プロットの変更に伴い、全面的に改稿しました。
引き続き、アドバイスをいただけるとありがたいです。
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電脳空間レーヴ。人々の夢と夢を繋いだネットワーク上に創られるのは、誰もが自由を楽しめる世界のはずだった。
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「運び屋を探してるんだけど」
入ってくるなり、少女はそう言った。
ひな形から余分を削ぎ落とした整然としたオフィス。真ん中に置かれた幅広のデスク。
皮張りの椅子に沈み込んでいたクラウは面倒くさそうに顔を上げ、風変わりな闖入者を観察する。
ゆるやかなウェーブのかかった赤髪、いかにもお嬢様然とした雰囲気。
レーヴで流行りの活発なパンツスタイルは良家の子女には相応しくないかもしれないが、少女の勝気な瞳を見れば、それはそれで似合っていると言えなくもない。
すぐに興味を失って、手元の端末に目を落とす。
「こっちが探してるのは依頼人だ。迷子じゃなくてな」
スクリーンの起動音。
クラウの目と鼻の先に、シティ・バンクの預金通帳が展開されていく。
桁を数えるのも億劫になりそうな天文学的残高。
しかしそれ以上にクラウの目を引いたのは、左上に表示されている名義人の欄だった。
アリス=シャフト。
偶然ではないだろう。忘れもしない。シャフト社といえば、レーヴの開発に初期から関わっていて、今や世界有数の規模に成長した複合企業だ。
「それで?」
言いながら、デスクの引き出しに手が伸びそうになる。
そこには文房具でもグラフ用紙でもない、装填済みの五十口径が鎮座している。前の職場にいたときに詳しい同僚に聞きながら設計したもので、威力は折り紙つき。使いどころは難しいが、たとえば至近距離で誰かの頭を吹っ飛ばしたい気分になったときにはちょっと便利かもしれない。
少女――アリスは落ち着き払っている。淡々と依頼内容を告げる。
「セイクルスまで。期限は明後日の正午」
大陸の反対側にある、海を望む大都市だ。
「北ルートなら5日、南ルートなら一週間。うちより早いところを見つけたら逆に教えてくれ」
アリスは首を傾げる。その視線はクラウの背後に向けられている。
「なんでわざわざ遠回りするの?」
クラウはせせら笑う。
「なんで?」
椅子を回して、大きな窓を振り返る。
そこに広がるのは砂が渦巻くばかりの荒野だ。すすり泣きにも似た風切り音が、ガラス越しにかすかに聞こえてくる。
「どうして未開発領域がああいう風景に設定されてるか、知ってるか? まともな感性のやつが、ちゃんと二の足を踏むようにさ。あんな場所に入ったら、無事に出てこれるわけがない……ってな」
そう言って、アリスのほうを振り返る。
アリスは訝しげに眉をひそめる。
「よくわかんないけど。あなたには無理ってこと? なら他を当たるわ」
ひとつめ。生意気な少女の顔を胡乱げに眺めながら、そっと引き出しの把手に触れる。仏の顔も三度までだ。あとふたつ舐めた口を利いたら脳みそをぶち撒けてやろう、と心に決める。
どうせ夢の中だ。本当に死ぬわけではないのだ。ショックは本物だし、トラウマぐらいは残るかもしれないが。
「とりあえず理由を話してみろよ。相談ぐらいは乗ってやらんでもない」
「できないんでしょ? 私も暇じゃないの」
ふたつめ。
「できないとは言ってない。だが、うちの方針で客は選ぶんだ」
「報酬の話?」
クラウは鼻で笑う。
「何でも金で解決できると思ってるなら、さすがとしか言いようがない英才教育だな」
アリスはクラウをじっと見つめ、
「お金だけじゃないとしたら?」
「あ?」
「腕は一流だけど頑固だって聞いてたから。調べさせてもらったの、あなたの経歴。私はあんまり知らないけど、ワールドメイカー……だっけ? レーヴの開発部にいたのよね。で、不祥事で追い出された。そうでしょ?」
みっつめ、どころの騒ぎではなかった。
ワールドメイカー。今や世界中の人々が日常的に利用するようになったレーヴの基礎を築き上げ、その発展を担っている公認の技術者たち。かつてクラウが理想のために身を粉にして働いていた場所。
いきなり現れて、他人の過去に土足で踏み入る傲慢さ。ついでに鼻持ちならない大企業の娘となれば、気持ちとしては十回殺してもまだ足りないぐらいだ。
「失せろクソガキ。さもないと」
半ば本気で引き出しを開け、
「開発部に戻れるようにしてあげる。それが今回の報酬」
その手が止まった。引き出しを元に戻す。
「……なんだって?」
アリスは言う。
「もちろん、私自身に権限があるわけじゃないけど。それができる人に紹介してあげるわ。あなたが何をやらかしたのか知らないけど、多分どうとでもなるんじゃない?」
もちろんそのとおりだ。シャフト社の威光が通用しない場所など、現実世界にもレーヴ上にもそうそうない。だが、
「ガキの言うことなんて真に受けると思うか?」
アリスは肩をすくめる。
「信じるのも信じないのもあなたの勝手。これは純粋な取引だもの」
舌打ち。純粋な取引などこの世に存在しない、とクラウは思う。そこにあるのは打算と妥協と、歴然とした力関係だけだ。
「……エル」
クラウの呼びかけに応えて、デスクの真ん中の空気が揺めいた。しなやかな黒猫が滲み出るように姿を表す。完璧な迷彩。
「わ」
アリスが目を丸くする。先ほどまでとは打って変わって、年相応に隙だらけの表情を見せる。
黒猫――エルは尻尾をひと振り、広々としたデスクをとことこ横切って、端っこで置物のように丸くなる。顔だけクラウのほうに向け、
「お金がもらえるなら、私はどっちでも」
若い女の声でそう言うと、あとは任せたとばかりに目を閉じてしまう。
ため息をひとつ。
そんなふうに割り切った態度で物事を見ることができたらどんなに楽だろう、とクラウは思う。
ふとアリスのほうを見やれば、まだポカンとしてエルを眺めている。
なんだか急に毒気を抜かれてしまった。
「おい」
アリスが振り向く。
「さっきの話、本当だろうな?」
気を取り直したように、
「……もちろん。約束は守るわ」
クラウは背もたれに深々と身を沈めた。椅子を半分回して、窓の外に視線を向ける。
地平の彼方まで続く荒野。
目的地の街との間に横たわっているのは、ただの砂が渦巻くばかりの荒野ではない。開発部がクラッカー対策に放った白血球プログラムや、エラーまみれの誰かの悪夢の残滓がひしめく、前人未踏の未開発領域だ。
クラウはしばらく無言で荒野を眺め、悩みに悩んだ末に、ようやくアリスに向き直る。
まるで物怖じしない少女を見返して、投げ出すように言った。
「まずは打ち合わせから。契約の話はそのあとだ」