>読むせんさん
ご意見ありがとうございます。ドラコンです。お返事したい気持ちと、恥ずかしさで書きにくいが半々で本返信を書いておりますこと、あらかじめお断りします。
やはりネタ元は分かりましたか。原作の『後宮小説』も、アニメ版の『雲のように風のように』も知っています。というより、最も影響を受けた作品です。
下記の通り、極めて思入れの強い作品なので、名前が出てくるだけで、恥ずかしさ、照れ臭さを感じます。それに、かなりのバットエンドだったことと、他のサイトで『後宮小説』『雲のように風のように』について言及したところ、悪く言われて不快に感じたこともあります。ですので、あえて「影響を受けた作品」には挙げませんでした。
特に『雲のように風のように』は、幼いころ放送当時見てはいましたが、タイトルも、ストーリーも忘れていました。ですが、一部の場面だけ、妙に焼き付いていました。そして、「舞台は昔の中国、主人公は女の子で、戦争をやっている」ことは覚えていました。また、「学校の社会科や道徳の時間に見せられる平和教育の教材のような教訓的なアニメ」との印象を持っていました(もっとも、平和教育うんぬんは私の誤解です)。
『雲のように風のように』と再会することがなかったら、中華ファンタジーの世界に魅せられることはなかったですね。再会のきっかけは、放送から10年以上たって『雲のように風のように』がDVD化される、との記事を雑誌でたまたま見掛けたことです。DVDになるなら、ビデオテープにはなっているだろうと、近所のレンタルビデオ店に行ってみたら、運よくビデオテープが置いてありました(当時は旧作はビデオテープとDVDが半々)。ビデオテープを見てから、DVDを買いました。
これらの偶然が一つでも抜けたら再会はなかったでしょうから、縁を感じています。ただ、先に述べたようにバットエンドなので、見返すのは、本当につらいですよ。そのため、原作本もDVDも、買った直後に1、2回見た程度で、棚に封印しています。もちろん、「嫌い」ということはなく、バットエンドでなければ思入れも持てなかったでしょう。
拙案のストーリーは、現実に起こり得るとは、考えています。中国出身のバレーダンサー、リー・ツンシン氏は、自伝『小さな村の小さなダンサー』(井上実訳、徳間文庫)によると、貧しい村に生まれた著者は、文化大革命期の1972年に11歳で村の小学校の推薦で、毛沢東婦人江青が校長を務める舞踏学院に入学、寮生活をしています。
『小さな村の小さなダンサー』を読むと、舞踏学院を後宮に置き換えることができすからね。これで主人公が女の子なら完璧な資料でした。しかも、著者が初めて列車に乗ったのは舞踏学院入学のため、北京へ向かう時でした。その後、飛行機に乗ってアメリカへも行っています。初めて列車や飛行機に乗った人の反応、という点でも貴重でした。
『中国の大盗賊・完全版』(高島俊男、講談社現代新書)では、毛沢東を事実上「皇帝」として描いていました。