なぞなぞ俳句と独り善がり俳句の違いですか…。うう~ん。
自分が読んだとき「全く分からないぞ」と感じたなら、どちらも自分には「伝わらない句」ということになりますよね…。
俳句は読み手に何かを「思い出させる」という言い方がしっくり来るみたいです。
俳句は鍵のイメージです。
皆さんの頭の中に引き出しがあって、この鍵を使ってどこかの引き出しを開けてもらうのかなと。
そこから読者の取り出すイメージは、作者が意図したイメージと一致するとは限らないですし、全くかけ離れたものが出てくるかもしれないです。
あるいは、引き出しが一つも開かないこともあってそういうとき「なぞなぞ?独り善がり?」と感じてしまうのかもしれません。
日本語がおかしく、何のことだかさっぱりわからない句でなければ、私は自分の引き出しが開かなかっただけなのかな…と思います。
どなたか開く方がいたら、どんなイメージが出てきたのか知りたいと単純に思います。
🔶恐竜の滅びた理由ソーダ水
どなたの句か存じ上げませんが、私は小学生のときの記憶の引き出しが開きました。うまく言えないですが、博物館、科学館の帰り道、夏休みの自由研究が完成した後など…子どもの頃の自分の頭にある「過去」というものはたった数年の短い薄っぺらいものでしたが、そこから一気に世界が勢いよく広がったときの記憶です。
そのときの気持ちに「ソーダ水」ががつんとぶつかる感じがしました✨