だとしたら「もうすぐ」という言葉に対し「もうすぐってどれくらいだ」という会話自体が、時間の概念なかったら成立しないんじゃないのかな。
そういう世界の人にとって「もうすぐ」は「もうすぐ」なんじゃないのかなって思う。
その人にとっての「もうすぐ」感覚で認識するから、「もうすぐってどれくらい?」という疑問は出ないんじゃないのかなぁ、と。
だから、例えば
「そんな、『もうすぐ』ならほとんど猶予はないじゃないか!」
「まだ三時間ほどはあるーー」
「サンジカン?」
「いや、猶予があるというほどではないが準備はできるさ、急ごう!」
とか。
まあ、そんなこと言ったら「猶予」とか「余裕」とか「早く」とかって言葉も時間の意識が希薄だったら出てこないだろうから、現地人が「猶予」って言っちゃうのが違和感あるし、世界観を出すなら大事なトコかもしれんけど、いっそ「三時間」が通じちゃってもいいんじゃないかな。
少なくともそこに引っかかる読者なら現地人が「早く」とか「余裕はあるのか」って言ってるほうが引っかかると思うし、変に「時間」だけ気にすると他の部分のアラが目立っちゃうと思う。