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タイトル:誤字訂正の返信の返信の返信の返信 投稿者: ドラコン

 >読むせんさん

 ドラコンです。漠然としたものですが、ご質問にお答えします。

 ・銀鈴が働き者か?
 家の手伝いはそこそこしているので、特別働き者ではないが、さぼり癖が付いているわけでもない。畑仕事をしているところに、後宮太学の面接通知の郵便配達が来ても不自然ではない。
 
 ・後宮太学のイメージ
 田舎の少女たちは、後宮太学を皇帝の花嫁選びよりも、「芸能学校」としてイメージしている。唐の玄宗皇帝も、芸能学校を作って自ら、音楽、歌、踊りを教えていた(歌舞伎界を「梨園」と言う由来)。
 
 歌、踊り、詩文朗読は、宮中宴席、国家祭祀の際に必要。

 ・勝手に応募された面接に応じるか?
 新人アイドルが「友人が自分の名前で勝手にオーディションに応募したが、せっかくの機会だから参加したら受かった」のノリ。身に覚えのない面接通知を友人たちに見せたら、犯人が「銀鈴、あんたは顔は十人並みだけど、声はきれいだから受けるだけ受けてみたら? ひょっとしたら受かるかもよ」と乗せられた感じ(おだてに弱い)。

 ・予備面接について
 銀鈴は、都へ向かう前に、居住地の州都(列車で日帰り圏内)での予備面接を受けている。確実に本人の筆跡を入手するため、仁瑜が見た銀鈴の自筆履歴書は、この時に面接官の面前で書いている。親も、「どうせ落ちるから、受けるだけ受けてみたら」。面接官も、官僚・軍人・妃志望だと落としたが、芸能志望だし、銀鈴は受かる気がなかったので、自然体だったのを好ましく感じた。また、声の良さを「磨けば光る」と通した。
 
 ・銀鈴の家の経済状態
 経済的に、銀鈴の家は農家として可もなし、不可もなしで、平均的。村全体も、中農の集まりで極端な経済格差はない。

 ・子供の人権
 女性は20歳で未婚(少なくとも婚約者がいないと)「嫁ぎ遅れ」。
 戦前日本で、勉強はできるが、学資がない少年たちが軍隊の学校や国鉄を志願(参考、元国鉄蒸気機関士の手記『15歳の機関助士』〈川端新二、交通新聞社新書〉)したり、明治時代の皇居で10歳以上の少年・少女が働いていたりしたことを想定。

「侍従職出仕(昔はお稚児さん)といって、十歳から十五歳までの少年が、毎日三人ずつ一日交替で、計六人務めておりました(一日交替で学習院に行く)」
「食堂の子供(判任女官の卵で、十二歳から十五、六歳くらいまで)が集めて、整理しておいてくれる」(明治天皇夫妻に仕えた元女官の手記『女官』〈山川三千子、講談社学術文庫〉)

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