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タイトル:はりねずみのおひっこしの批評 投稿者: さる・るるる

残念ながら、三幕構成を理解されていません。

私は、三幕構成を、こう定義しています。
「登場人物の“感情”をデザインする」ためのモノ、
または「登場人物の“感情”をコンロールする」ためのモノと言い換えてもいいです。
つまり“感情”の揺れ動きを、全体を俯瞰しながら、作っていく設計図だと考えています。

そのため、まず、三幕構成を考える時は、
「一幕」と「三幕」を行ったり来たりして作ります。
それは、「対比」を、常に意識して、作っているからです。
例えば、「主人公とは」、“物語の中で、一番、成長した人”とか
物語の“最初”と“最後”で、“行動や考え方が変わった人”などと言われています。
また、「物語とは」、“主人公を成長させること”、とも言われています。
そう考えると「一幕」で「弱い人」と設定すれば、
「三幕」では「強い人」になっていないといけません。
つまり、対比した関係にします。
そうしないと、主人公は、成長していないことになります。
そのため「一幕」と「三幕」を、セットで考えます。

それでは、上記を参考に、この小説を検証してみましょう。
「一幕」は、主人公のハリネズミが、
人見知りのため、いじめられて村を出ています。
そうなると、「三幕」は、「一幕」を受けて、
対比した形になっていなければなりません。
ところが、この主人公は、「三幕」でも、相変わらず、人見知りで、
自分の家に閉じこもり、ネズミの方から訪ねて来ています。
彼女は、何の努力もせず、向こうから、幸せが勝手にやって来ているのです。
これでは、何の感動も起こりません。
ちょっと声をかけたぐらいでは、状況は一変しません。
主人公が、“大きな障害”に立ち向かって、
“ありったけの勇気”を振り絞ってこそ、読者が共感し、感動が生まれるのです。
もうこの時点で、三幕構成が上手くいっていないことが分かります。

さて、この部分を、もう少し説明しますね。
この小説は「一幕」で、ハリネズミは自ら村を出ています。
もちろん、これでも、何ら問題はありません。
ただ、説明の便宜上、村を自ら出るのではなく、「追い出された」とします。
そうなると、最後は自ずと「迎い入れられる」となります。
つまり、対比ですね。
そこで、次に、「追い出された者」が、
最後に「歓迎される」設定(状況)って『どんな事』でしょう?
例えば、それは、「“誤解”されて」追い出されて、
「“誤解”が解けて」迎い入れられた、といった発想をしてみました。
そうなると、「二幕」も、ある程度、決まってきます。
【一幕】で、ある“問題”で誤解されて村を追い出されたなら、
【二幕】で、また一幕と同じ、ある”問題”に直面し、苦渋の選択の末、
【三幕】で、一幕とは“逆の選択”をし、誤解が解け、また村に迎い入れられる
という話の流れになります。

“なぜ”と「二幕」が、そうなるかというと、パターン(型)だからです。
スミマセン、身もフタもない結論で。
こういった、パターンを、いくつも覚えることが大切です。
ただ、パータンは無限にあるワケではなく、結構、少ないモノです。

で、対比の話を、今度は、「キャラクター」や「人物配置」に広げていきます。
主人公は、【女の子】のハリネズミです。
となると、次に、相反する相手を、設定する必要があります。
ここでは、【男の子】のネズミのちゅーたを置きます。
つまり、関係を「女と男」にします。
そして、主人公の【人見知り】とは逆に、ちゅーたの性格は【人なっつこく】します。
つまり、主人公と対比させ、【混じり合わない二人】を作ります。
この混じり合うはずのない二人を、どうやって混じり合わせるか、です。
ここが、ドラマです。よくドラマという言葉を聞くと思いますが、
「ドラマとは」、専門用語で、“主人公の葛藤を描く”ことを指します。
つまり、人見知りの主人公が、苦手な男の子に話しかけたくないケド、
どうしても、話しかけなくなくちゃいけない“究極の状況”を作ります。
ここ、大事です。つまり、“究極の選択”をさせるのです。
そして、その選択肢に、「相手」も入っていなければなりません。
「自分」か「相手」か、です。
この小説は、自分の針が「切られる」か、「切られない」か、すべて自分都合です。
ここが面白くありません。

