拙句「流るるか平和の笛の広島忌」へのコメントありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26850
以下長文、ご承知おきください。
まず、読み解きと単語の意味について。
この句、私の実体験が入っている忌日俳句の形になってはいるものの、実は「読者への問い掛け句」です。単純に平和を希求している句ではありません。
具体的には、以下が読者の方々に問い掛けられています。
①平和への願いを込めた曲が吹奏されなくなる程の世界平和は、いつになれば人類は実現できるのでしょう?
②本当に、世界平和は真剣に希求されているのでしょうか?
③作者の私が広島でリコーダーを吹いたのは12歳。それから31年が経過しているのに、まだ世界中から核兵器は廃絶されていませんし、戦争も起きています。一体どれ程の歳月が流れたら核廃絶は完了され、戦争は起きなくなりますか?
まだ、世界中から核兵器は廃絶されていない。
まだ、世界中から戦争は無くなっていない。
もし現実がそうなっていれば、そもそもこの句は詠まれていませんよね?
それ故の、上五の自動詞「流る」+助詞(係助詞、又は終助詞)「か」。
「まだ笛の音は流れているのか? そんな音が要らない世の中になってほしい」と
逆説的なアプローチと捉える事もできる点に独自性があると私は考えております。
問い掛けの具体的な内容までは読み解けなかったとしても、「句全体から何かを読者に問い掛けている」という意図を感じ取っていただけると幸いです。
文語の動詞「流る」(ラ行下二段活用)の、古語辞典的な意味は以下です。この句ではそのうち、2つの意味で使われております。
・液体が低い方へ移動する。また、水と共に動いて行く。
・(汗や涙などが)滴る。伝い落ちる。(雪や雨などが)降る
・時(年、月日など)が移り過ぎる。経つ。
・順々に移る。次々に回って行く。巡る。
・流罪になる。左遷される。
・次第に広まる。広く伝わる。
・生き長らえる。
もし句意が書かれていなければ、どの様に読み解かれましたか?
句意をご覧になって、ありふれた句と判断なさっておられませんか?
句の字面を詳細に読み解いた結果、「考えてみたけどこれはやっぱり、◯◯という点においてありふれた句である」と判断なさり、理由も書かれていれば、誰しも一応は納得するでしょう。それは大いにアリだと私は思っております。
ですが、「御句の感想ですが、平和を希求するお気持ちは伝わりました。が俳句としては、ありふれた句だと思いました。」としか書かれておらず、理由が明確ではありませんので、具体的なフィードバックではありません。
私としましては、この句は私が平和を希求していることではなく、個々の読者に問い掛けることに重点があると考えております。問い掛け句としての意図が伝わらなかった点については、私自身も改善の余地があると感じております。ただ、「ありふれた句」と感じられた理由を具体的に教えていただけますと、今後の参考になります。
次は季語について。
私が持っている『新版 角川季寄せ』(2024年1月24日 初版発行)には、見出し季語を「原爆の日」(晩夏、行事)と分類し、傍題に原爆忌・広島忌・長崎忌・浦上忌・平和祭・爆心地が記されており、「暦の上では、原爆投下の日は広島が夏、長崎が秋となるが、季語は「立項」としては夏に統一した。」との記載があります。
要するにこの分類、ページ数や構成上の都合な訳です。
前書きに編集部とありますから、複数いらっしゃる編集委員の中には、「分けて載せたい」とお思いだった方もいらっしゃるかもしれません。
仰る通り、これらを秋の季語として分類している歳時記もあります。
しかし実際に俳人達が「原爆忌」、「平和祭」、「爆心地」を季語として使う場合、いちいち「晩夏? 初秋?」なんて考えませんし、読者も内容で判断できます。
また、その判断の必要が無い句もあります。
俳句ポスト365の2022年7月20日週の兼題「原爆忌」において、当時4歳の子の句が初級の優秀句の4句の内に選ばれておりました。
げんばくきそらをとぶにははねがいる
のはらなおみ(4歳)
上の句の読み解きに、「季語「原爆忌」は晩夏の季語と解釈するのが妥当か? 初秋の季語として解釈するのが妥当か?」と考えますでしょうか? 考えませんよね。そして、句の解釈に余白があります。
正岡子規の言葉を念頭に、指摘が入るものと私は予測しましたので、
「雄蜂生まるる秋歳時記も疑へ」との句を前以て投句したのです。
季語を、歳時記に載せられている分類だけにとらわれるのではなく、「季語の本質を理解する」事が大切ではないかと私は考えます。
単語の意味、生態、由来も含めて、立体的、多面的に理解するという意味において。
また、季語としての原爆忌、爆心地、平和祭。
これらの季語は類層になり易いのですが、「真摯に季語と向き合う」事は、
俳人としてとても大切な事ではないかと、私は思います。
ホームページ上で夏井いつき先生が仰せの言葉です。
先人達も、その様な議論を経て現代に至っております。
今回は以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。
まだ当分厳しい暑さが続きますが、、、
暦は、早八月です。