「君は僕ボクはキミだけを見ている水族館の水槽越しに」の批評
回答者 たまゆら
添削した短歌: 君は僕ボクはキミだけを見ている水族館の水槽越しに
「僕は君」とお相手の彼女については漢字、自分については「ボクはキミ」とカタカナで表現しているところが良い。
あふれる想いの切実さや、恋に慣れない不安な気持ちがカタカナで表現されているところによく現れていると思います。
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回答者 たまゆら
添削した短歌: 君は僕ボクはキミだけを見ている水族館の水槽越しに
「僕は君」とお相手の彼女については漢字、自分については「ボクはキミ」とカタカナで表現しているところが良い。
あふれる想いの切実さや、恋に慣れない不安な気持ちがカタカナで表現されているところによく現れていると思います。
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回答者 よしはむ
添削した短歌: いつの日か来る別れさえ怖じけつく強く生きよう忘れじ想い
朝倉さん、こんにちは。
>いつの日か来る別れさえ怖じけつく強く生きよう忘れじ想い
知人の訃報を聞くたびに、友と別れる日が来ることを考えて怖じ気づく。しかし、強く生きようと思い直す。
という意味の歌だと思います。
「別れさえ怖じけつく」この言葉がわかりづらいです。別れさえ怖じけつく、というのは文法上おかしいと思います。
また、「強く生きよう忘れじ想い」だと、友が亡くなってしまったのかと誤解を与えてしまいます。
そこで、これらの点を改善した歌にしてみました。
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回答者 たまゆら
添削した短歌: いつの日か来る別れさえ怖じけつく強く生きよう忘れじ想い
「いつの日か来る」は「いつ来るだろうか」という未来についての表現ですね。
我が身にも命が尽きる日がやってくるかもしれない、という意味で使われたのだと
思いますが、その場合は「別れ」ではなく「逝く」など表現が適切です。
「別れ」はどちらかというと、自分の元から誰かが去っていく表現で
自分が逝ってしまうと「別れ」を意識することはできなくなってしまいます。
それと、誰かの訃報を聞いたという出来事がそれでは伝わらなくなってしまいます。
また、「怖気づく」と「強く生きよう」が分断されています。
筆者さんの意図のとおりにするなら、
「怖気づく」「けれども」「強く生きよう」とつなげなければいけません。
「忘れじ想い」も文法的に誤っていて、
「想い」という名詞につなぐのであれば連体形で「忘れぬ想い」になります。
「想い忘れじ」とすれば文法的にはOKです。
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回答者 腹胃壮
添削した短歌: 下手くそな笑顔見せ言ういつかまた濡れた袖口気づかれぬよう
ゴンタさん、おはようございます。明けましておめでとうございます。宜しくお願いいたします。
最初読んだ時には恋人との別れかと思いましたが卒業を歌ったのですね。俳句にも季語として卒業がありますが短歌で歌うのまた別の趣があると思います。
しかし俳句と川柳は素人で短歌は素人以下なので短歌の字余りの良し悪しがまったくわからないのです。とりあえず五七五七七の定型に直してみました。
評価はいかがなものでしょう。
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