「鷹鳩と化すホーム始発の来るまでを」の批評
添削した俳句: 鷹鳩と化すホーム始発の来るまでを
こんにちわ
基本的に、秋沙美さんと同意見です。似たような内容を書こうとしてはいたのですが、やりたかったことはわかるんですよ。まさにコメントにある、冬の間辛かったホーム、それも暖かくなって朝も早くなってきた今、始発を待つホームの時間も春のおとづれとともに穏やかになってきた。このような気分を、「鷹鳩と化す」という変化を感じられる季語に、「を」の余韻によって、待つ時間を苦痛ではなく深夜明けのほっとした気持ちを表現したかったのだろうと。
省略して表現しようというもがいた跡は見れるもの、字面の句からは秋沙美さんと同じ結論になってしまい、思った効果は出せてないかなぁと。というかこういう感慨を一句に全部持たせるのはなかなか至難で、伝えたいことをもっと絞る必要がある。
・意外性のインパクトのある言葉を使う
・締めを切れのない形にして句を膨らませたい
タートルさんの句はこのような特徴がありますが、本句ではどちらも裏目に出たかなぁと。理由は秋沙美さんがほぼ書かれた通りですかね。補足すると、ホームで切れているように見えるのと、最後の「を」の着地も、始発が来るまでの時間を、(過ごした)くらいの印象くらいしかない点も残念なところ。ここに、本当は伝えたかった「始発くるまでの時間を、気持ちよく過ごせるようになった」という感慨は「まで」と悪い相乗効果で感じられなくなってます。
なんとか、タートルさんの感慨がにじみ出るような感慨を出せないかなぁと頭悩ませて、コメント遅れました。
始発待つホームよ啓蟄の風よ
点数: 1