談笑す海女の真中にある焚き火
回答者 南風の記憶
添削した俳句: 海女達の冷えを癒す焚火かな
カイ様、お世話になります。
御句ですが、海女と焚火の取り合わせは面白いと思います。ただ中七の「冷えを癒す」は不要です。なぜなら焚火には、寒さを凌ぐためのものだという意味がすでに含まれているからです。
ここはもっと、海女の描写をした方が、映像がより鮮明になると思います。
例)談笑す海女の真中にある焚き火
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回答者 南風の記憶
添削した俳句: 海女達の冷えを癒す焚火かな
カイ様、お世話になります。
御句ですが、海女と焚火の取り合わせは面白いと思います。ただ中七の「冷えを癒す」は不要です。なぜなら焚火には、寒さを凌ぐためのものだという意味がすでに含まれているからです。
ここはもっと、海女の描写をした方が、映像がより鮮明になると思います。
例)談笑す海女の真中にある焚き火
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回答者 南風の記憶
添削した俳句: ポインセチアここは暖房無き独居
秋沙美 洋様、お世話になります。
御句の「暖房」について、私は”削る必要なし”と考えます。
確かに「暖房」は季語ですが、御句の光景に暖房は存在しないので、季語としての力は弱くなります。「暖房なき」を削ると、句の意味がまったく変わってしまうので、この言葉は残すべきです。
季重なりというのは、いわば”一つの物語の中に主役が二人以上いる”状態です。ですから、季語の強弱が付けられれば(どっちの季語が主役かはっきりしていれば)、季重なりは成立します。
御句の場合、明らかに主役はポインセチアだと分かりますから、季重なり自体が問題だとは言えないと私は思います。
むしろ問題は「無き」でしょうか。「無き」だと説明になってしまうので、描写の言葉になるようにもう一工夫が必要でしょうか。「無き」ではなく、動詞に変えて、詠み手の”意思”が感じられるようにすれば、より想像の膨らむ句になるはずです。
例1)暖房は買わず独居の猩々木(しょうじょうぼく)
例2)暖房は買えず独居の猩々木
例3)暖房は置かず独居の猩々木
例4)暖房は置けず独居の猩々木
例5)暖房が壊れ独居の猩々木
※猩々木:ポインセチアの別名
このように色々なパターンが考えられます。「独居」と「ポインセチア」の取り合わせは面白いので、推敲次第では良句に仕上げられそうです。
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回答者 南風の記憶
添削した俳句: 冬靴やどこから入るこの砂は
イサク様、お世話になります。
脱ぎにくい冬の靴に砂が入ってきて、鬱陶しい。日常のあるあるを切り取る、まさに俳句的な視点だと思います。
ただ”どこから入る”という中七が説明的なので、もう少し描写を工夫し、オリジナリティを出す必要があるかと存じます。例えばですが……
例1)砂粒の湧き出るやうな冬の靴
例2)砂粒の刺してくるやう冬の靴
このように、いくらでも描写を工夫できます。是非ともイサク様の実感に合った句を完成させていただければと存じます。
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回答者 南風の記憶
添削した俳句: 白天の月光微か霜の降る
イサク様、お世話になります。
御句ですが、季重なり以前に気になる点があります。それはやはり上五中七の“白天の月光”。調べてみますと、白天とは中国語で「日の出から日没までの明るい時間」を指すようですね。白天が中国語だと分からない人も多いので、ここが損かなと。
さて俳句の基本から言えば、季重なりはよほど強い理由があるか、もしくは季語に強弱を付けるかしないと、やはり句としては成立しづらいと私は思います。
改善点としては二つ。まず中国だと分かるようにすること。もう一つは、(御句の場合は)季語に強弱を付けることでしょうか。
例)初霜の北京白天の月のやう
後半に「月のやう」と置き、月を比喩として使えば、季語としての力は弱くなります。また北京(中国)だと分かれば、白天の月というフレーズを読み手がすんなり受け止められるのではないでしょうか。
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回答者 南風の記憶
添削した俳句: 枯葉路やこれは枯葉を真似る虫
秋沙美 洋様、拙句へのコメントありがとうございます。
句意コメントの書き方が良くなかったかもしれません。首里城再建へ向けての取り組みを紹介はしましたが、あれがそのまま句の意味ということではありません。句意としては、秋沙美様のおっしゃる「首里城消失の現場に花ちょうじが咲いていて、その周辺に瓦の残骸が転がっているような光景」で構わないです。
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