「眺望へ逸る靴音木の芽風」の批評
回答者 よし造
一読私には分かりにくかった。原因は、眺望台の省略と「逸れる」でした。
上五の字余りは場合によっては許されるということは、以前から言われていますが、プレバトでかなり公認されてきたと思います。私は、歓迎です。
そこで「見晴台へそれる靴音木の芽風」。
ただ、自分は頂上に向かっているが、途中の見晴台へ寄る人がいると伝えられるかどうかですが。コメントにある気持ちを詠んだ方が素直に詠めたのではと思います。
点数: 1
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ちょっとしたハイキングコースでも、もう少しで見晴らし台に着くと思うと、元気が出て足取りも軽くなります。
季語を「木の芽山」とするか、「木の芽風
」とするかで悩みました。