「背表紙のとうに無かりき受験の日」の批評
添削した俳句: 背表紙のとうに無かりき受験の日
私ももまだまだ初心者ですが、この句を批評させていただきます。
作者様の、表紙ではなくあえて背表紙に注目する視点は唯一無二かつリアリティのある物のように感じました。
ただ、それをそのまま背表紙と言ってしまっていることで、そのオリジナリティが半減してしまっているとも感じました。
表紙が擦れてボロボロになる、というのはもはや常套句になりつつあります。
せっかく新しく、努力、を描写する切り口を見つけた訳ですから、それを生かさない手は無いです。
そこで、この句を春のもの(受験が終わって一段落した)として懐古性のみを書いてみるのはいかがでしょうか。私は上五ではそれを懐かしむ印象を受け、下五で緊張感を感じました。その印象の移りを減らし、全体を「努力の思い出に浸る」
ものとしてはどうでしょうか。
こうすることで春と懐かしみ、という一貫性が通り、
使い込んだ背表紙、というのも春のニュアンスも込めて、角の手触りの柔らかさ、などで表現できると思いました。
まとめて、私は自分を主張するような表現が大好きです。周りに伍さないこの視点は誇るべきだと思いました。
点数: 1
