両手で顔被う朧月去りぬ/金子兜太
よくはわからないけれど、しかし、印象に残る句がある。私にとっては、掲句もその一つになる。つまり、捨てがたい。この句が厄介なのは、まずどこで切って読むのかが不明な点だろう。二通りに読める。一つは「朧月」を季語として捉え「顔被う」で切る読み方。もう一つは「朧」で切って「月去りぬ」と止める読み方だ。ひとたび作者の手を離れた句を、読者がどのように読もうと自由である。だから逆に、読者は作者の意図を忖度しかねて、あがくことにもなる。あがきつつ私は、後者で読むことになった。前者では、世界が平板になりすぎる。幼児相手の「いないいない、ばあ」を思い出していただきたい。人間、顔を被うと、自分がこの世から消えたように感じる。むろん、錯覚だ。そこに「頭隠して尻隠さず」の皮肉も出てくるけれど、この錯覚は根深く深層心理と結びついているようだ。単に、目を閉じるのとは違う。みずからの意志で、みずからを無き者にするのだから……。「俳句的な」姿勢に発していると読めば、また別の解釈も成立する。と、いま気がついて、それこそまた一あがき。『東風抄』(2001)所収。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記より。
◆朧/おぼろ
三春
草朧/岩朧/谷朧/灯朧
鐘朧/朧影/朧めく
春、南風が吹いて
空気中に水蒸気が
多くなると、万象
がぼんやりと柔ら
かく見えるように
なる。そういう現
象を昼は「霞」と
いい夜は「朧」と
いう。
辛崎の松は花より朧にて
芭蕉「野ざらし紀行」
鉢たたき来ぬ夜となれば朧なり
去来「猿蓑」
辛崎のおぼろいくつぞ与謝の海
蕪村「橋立の秋」
白魚のどつと生るるおぼろかな
一茶「文化句帖」
~きごさいより。
◆ 朧
悠
朧夜の朧に浮かぶ劔岳/悠
感動の一句を教えてください。