不快なコメントを書かれたら?
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回答者 慈雨
添削した俳句: 夏近し僕は立派な自閉症
こんにちは。
ケントさんですので率直に書かせていただきますが、お許しを。
この投稿、「イサクさんに誤りを認めさせたい」という意思がひしひしと伝わってきて、あまりいい気分ではないです。
私としては、イサクさんの最初のコメントも丁寧さに欠けると感じましたが、それに対するケントさんのコメントは戦闘的すぎると思いました。
少なくとも「自閉症を揶揄するような句」だと感じた人がいる以上、それは作者として真摯に受け止めるべき事柄ではないでしょうか。
さて、自閉症は私も身近に関わりがありますが、ここでは割愛します。
私は「自閉症(を含む発達障害)をテーマに俳句を作る」こと自体が相当に難しいと感じています。理由は「誤解や偏見を助長する可能性がつきまとう」からです。
ケント様の「蜂の巣や自閉症ではないけれど」。
巣の個室に入っている蜂と、自閉症の引きこもりを関連させたとのこと。句の難解さを差し引いても、リスキーな句だと感じます。
釈迦に説法かとは承知ですが、自閉症=引きこもり、ではありません。
自閉症の主症状は「コミュニケーションの障害」と「特定行動への執着」。
その結果として対人関係につまづき、不登校や引きこもりなどの二次障害が生まれるという関係です。
しかしその知識を持たない人が御句を読んだ場合、「自閉症とは引きこもりになる病気なのか」と誤解する可能性があります(実際、「自閉症」という名称からそのように考えている人は決して少なくありません)。
これは大きな違いです。
本当は「自閉症に対する無理解や社会的支援の不足のせいで引きこもりになっている(周囲に責任がある)」のに、「〇〇くんが引きこもっているのは自閉症だからだ(周囲に責任はない)」と考えてしまうわけですから。
ご存知のように、現在の自閉症に対する援助は「治すこと」よりも「周囲の理解を促し、本人の特性に合った環境をつくること」に重点が置かれています。
なので、自閉症(その他の発達障害も含め)に関しては「誤解や偏見を取り除いていくこと」が大事な社会的課題となっています。
それを考えると、たとえ小さなサイトであっても世界中に発信されるネットですから、自閉症について述べる以上は正確に伝えてほしいと思いますが、それは17音の俳句には極めて不向きだと思います。
更に穿った見方をすれば、実はケントさんが自閉症児をいじめている人で、「なんか巣に籠ってる蜂を見てたらアイツ(自閉症児)を思い出すなぁ。今度からアイツのこと蜂って呼んで馬鹿にしてやろう」という句だと解釈することもできてしまいます。
これも、感情を直接書かない俳句では避けがたいことだと思います。
「自閉症児は劣った存在」「私達とは異質な存在」「自閉症は不幸なこと」「甘えているだけ」「親のしつけが原因」「普通に生活できないのだからコミュニティから排除しても仕方ない」など、自閉症・発達障害には様々な誤解や偏見が今も根強く存在します。
大袈裟かもしれませんが、俳句にすることでそれを助長するリスクは存在すると思います。
長々と、失礼なことをお書きして申し訳ありません。
ケントさんに悪意がないことは百も承知ですが、それでも尚、作者の意図とは違った受け取られ方をするのが俳句の常だと思うので、率直に書かせていただきました。
点数: 3
回答者 おかえさき
添削した俳句: パンジーや色めく朝のクリニック
こんにちは、再訪です。
ポスト佳作掲載おめでとうございます🎉優しさの溢れた分かりやすい句だと思いました!
