なるほど、死ぬことに対して絶対的な熱意を持つことが重要という訳ですね。
そこら辺にあるものを使えば好きに死ねるのに、それが出来ない理由、しない理由が欠如している。
確かに中途半端でイライラしますね。
ただ、この中途半端と言う要素は自分なりに大切にしたい要素ではあります。
けれど、そうですね。
もう少し、タケルの死について考えてみます。
例えば、痛いのは嫌で包丁を自分の腹に刺すのは嫌だ。苦しいのは嫌だから首を絞めて死ぬのは嫌だ。
でも、それは表面上の言い訳にしか過ぎなくて本当は別の理由があるというのは大丈夫なのでしょうか?
お手数ですが、お答えいただけると幸いです。