特定の人たちのによる特定の人たちによる場所と化しています。
そこでの俳句観と合わない者は排除されるように感じています。
季語使い方を取ってみても、季語を主(季語に込められている情感を利用する)とするか、従とするか(季語を他の表現から合うものを選び詩語として使い、添え物として扱う)との二つの流れがあります。
どちらが正しくて、どちらが間違っていると一概に言えないと思います。
その俳句の中で、どのように機能しているのかを見るのが大事で、一律的な見方は如何かと思います。
入門書の原則を前面に押し立ててきますが、助詞や「切れ字」は大原則意外にも機能があります。体言止めも然りです。
その辺にも考えを馳せていただきたいと願っています。
単に特定の人たちによる特定の人たちのための場になっているのならば、入門・初級レベルの人は中に入って行けるのでしょうか?
意見をされたからと言って、その後にあしらうような態度どころか、明らかに誤っている添削をだすとの嫌がらせを平気で行っている。
これで添削道場は成り立っているのでしょうか? 機能しているのでしょうか? 管理人さんも考える方が良いと思いますよ。
せっかくのサイトがおかしなことになってしまいます。