この前のコメントの後で気づいたのですが…パンジーがクリニックまでも華やかにしてくれてると感じたのであれば、やで切るのも有りと思いました🙇
追伸
昨日の結果ですが…私のは血管の別れ目に出来ている為、治療や手術は勧められないとの事、でも年間の破裂率は1、5%、100人に1人…検査しないだけで持ってる人も多いとの事で、その1人に入らないよう祈るばかりです(出来るだけ平静の心で😓)
余計な事でしたが、ご参考になればと…
またよろしくお願いします。
点数: 1
回答者 げばげば
添削した俳句: 夏近し僕は立派な自閉症
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
このスレッド、少し繊細なスレッドのように感じました。
人間100%同じ信条であるということはなかなか難しいことで、どんなコメントを書いても、そこは自分と考えが違うぞというところを見つけては揉めたりとかするような世界線に感じるからです。
げば自身も近親に障碍のある者が、とか、自分の仕事柄出会う人々のことや、自分自身の病気のことや、、とここでいろいろ語ることもできるかもしれませんが、この場所が自分語りの場所かどうかも分かりませんし、自分語りの発表を要求する場所かどうかも私にはわかりません。
ここからは俳句論ですが、
何を詠むのもNGがないのが俳句ではあると思う一方で、繊細なテーマを句にするときは、詠み手が思った通りのことが読み手に伝わるわけではない、鑑賞を相手に委ねるタイプの文芸である俳句には少し不向きであると感じるときもあります。
この道場に来て、すぐのころ、俳句に政治的信条を盛り込んだ句を詠んだときに、すぐになおじいさんにたしなめられました。「俳句は詩情を求めていかんとですな、げばさん」という言葉でした。「なんだとー、私の政治信条を(怒)」と思うこともできたのですが、私はなおじいさんの言葉になるほどそりゃそうだなあ。と感じました。読み手の心の湖に少し波立たせるような詩情という句とはかけ離れた政治信条の本位の句だと感じました。そんなことを言ってくれるなおじいさんに感謝もしました。
その後しばらく経って、「異教徒の碧き眼や渡り鳥」という句を詠んだこともありました。そのときも、なおじいさんから、「異教徒の碧き眼」のあたりの表現は大丈夫かい?初読ではどう受け取られるか?げばさんの力量なら詠みたい詩情をもう少しちがう形で届けられるのでは?と言ってくれました。そのときも、ハッとしました。なるほど、自分がこう思う!と思って詠んだ句が自分の手を離れたときに、ぜんぜん違うものとして伝わって、それが意図せず、誰かを傷つけたりすることもあるかもしれないということに気づいたからです。
いずれにしろ、俳句にはNGはないとはいえ、読み手にどう届くかを意識するようになりました。言葉は心の湖を波立たせるものであると同時に、人を悲しませたり傷つけたりする力もあると痛感したからです。
ケントさんの前の句、すぐにコメントにいけずすいませんでした。蜂という季語に私の鑑賞が追っつかず、ケントさんが思っていることとは全く違う句意で堂々めぐりしていたからです。読み手は自由に鑑賞するので、意図通り届かないといろんな思いする方がいるかも、と思って、そう書こうかどうかと迷っているうちに、イサクさんが先にコメントに行ってくれていました。イサクさんの言葉は時にストレートですが、他意のない方だと長い付き合いで私は思っています。私がここまで書いてきた俳句論的なことを言いたかったのではないかと勝手に推察しています。(ちがったらすいません)
誰が先に俳句以外の議論に踏み込んだということは抜きにして、ケントさんが俳句大好きで戻ってこられたのも知ってますし、ケントさんと今後も俳句のそして詩の話をたくさんしていけたらと思っています。
長々と書いてすいません。言葉には気をつけましたが、この文章を不特定多数の方が読んでいると思うので、私にも他意はない、ただ俳句が好きなだけだということをお詫びとして付け加えさせてくださいませ。
こういうときなおじいさんが常駐してるなら、、というところですが、今はお忙しいシーズンですので、若輩が失礼しました。よろしくお願いいたします。
点数: 3
回答者 山口雀昭
添削した俳句: 春の雨祖母の遺骨の喉仏
梶野のさん、「藤棚」に添削ありがとうございました。
私の言いたいことは「藤棚」が印象に残っていてので、そればかり考えておりましたが
方向を見て考えればなるほどと感じました。
参考にさせていただきます。 ありがとうドざいました。
点数: 0
回答者 山口雀昭
添削した俳句: 鬱王の足音せまる忘れ霜
つちや郷里さま、初めまして雀昭(雀昭)と申します。
「風車・・・・」の拙句をお詠み頂きありがとうございます。
当たり前の事を当たり前に詠んだ句で恥ずかしいですね^0^
花見に行った時の屋台の風景を詠んで見ました。
ありがとうございました。
御句「足音せまる忘れ霜」いいですね!感動いたしました。時々顔を見せて下さい。
点数: 1