この小説は、主人公が変わるための状況づくりが弱いです。
童話なら、もっと残酷な展開でもいいと思います。
ここを、常套手段の「死」で説明します。
つまり、「主人公が死ぬ」か、「ちゅーたが死ぬ」か、という状況を考えます。
そう考えると、人物が足りません。天敵を出しましょう。
猛禽類の「フクロウ(メス)」を登場人物に加えます。
ここは、女と女の戦いにしました。ま、ここは、性別はどっちでもいいんですけど。
つまり、フクロウが襲ってきて、主人公が「ちゅーたに声をかけて助ける」か、
「黙って自分が助かる」かという究極の二択を作ります。
ここまでが「二幕」です。

そして、その「二幕」を受けて、「三幕」はお察しの通り、
主人公は、勇気を振り絞って、ちゅーたに声をかけます。
普通は、「自分が死ぬ」か、「相手が死ぬ」かを考えた時、必ず自分を取ります。
しかし、物語は、普通とは逆の選択にします。
ちゅーたに声をかけた結果、自分が死んでしまう、という結末もあるでしょう。
ただ、ちゅーたに声をかけた結果、自分も助かる、という結末もあります。
つまり、“自分から話しかける”という
行動を起こす展開は“絶対”で、その後の結果は様々です。

そこで、次に、行動原理を考えてみます。
主人公は、この究極の選択を、
どういった理由で決断するのでしょうか?
ちゅーたは、恋人ならまだしも、見も知らぬ人です。
いきなり、助けるだけでは、主人公の考え方がまったく理解できず、
何の感情も沸き起こりません。
つまり、自分の命を投げ出しても
助けなければならない理由を作って「一幕」で説明しておく必要があります。
そのエピソードから、今度は、違う選択をしようと頭では思うのですが、
実際は、足がすくんで、行動に移すことができません。この部分がドラマです。葛藤です。
それくらい、重い十字架を背負わせましょう。深い傷を心に負わせましょう。
主人公を、徹底的に追い込めば追い込むほど、ラストは、大きなカタルシスが得られます。
例えば、前の村で親しくしてた子ネズミがいたが、目の前でフクロウに襲われてしまった。
その罪に苛まれ、ショックから立ち直れないハリネズミは、新しい村に向う途中で、
親しくしていた子ネズミと瓜二つのちゅーたと出会い、とか、
イジメられている時に、フクロウに襲われ、自分はハリがあるから助かったが、
ネズミたちは、みんな、食べられてしまった、とか、
いかようにでも、ネズミ(赤の他人のちゅーた)を助ける動機づけのエピソードが考えられます。
ここを考えることが、物語の要と言えます。

さて、ここまで長々と説明してきましたが、
そもそも、「三幕構成」よりも、最も重要な「テーマ」が見えません。
つまり、“伝えたいこと”です。
例えば、「いじめはダメ」とか
「友達を作る時は、まず自分から話しかけよう」とか、
「人見知りは損しちゃうよ」とか、そういった単純なメッセージです。
この小説を要約すると、
イジメられたハリネズミが、村から逃げ出し、男の子に話しかけて、また逃げ出した。
そうしたら、なんと、男の子の方から訪ねてきてくれた・・・。
コレって、「環境を変えると棚ボタで幸せがやってくる」って趣旨でしょうか?
この部分を、ハッキリさせていないのが、一番の問題かもしれません。
言いたいこと、伝えたいことを、もっと明確にして、これをハッキリさせた上で、
「一幕(状況)」「二幕(問題)」「三幕(解決)」を
当てはめて、シンプルな話の骨子を作ってみてください。
あとは、それに肉付けしていくだけです。

三幕構成って、理解するのも難しく、それを自分の小説で、
「うまく再現する」にも、かなりの時間を要します。
そうそう簡単にはいかないかもしれません。
しかし、ひたすら、書いては人に見せ、書いては人に見せを繰り返し、
小説を研磨していくのが一番の方法かと思います。
頑張ってください。

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