマというのは登場するキャラクターに依存して比較的対象年齢が高くなりがちです。
要するに、派手さがない。
いやまあ、工夫次第でどうにでもなる事ではあるんだけど。

で、その工夫の一つとして、人間ドラマとアクションというのは非常に相性がいい。
人間ドラマという物語をアクションって添え物で彩るとアクションに深みが出るし物語が華やかになる。
作風の変化は実際に読み比べてみないとわからないけど、書いてるモノの変化については変化と言うより次のステップに進んでいるため変わっただけ、という印象を得ます。
いまは人間ドラマのコツを覚えて、しばらくしたらアクションを加えて彩りを良くしていけば良いのではないでしょうか。
もちろんそのまま人間ドラマ一本で行く道も良いと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 作風の変化を実感したら

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