以下の俳句の添削・批評をお願いします!
作者 一本勝負の悠 投稿日 2019年10月06日
◎生き流る姥捨山の居待月
和光
深沢七郎の楢山節考を読んだのは五十年も昔のことだ。心の底を抉られるような衝撃を覚えた。 当時は三島由紀夫や川端康成にハマっていて、彼らの書くものこそ文學だという思い込み が、根底から覆された。 楢山節考という作品の評価は五十年を経た今も変わっていない。 日本文学を代表する作品の筆頭に入るものと信じている。 さて掲句であるが、上五の(生き流る)という措辞 の可否はともかく、生きて流れる/流れるように生きる/といろんなニュアンスが感じられる。 雰囲気のある佳吟である。
◆季語
居待月(いまちづき、ゐまちづき)仲秋 2011/08/22 【子季語】 座待月、居待の月、居待、十八夜の月 【解説】 陰暦八月十八日の夜の月である。立待月より少し遅れるため、居待月と言う。居待は「座して」待つの意味である。
【例句】
居待月起きて守らん枕挽 智月尼 「藤の実」
~きごさい~
和光さん、ご投句ありがとうございました。次回もよろしくお願い申し上げます。
さんの俳句 を拝読しました。 はとても良かったです。 は素晴らしかったです。
発想が良くて、 季語の使い方が良くて、 切れ字の使い方が良くて、 言葉の使い方が良くて、 取り合わせが良くて、 情景が浮かんで、 着眼点が良くて、 余韻があって、 スゴイなと思い 驚き 感動し やれたと思い 参考にしたいと思い 大好きな作品になり ました!
次回作も楽しみです。 応援しています! がんばってください! 今後ともよろしくお願いします!
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
◎生き流る姥捨山の居待月
和光
深沢七郎の楢山節考を読んだのは五十年も昔のことだ。心の底を抉られるような衝撃を覚えた。
当時は三島由紀夫や川端康成にハマっていて、彼らの書くものこそ文學だという思い込み が、根底から覆された。
楢山節考という作品の評価は五十年を経た今も変わっていない。
日本文学を代表する作品の筆頭に入るものと信じている。
さて掲句であるが、上五の(生き流る)という措辞
の可否はともかく、生きて流れる/流れるように生きる/といろんなニュアンスが感じられる。
雰囲気のある佳吟である。
◆季語
居待月(いまちづき、ゐまちづき)仲秋
2011/08/22
【子季語】
座待月、居待の月、居待、十八夜の月
【解説】
陰暦八月十八日の夜の月である。立待月より少し遅れるため、居待月と言う。居待は「座して」待つの意味である。
【例句】
居待月起きて守らん枕挽
智月尼 「藤の実」
~きごさい~
和光さん、ご投句ありがとうございました。次回もよろしくお願い申し上げます。