格子戸の町家に灯る七変化
回答者 卓鐘
改めてみたら、町屋の入り口にある色とりどりの鮮やかな紫陽花の景ですね。なんかすごく勘違いしたコメントしててすみません。(反省)
としたときに、「町家を灯す」がややオーバーかもしれません。「町家に灯る」くらいですっと意味が入ってきて、紫陽花が主役に出るかなと思いました。
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作者 藤井茂 投稿日
要望:厳しくしてください
回答者 卓鐘
改めてみたら、町屋の入り口にある色とりどりの鮮やかな紫陽花の景ですね。なんかすごく勘違いしたコメントしててすみません。(反省)
としたときに、「町家を灯す」がややオーバーかもしれません。「町家に灯る」くらいですっと意味が入ってきて、紫陽花が主役に出るかなと思いました。
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回答者 卓鐘
コメントも含めて「格子戸の奥の庭の紫陽花が座敷を照らす灯のようである」ってことを言いたいのかなぁと思いました。以下、それを前提として。(違ったらごめんんさい)
紫陽花が、灯のようであるという部分が、詩の核ですが、やはり「灯す紫陽花」の暗喩はわかりづらいというかちょっと強引な気がします。比喩であるとわかるように直喩表現(「灯のごと」「灯火として」「灯すかに」など)にするか、灯火と並べて紫陽花が灯のようであると思わせるか(提案句は後者)
また、「格子戸の町家」としたら、どうしても家全体を思います。それが比喩をさらにわかりにくくしてるかも。町家の外にいて、町家全体を見ている作者の視点になります。
最後に、「七変化」とした効果があるか。紫陽花の色が変わっていく時間変化のイメージがでますがそれが句にどう機能しているかがわかりませんでした。
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茶道の先生の御屋敷がこんな佇まいでした。