> 「魔法や魔物の類が存在しない」「技術レベルは実在世界と同等」「地形や地名は異なる」という世界観
これって異世界ものなのかという点から考えてみてはどうでしょうか。以下、少し説明してみます。
1.フルメタルパニックは異世界ものではないのに
過去(と言うと失礼かもしれないけれど)の人気作を少し例に出してみます。
例えば「フルメタルパニック」(略称フルメタ)シリーズ。アームスレイブなる巨大人型兵器、要は巨大ロボがあったり、不可視装置があったりします。作中年代もはっきり出てるんですが、もうないはずのソ連が存続してたり、中国が南北に分裂してたり。それでいて、その他の点では(アニメ表現の範囲で見ても)現代とほぼ見分けがつかない。
しかしウィスパードなる異能が物語のカギだったりする。現在の現実世界とほぼ同等の異世界と考えるしかありませんが、異世界もの分類はされていません。フルメタ程度(と言っては失礼かもしれませんが)の設定なら、類例は多々ありますから当然でしょう。
2,とある魔術の禁書目録も異世界ものではないのに
「とある魔術の禁書目録」シリーズもそうですね。技術的には近未来くらいでしょう。加えて超能力(作中では単に能力と呼ぶ)、それに作中で公式には存在が認められていない魔術があります。それ以外は現代の延長に感じます。
が、現実世界が将来、そんな世界になり得ると思う人はごくわずかのはずです。やっぱり過去の歴史からして(もしかして物理法則すら異なる)異世界の出来事と考えるしかありません。しかし誰も「とある」を異世界ものと分類はしていません。
3.暗殺教室だって異世界ものではない
コミックですが「暗殺教室」も似たようなものですね。通称「殺せんせー」なる、超高速で移動する(元人間の)タコに似たクリーチャーがいて、月を半壊させる力があり、しかし弱点の物質があって、学校でエアガンで狙われる。現実世界でそんなことは、将来起こりそうにない。異世界と考えると辻褄合うけど、誰も異世界ものと分類してない。
4.似ているのに異世界と強調するリスク
ですので、現実世界と非常に似ているなら、そもそも異世界ものという意識を、作者が持つ必要があるのか、という点から考える必要があります。異世界ものと称してなく、読者/視聴者/観客も異世界ものと認識せず楽しんでいる作品と大差ないのに、「異世界ものだから異世界と思ってもらはなくては」と作者が思ったらどうなるでしょう。
作者は何とか異世界ものだと伝える描写や説明を入れますよね。ですが、読者からしたら異世界もの分類でない類似作がいっぱい思い浮かぶはずです。結果、作者の「異世界ものです」というメッセージが余計なもの、煩わしいもの、押しつけがましいものに感じられる恐れがあります。
5.現実と似ているゆえに矛盾も見えやすいリスク
作家であり研究者などでもある大塚英志さんが(初心者向け)創作のコツとして「現実世界と、ちょっとだけ/1つだけ異なる点がある世界を考えてみる」ということを言っているそうです。やってみると分かりますが、1つだけ変えるのは難しいんですね。
例えば「人間にテレポーテーション能力があるとする」としてみると、「どこへでもすぐ行けて便利」だけとはなりません。たぶん各種の交通システムは利用されなくて消滅するでしょう。さらにいえば、テレポートできるんなら、そもそも交通手段のいくつかは発明すらされない。作家のラリー・ニーヴンは「テレポートがあったら」で冗談交じりの考察書いてまして、例えば「防犯のため、個人の家でも迷路のようになる」旨、指摘してたりします。テレポーテーション1つでも世界(設定)は、考えれば考えるほど現実とは大きく異なっていくわけです。
6.読者は欠点の本質を指摘してくれない
もし読者から「ファンタジーじゃないなら異世界を舞台にするべきではない」といったことを言われた場合、ファンタジーでないことが原因ではない可能性に留意すべきでしょう。ファンタジーなら、かなりぶっ飛んだ現実との差異を出しますよね(魔法を当たり前に使うとか、ドラゴンがうようよ飛んでるとか)。
ぶっ飛んだ差異があれば、細かい点は気にならなくなる傾向があります。しかし現実とよく似ていれば、細かい点が見える、気になる傾向があります。しかも現実と似ているんですから、類推などを使って考えやすい。例えば上述のテレポーテーションがあると設定されていたら、「なんでバイクなんかがあるんだ?」みたいな疑問がいっぱい湧いてしまう可能性があります。
リアリティを出しやすからと現実とよく似せることに注力して、設定の整合性が取れなてないと、不自然さが目立ちやすいわけです。
やっかいなことに、読者は疑問に思ったり不自然に感じたりした時点で、その時点の描写に文句を言いやすく、問題点の本当の原因は言ってくれないのが普通です。「王国」と書いてあったからファンタジーと誤解したかどうか、作者としてよく考える必要があります。「王国」は読者が違和感を意識するきっかけにすぎないかもしれないわけです(たいてい、それより前に原因がある)。
7.本当に異世界と強調する必要があるのか次第
対策としては、現実と酷似しているなら、あえて異世界と言う必要はない、というのがまず考えてみる価値のある選択肢でしょう。しかし異世界である点が重要な場合もありますね。その場合は仕方ない。お示しの方法を取るしかないでしょう。必要悪と考えるべきでしょうし、いかに不自然さを下げるかという、個々の作品に即した具体的な問題になります(具体的な手法はケースバイケースで、一般的に「こうすればいい」はない)。
8.タイトルも作品を表す表現
それに1つ加えるなら、タイトルで宣言しておく手があります。長いタイトルはやや廃れてきた気がしますが、目的次第では有効です。例えば、「朝起きて、普通に学校に行くんだけど、なんだか違和感がある」みたいな冒頭で、中盤で「実は異世界に来ていた」と分かるとします。しかし異世界であることが特にどんでん返しとかではない。最初から知ってもらっておいたほうがいい、としましょう。
それなら例えば「普通に登校したけど、もしかして異世界?」というタイトルにしておけば、作品の狙いは伝えらえます。地の文でも登場人物の誰も「異世界」と匂わせなくても、読者は最初から「異世界のはず」と認識できます(登場人物が知らなくて、読者が先に真相を把握する「劇的アイロニー」)。
以上、サンプル的なうえに曖昧ですが、こういったところくらいだと思います。もっと具体的には作品に即して考える必要がありそうです。