「空っぽの天を絵取るや桜紅葉」の批評
回答者 頓
こま爺様、ご苦労様です。
コメント、拝読致しました。
私目、既に、俳句の基本書、三冊を読み、取り合わせと一物仕立ての区別くらいは、承知しておりますぞ!失礼ではありませんか!
私目が、申し上げたいのは、
「風のため息」という措辞から、何故に、尾崎紅葉の残した言葉が、モノとして詠まれていないのに、何故「取り合わせ」となるのか全く分からないこと、そして、何故「風のため息」という措辞から、その名言・言葉が、何の脈絡も無く出て来るのか、全く分からない、ということです。尾崎紅葉と言えば、仰せのとおり、「金色夜叉」でしょう?それは分かりますが、何故この言葉が出て来て、且つ取り合わせとなるのか、全く分からない、ということです!
8割、9割は読者の側ある、とは言え、以上のことは、釈然とせず、腹に落ちません!
モノを詠んで、その向こうにコトを、ではないのですかな?
擬人化に詩情あり?先ずは写実ではないのですかな?これまで仰せのことと、矛盾を禁じ得ません!
擬人化など姑息なことをせず、先ずは正確にモノを詠み、そしてコトを感じて頂く、俳句とはそうあるものだ!と思っております。
そのことを私目に教えてくれたのは、こま爺様、貴方ではありませんか!
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いま桜紅葉が真っ盛りです。