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返信する!以下は元記事

タイトル:その他もろもろの疑問の返信1 投稿者: しか

(No.33への返信のタイトルの「1」はミスなので気にしないでください)

>>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。
>ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

たぶん自由意志の定義が食い違ってるのだと思います。あと私の勉強不足による齟齬もあるだろうと。以下その前提というあやふやなものですが一応、いまの私の考える自由意志の定義を書きます。

「自由に選択したと思う感覚」は存在するけれど、意志は虫の大群のようなもので、一匹一匹の行動が意志を形づくっているが、それを俯瞰するようなものはない。選んでいるつもりが虫たちに誘導されているだけで、その虫たちも誘導しようとは思っていないうえに彼らも環境に誘導されている、という解釈です。
それで私の指す自由意志はなんと言えばいいか……自発的なもので、もし「思考」のどこからどこまでというものをひとくくりにして「個」と考えるのならそれは自由意志と言えるかもしれないけれど、それを分解していけばどこにも自発的・能動的なものはない、という風に考えてます。
そして突き詰めればどこにも能動的なものがないものをひとくくりにして「自由意志」と言うなら、自由意志という言葉の定義をすり替えているように感じるので、「自由意志はない」という意見になっています。

>しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?

すみません、何度考えても分かりませんでした。上の私見がこれに対する私の考えの手がかりになると思いますが、質問の意図した“状況”のようなものが見えていません。「事象」「自由」などの(ここでの)定義を頭の中に構築できておらず、最初に言った「勉強不足なので返事に窮している」状態です……。

>そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上に書いた私の考えは、「すべてはまわりに影響されて押し出されるように変化する」というものですが、それだと束縛しか存在しないのでは……?
しかしそう言うととけっきょくは議論が決定論や自由意志の存在に戻ってしまいますが。

>その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
>それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

後半は同意です。しかし前半を読むとやっぱり上に書いたようにそもそも自由意志の定義が違ってるように思えます。議論するには定義から話すべきだと思います……が、私とあまくささんではかなり知識差があると思うので(卑下ではなく、根拠は以降のレスに書きました)、対等で実のある議論になるには時間がかかり、誤解や無知を正すだけの作業になる予感がしてます……(張り合いがなくてすみません)

>決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

私の考えは「自由意志はあるように感じるけれど実は能動的な事象はない」ということになるので(じゃあ宇宙はどう始まったんだ!という疑問が出てきますが)、自由意志もあるなしを証明するのは無理ということになりますよね。決定論についても同様に考えています。

>暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?

それなら毎日トイレに行くことも努力ってことになりませんか? 努力は成し遂げたい目的のための行動(たとえやり方が非効率だったり間違っていても)を指すのであり、生きるための行動ではなく幸福になるための行動と定義するべきだと思います。「継続」というのも入れるべきかもしれません。

しかしこれがあまくささんの考えを否定する根拠になり得ないことは分かっています。

>仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。(以下略)

これについては飛躍してるように思いました。よくわからないというのもあって、一方的にあまくささんが飛躍してる!とは言いきれないんですけど。

私は感情を雑念と一蹴したのを根性論じゃないかと言いました。なので「雑念と一蹴すること」と「暴漢から逃げようとすること」に共通点があるのだと思いますが、それがなんなのか分かりません。それか私の挙げたところが違ってますか?
もしくは上で書いた「努力」の定義の違いから行き違いになってるのでしょうか?

>私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。

私が根性論と言ったのは「諦められるなら努力しなくてもいい」「諦められないなら努力するしかない」と分かっている人に、あえてまた言うことを指してます。
(私はスレ主さんの最初の書き込みで「その現実は理解してるけど努力の先の希望が薄すぎてつらい」と解釈したので理解しておられる、むしろあまくささんともそこは同じ意見だろうと思いました)

>努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。

「スレ主さんの視野が狭くなっているから闇雲に追い付こうとするより柔軟に考えた方がいいよ」というアドバイスだったということですか? それなら少し分かります。
少しというのは、あまくささんの意図は(この解釈で合ってれば)理解したけれど、私はやっぱり同意できないので。

私としてはそれは共感のあとにするべきだと思います。先に言っても「分かってるけど……」という気持ちになるのではないかと。弱ってるときに前向きなことを言うのは逆効果だと。だからこそ回答が冷たいと感じてひどいと言ったので、理解はしてもそこは変わりませんでした。

>しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。

それについては私の斜め読みだったことを認めたつもりだったんですけど、分かりにくい書き方だったらすみません。

>>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。
>論点がずれています。
>>「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

上にも書きましたが、そうしたいんだけど希望が薄すぎてつらくてやる気が出ないという相談ではなかったですか?
私が言いたかったことは要は「分かっている人に言っても解決にはならない」ということです。

>「俺はこうしたい」
>「じゃ、そうすればいいじゃん」
>「でも、こういう理由でできないんだ」
>「できないなら諦めるしかないだろ?」
>「だけど諦めきれないんだ」
>結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?

スレ主さんは諦めきれないから行動するためにまずは心を落ち着けようとされたのだと思ってます。その感情の作用を無視して「やればいい」とおっしゃるのを前回、根性論と言いました。

>「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。

たしかにややこしい書き方してますね……。
(他にも「どん底」という言葉を違う場面で使ったりしてましたし、すみません)

要は愚痴を言うってネガティブな行為と一般的にはされてますよね。それで「一見建設的でない」と書きました。

でも建設的、というのは
「希望を見いだせないが諦められない」
「諦められないなら書かなくては」
「しかし落ち込みすぎてやる気が出ない」
「ならまずはやる気を出すために心を癒そう」
……こういう思考により投稿された相談だと思ったので(というか今回に限らずそういうプロセスから発せられるものだと思うので)、傷の舐めあいは「行動のために活力を得る、そのために心を癒す」という、最終的に行動に繋がる行為だと考えて「建設的」と書きました。

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